11回目から18回目まで
リーズ、ロンドン
ロンドンで楽しい見学や観光をしたわけですが、
これを整理している時思い出したことがある。
もう亡くなられた農学部の畜産のK教授が世界一周の旅行中のことです。
ロンドンを訪れたとき、K先生の前に英国紳士が現れて
ロンドン観光のガイドをしてあげようとK先生に声をかけたそうです。
これはご親切にと、その紳士に案内され、ビッグベンもロンドン塔も
ロンドンブリッジもロンドンタワーブリッジも見物した。
要領よく説明してくれるので、これはありがたいとK先生は感謝した。
名所では、その英国紳士が名所を背景にK先生の記念写真をとるため
シャッターを押してくれました。
よく童謡に出てくるロンドン橋とロンドンタワー橋とは違うことを
K先生の書かれた本で読んだのが最初でした。それから
いくつかの本で、このロンドンブリッジとロンドンタワーブリッジ
が別の橋であることが解説されているのを見ました。
(ロンドンタワーブリッジの方は2階建で下の橋は可動橋になっている)
さて、K先生のハッピーなロンドン観光は最後が悲劇になって
しまいました。
一通りロンドン観光ができて、
静かな場所に連れてこられたのは夕暮れ。
その場所に来たら突然英国紳士は
ガイド料として法外なお金を要求したそうです。
そんなお金は払えないと言って、恐怖を感じ最悪のピンチをむかえ
おおいに困ったK先生の体験談は、世界は美しい
という本の中に書かれてあります。
(K先生は無事日本に帰ってきました)
K教授は岩手大学マンドリンクラブを創設した先生です。
もう一つロンドンでの盗難事故の話を思い出します。
こちらは人文社会科学部の先生のことですが、イギリス留学で、
日本からさっそうとロンドンに着いた最初の日に、
パスポートから所持金から一切すべて盗られてしまったそうです。
いつどこで誰に盗られたか、自分でもわからないと言っていました。
おそらく最初に外国に着いて、緊張と放心状態で、そのスキを
つかれたのだと思います。
(この場面に関係ありませんが、放心は中国語では安心の意味です。
日本語の漢字が中国語にあてはまらない例の1つです。
中国人留学生が日本に無事到着したので、母国にFAXしたとき
放心せよと書かれてあるのを見て勉強しました)
お金は現金ならたいてい戻りませんが、トラベラーズチェックは
自分のサインが入っているから、他人は使えません。
すぐ発行した所に連絡すれば、実害はありません。
再発行してもらえます。
しかし、パスポートがないと悲惨です。
これは別の先生ですが、国際会議によく参加される、その方面では
有名な先生ですが、自分で話してくれた盗難事件です。
イタリアの国際会議に参加するので、ローマの空港に降りてホテル
までの移動のバスの中で、鋭いナイフで肩から下げた鞄を
さっと切られて、大事なパスポートから財布まで盗られていたそうです。
それも現場では気がつかず、ホテルでやられたと思った時は
遅かった。
パスポートがないと留置所に入れられることになっているのは
どこの国の法律でもあたりまえ。
すぐ日本大使館に連絡してパスポートの再発行をしてもらわないと
いけない。
この先生の場合、1週間はすぎてやっとパスポートが発行されたが
国際会議には参加できなかった。どこにも行かれず足止めを
くったわけです。
国際会議のベテラン、海外旅行に慣れている先生でも
盗難にはいつも注意した方がいいというわけです。
日本にいるとわからないパスポートの重要性は、
たとえば
ドイツでホテルにパスポートを置いて散歩しているときに
警察にパスポート提示を求められ、持っていないから
カバンから自分の論文を出して、このとおりこの論文を書いているのが
自分ですと言っても当然許してもらえず、
困り果てたあるドイツ語の先生がいました。
困った先生は、ふと思いつきで
これがイタリアみたいな国ならパスポートはいつも身につけて
いたのに、ドイツは秩序正しい国だからパスポートの必要性を
つい忘れてしまった。
ドイツの秩序正しさは世界一だと言ったら
急に警官は機嫌が良くなって、二人で最後にドイツと日本に万歳と
言って、許してくれた話を本に書いていました。
日本の法律でも、外国人が町で警察にパスポートを検査されたとき
持っていなかったら留置所に入れてよいと法律に書かれてあるそうです。
皆様もくれぐれも海外ではパスポートを離さないようにしましょう。
ロンドンもパリもベルリンも北京も盗難は多いですから、
今回の我々の一行が被害にあわなかったのは
幸いだったと思います。
その後
書棚を整理していたら、その本「世界は美しい」を見つけましたので
補足します。
昭和43(1968)年10月12日のロンドンの夕方のことです。
推定ではK先生は当時53歳。この時文部省在外研究員として3カ月の
世界一周の旅行中の出来事でした。
ビッグベンを写し、ウェストミンスター寺院を見て、国会議事堂前を流れる
