ヨーロッパ旅行記(4)

25回目から30回目まで
 コペンハーゲン、スカンジナヴィア・リンク見学、パリ

ヨーロッパ旅行記 その26

10月15日 コペンハーゲン編2
グレートベルトリンクの見学

コペンハーゲンに来たのは
3つのプロジェクトを見学視察するため。
そもそもデンマークには島が多い。コペンハーゲンもシェラン島
という島にある。

島から島への移動はフェリーを使っているが、
これを島と島の間に橋を架けたりトンネルを掘ってつなげば、
交通は便利になり、デンマークは発展するにちがいない
そう考えてデンマークでは3つのリンク計画を立てた。


スカンジナヴィア・リンク
画像をクリックするとフルサイズでご覧になれます。

  1.グレートベルト・リンク
    デンマークのフュン島と首都コペンハーゲンのあるシェラン島
    の間のグレートベルト海峡を道路と鉄道で連絡するプロジェクト。
    鉄道は1996年に、道路は1998年にそれぞれ完成予定。


 2.オーレンス・リンク
    デンマークのシェラン島とスゥーデンの間のオーレンス海峡を
    道路と鉄道で連絡する計画。 1994年事業開始。
    2000年完成予定。

 3.フェーマーンベルト・リンク
    デンマークのロラン島とドイツのフェーマーン島の間の
    フェーマーンベルト海峡を道路と鉄道で連絡する計画。

デンマークのフェリーが見られます

15日はグレートベルト・リンクを1日がかりで見学する。
16日午前中にオーレンス・リンクの講演を聞いて、午後からは
フェーマーンベルト・リンクの講演を聞くことになっている。

ガイドは現地で結婚している女性。

彼女の通訳でグレート・ベルトリンクの見学に出かけた。
通訳とガイドとは違うらしい。
ここでは、この通訳の女性しかいないので、ガイドと呼ぶが、通訳の方が格が上らしい。

前に説明したように
コペンハーゲンはシェラン島のほかにアマー島にもわたっているとか。

したがって、オーレンス・リンクは正確には、デンマークの
アマー島とスゥーデンのマルメの間のオーレンス海峡を、
道路と鉄道で連絡する計画である。
もちろん鉄道も道路もシェラン島の部分もある。

グレートベルト・リンクは、
デンマークのフュン島と首都コペンハーゲンのあるシェラン島
の間のグレートベルト海峡を道路と鉄道で連絡するプロジェクト。

こう書いたが、海峡の中央にスプロー島という島があって、
このスプロー島より西側のウェスト橋(道路鉄道併用橋 PC桁橋)
と、東側のイースト橋(道路橋 吊橋部の中央径間1624m)、
イーストトンネル(鉄道トンネル)からなる。

東側の鉄道は1996年に、道路は1998年にそれぞれ完成予定。

はじめの予定ではイースト橋は1997年に完成して世界一の吊橋となるが
日本の明石海峡大橋が1998年に完成するので世界一の座を降りるというはずであった。
ところが、イースト橋の工事が遅れて、結局明石海峡大橋のあとに完成したため、世界一になることはなかった。

  

シェラン島のコアセア(Korsor)近くのプロジェクト展示場で
まず講演を聞く。

それから短時間に橋やトンネル工事の展示を見て
(展示室は一種の交通博物館)
子どもたちが玩具で遊んでいる。(ドイツのLIVELOCKみたいなもの)


館内のレストランで食事。

料理はスモークサーモン、それから肉が出た。
堅い肉で、何の肉だとみんなで言い合ったが、翌日のバスの中で
ガイドさんに聞いたら七面鳥の肉だったそうだ。

この肉には付け合わせにアルミホイールで包まれたジャガイモが出た。
ジャガイモは、ほくほく焼けて柔らかく美味かった。
が、一人の人に出されたジャガイモは堅くて、ナイフでもくずせない。

疲れた旅行ではささいな食べ物の不満でも溜まれば
ストレスになる。

我慢しないほうがいい、と私は思って
自分のことのように
「ヘアー オーバー」  ← ドイツのレストランではボーイさんを呼ぶとき
と叫んで
「このジャガイモは堅い」とドイツ語で言ったら
ボーイさんはさっと奥に引っ込んで、別のジャガイモを持ってきた。
今度は柔らかかった。

ということで、私の下手なドイツ語でも役に立った。
翌日は大事な場面でまたドイツ語を使うことになる。

食事がすんでいよいよ現地の見学。

これには海に出るのでフェリーに乗る。
フェリーはハルスコウ(Halsskov)から。

フェリーというと日本なら、車が乗り込んで動きだすのに
結構時間がかかるものだが、
デンマークでは早い。

船倉それもバスは最下層に入って、
乗客はバスから降りて階段を上がって甲板へと進む。

フェリーが着いたら素早くもとのバスに乗り込まないと、
バスや車はどんどんフェリーから降りてフェリーは動いてしまうから、
うろうろしていると、バスに乗れず向こうの港に連れていかれる。

それでは大変、皆さん、バスから降りて、階段を上がるとき
開けたドアの記号を忘れず覚えておきましょうと言われ
Fの文字をしっかり記憶。

船の上から、 東側のイースト橋(道路橋)を見学した。

中央の吊橋以外は完成していた。
この吊橋の中央径間1624mが完成したら
イギリスのハンバー橋(1410m)を抜いて世界一。

しかし、日本にはもっと長い吊橋を建設中。
    <明石海峡大橋 1990m> 
日本の吊橋が世界一になることをデンマークの人も知っていた。
  なお明石海峡大橋は阪神大震災のとき基礎が移動したので1991mになりました。

上にも書いたが、はじめの予定ではイースト橋は1997年に完成して世界一の吊橋となるが
日本の明石海峡大橋が1998年に完成するので世界一の座を譲るということであった。
ところが、イースト橋の工事が遅れて、結局明石海峡大橋のあとに完成したため、短い世界一の期間は存在しなかった。

フェリーはスプロー島を海から見物し、フュン島のKnudshovedに到着した。

乗客の移動のすばやいこと。
船が着いたと思ったら
もう前方の扉が開いて、バスや車はそのまま前進。
(方向を変える必要なし)

フュン島から作ったばかりのウェスト橋を渡る。

ウェスト橋の鉄道と道路が並んで走る橋の上の現地を見学。
あぶないから、指示された外を歩かないでくださいと注意。
以前の見学団体が注意をきかなかったようだ。

伸縮継目の所にみんなの関心が集まる。
レールも日本の新幹線のように、細長く斜めに切られたレールを並べて
くっつけて自由に伸び縮みできるようにしてある。
(新幹線には、ガタンガタンとなるレールの継目音がありません)

ウェスト橋をずっと渡ってスプロー島まで到達した。
このスプロー島には以前は人が住んでなくて灯台があった。
ただ、島には非行少女の収容施設があった。
道路ができたら、その施設は倉庫になっていた。

おもしろかったのは、
この島には天然記念物のカエルがいるので
カエルを交通事故から守るため、道路の両側に金網を張って
いたこと。

説明では、カエルのために道路の下にトンネルを掘ってやろうかと
カエルに聞いたら、
トンネルの中は暗くて寒いから結構と答えたので
トンネル建設は止めたと話してくれました。

ノウサギもあちこちにピョンピョン跳びはねていましたが、
島のノウサギだけでは近親交配のせいか数が減ってきたので、
他から同じ種類のノウサギを連れてきて放しているそうです。

ここの湿地は地下水が豊富で、自然の湧水で水がたまるから、
水鳥がたくさん生息しているので、生態系の保護を考えた
建設工事をしているとの説明に一同は感心して聞いていました。