テームズ川に架かるランベス橋を渡ります。中央の欄干から議事堂を背面にとり、
最後に残った写真は、橋を渡って川のそばの遊歩道に入り、左に折れた所から
議事堂の背面を川の面に入れて写した夕景だった。
もう薄暗くなっていたが議事堂の建物が夕景をバックにして鮮明なシルエツトを
現わして絶好な写真になると思われた。
実はここが都会の穴だった。川のふちには堤防があり、遊歩道は
大きな石の舗道であり、低い場所になっている。その外側には更に大きい土手が
あった。その上に並木があり、病院があった。
結局このテームズ河畔の遊歩道
は病院裏の空き地に相当し、暗くなると人一人通らない。土手の上の並木の向こう
ではバス、乗用車が通り、人も歩いている。
そんな場所でイギリス紳士のガイドは最後の写真をとらせたのであった。
とり終わって振り返ると、もうフィルムはないのかと彼はK先生に聞きました。
K先生が終わりであると告げると、紳士の態度は全く別人に変わりました。
K先生の言葉を借りると、今までの好々爺ぶりは全くなくなり、ステッキは
ゲバ棒に見えてきたそうです。
次の言葉は、案内料12ポンド(1万2千円也)
を要求するといったのだそうです。
なんのことかわからずあっけにとられた
K先生は、もう一度聞くが、12ポンドではなく12シリング(約520円也)
と違うのかと聞いたら、男は「ノー、12ポンドだ」と答えたそうです。
その日はK先生は現金は5ポンドくらいしか持っていなくて、財布を差し出すと
彼は紙幣を数えて、日本人は金を持っているはずなのに、お前は案外だったなと
言い、そのまま紙幣を全部抜き取った上、他に現金はないかと聞いたそうです。
K先生のポケットまで調べて、金がないことを確かめると、「チエッ」という
言葉を残して土手を昇っていったそうです。
後にK先生が帰国のため、アテネから羽田行のエールフランスに乗った夜、
サービスの映画を見たら驚いたそうです。
その映画はなんとテームズ河畔の同じ場所で殺人が起こる場面から始まった
というのです。
危険なめにあったのはつくづくK先生だけでなかったことを
痛感すると共に、この事実を日本の旅行者全部に教えたいと思ったのが、
K先生のいいところでしょう。
(恥を自分一人の胸にしまっておく人もいます)
(他の人のために役立つ情報は公開しましょう)
1971年以前のイギリスの貨幣制度はややこしい12進法でした。
1ポンド=1000円
1ポンド=20シリング 1シリング=12ペンス
このイギリスの貨幣に慣れるには1年かかるとは在住日本人の話だそうです。
イギリスは過去において植民地を沢山持っていた。植民地からのお上りさんを
ごまかすために、このような貨幣制度をしているのではないかと
言ったある人の言葉をK先生は紹介しています。
タクシーのお釣りでごまかされた経験や、このガイドおいはぎのせいで
K先生のイギリスとロンドンの印象はさんざん。
イギリスは植民地を失って、経済は落日ではないか。
少なくとも金回りが良くないことは事実であろう、それが証拠には
先生の世界旅行でトラブルが起こったのはイギリスだけだったから
と書いてあります。
とにかくK先生のロンドンの印象はよくなかったのでした。
さて、念のため我々の旅行したときのポンドと円の関係を書いてみると
1ポンド=約190円
1ポンド=100ペンス
ですね。
K先生がガイド料として要求された12ポンドは当時は12000円でも
今は2280円です。
円が強くなったんですね。
そしてポンドはどんどん価値が下がっている。現地のガイドさんも
言っていましたが、5〜6年前に比べたら、物価が倍になったと。
日本にいたら円(の価値)が上がったとはなかなか実感できません。
海外旅行のときだけ実感できるかもしれません。
このK先生の文章を読み直してみたら
危険な場所というのは、我々もあのおしゃべり好きのガイドさんに案内された
場所でした。
画像をクリックすると大きくなります。
このシリーズ第14回目
>ランベス・ブリッジの近くの建物(ランベス・パレス)
>これはカンタベリー大主教のロンドンでの住まいであるが、
>この大主教の手記がいま話題になって、ゴシップ記事がどうのこうの
>とガイドさんは話がはずむ。 話しすぎた大主教。もう遅い。
>さて川向こうのビッグベンやウェストミンスター寺院が
>よく見える。
>ここは日本人観光客も沢山行く場所ですね。
バスで土手の道を走り、ランベス・パレスの手前で降りてから
ガイドさんにみんなで案内され、しゃべりすぎたカンタベリー大主教の
話を聞きながら、川の遊歩道に降りたわけです。
洪水対策のためか、川のそばのもう一つの堤防ごしに
対岸のビッグベンを見て、みんなですばらしい等言い合っていたわけです。
確かに対岸のビッグベンのよく見える絶好の撮影場所でしたが、
寂しい時間には一人で行かないほうがよいみたいですね。
ここをクリックすると ヨーロッパ旅行記の始めのページに戻る。