ここの護岸工事はオランダに委託しているということだった。
なんでも自国でするのではなく、外国が得意な技術を持っていれば、その国に
頼む方がいいのだろう。なにしろ、オランダは干拓では世界一の国だから。

司馬遼太郎のオランダ旅行記で知ったのだが、オランダでは外国から石ブロック
を買ってきて護岸工事に使っているとのことだった。コンクリート堤防は
寿命があり、石ブロックの方が長持ちすることと、生態系を考えて経験から
そうしてるとのこと。
そういえば、このスプロー島の護岸工事現場にも石ブロックが転がっていたが、
あれはオランダ工法のための資材だったのであろうか。

いずれ日本もエコロジーを考慮した建設工事があたりまえになるでしょう。

その後、イースト橋の一番近いところまで来て、スプロー島から
イースト橋を目で見て見学しました。
吊橋の建設予定地のなるべく近くまで行って見ました。

   

そろそろ帰らないと、フェリーに遅れる
というわけでバスは急いで走り、
フェリー出発の1分前になんとか間に合い、
Knudshoved からバスはフェリーに乗り込みました。

今度のフェリーは新しい船で、中のレストランも広くてきれいでした。

甲板に出ると風が寒くて、みんな部屋の中に入ってきた。

フェリーの甲板に犬のトイレを発見。

帰りのバスの中で、
ガイドさんからデンマーク事情を聞きました。

経済的にも女性が働かないと家計がなりたたない現状で、
女性の自立がすすんでいる。

その結果、離婚率が40パーセンにもなっているとかで、
結婚28年以上のガイドさん夫婦は奇跡の夫婦とか。

デンマークは資源もないけど、原子力発電はしない。
回りの国の余った電力を買っている。

飛行機から見たキラリと光ったのは、まさに風力発電の風車
だったようです。
風車の姿もあちこちに見かけました。

デンマークの収穫祭はサンタルチア祭というそうです。
あのイタリア民謡のサンタルチアと同じ名前です。
たぶんキリスト教からきている名前なのでしょう。
 聖ルチア

2月にはオランダの習慣を真似て、
タルに猫を入れて子供が叩く祭があるとのこと。

デンマークにはオランダの影響もあるのでしょう。

日本のバレンタィンデーはないとのこと。

この日の夜は、とうとう日本食。
ホテルの日本食レストラン京都で す き や き
日本酒も飲んで、みんなうまいうまいと生き返った様子。

    

私も疲れて部屋に入ってひとやすみしていると、
添乗員さんから電話がかかってきた。
ちょっと話があるから、部屋に来るというのです。

緊張した顔の添乗員さんが話すには、
17日にはコペンハーゲンからパリへ移動することになっていました。

ところが17日にフランスの航空ストが行われるようである
というのです。パリ飛行場の管制官までもストに参加する。

そこで彼は3つの提案をしました。

 1.17日にブリュッセルにまず飛行機で飛び、ブリュッセルから
TGVでパリに入る。

 2.前日の16日に飛行機でパリに行ってしまう。

 3.スト中止になるまで、コペンハーゲンで待つ。

さあ、どうする。 団長だから責任がある。
私は、お金よりも確実に安全に移動する方法が大事である
と答えました。

飛行機の座席を新しくとったり、ホテルの予約をしないと
いけませんから
全部の案を並行して進めて、実行可能な線でやるしかないのです。

ブリュッセルには添乗員さんも以前に行ったことがあるし、
実は私も行ったことがあります。
だから、ブリュッセル経由になったら、そうしようと思いました。

他の皆さんにもできるだけ今夜のうちに相談して、
なるべく早く決めないと、他の客もパリがだめなら考えることは同じで、
前日の飛行機や別ルート確保に動くでしょうから、
早く判断して動くことが大事なわけです。

こういうわけで明日は大変だ。

明日はオーレンス・リンクの講演の前に
みんなで集まって今後の相談をしましょう。

   

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