11回目から18回目まで
リーズ、ロンドン
いちおうイギリスを出るまでを
今日はがんばって書きましょう。
夜は中華料理。
この旅行 はじめて海外旅行をする人が多いから、
食べ物の不満をためると精神的によくない、
というわけで
3日に1度は中華料理か和食を
メニューに入れていました。
その昔、ドイツでドイツ語の研修を2カ月受けたとき、
やはり日本人の年輩の先生方は
ドイツ料理に飽きると(確かに美味しくない)、
中華料理レストランに駆け込んでいました。
ドイツ料理、あんなもの食べられるか。
やはり東洋人は東洋の食事がうまい、
と言っていましたね。
さて中華料理のレストランは
SHAFTESBURY AVENUE にあり
Queen's Theatre の向かいの
泰仙酒家という店。
表通りですぐわかる。
味は 本場の北京料理と日本の中華料理の中間。
つまり日本で食べる中華料理は 正統中華料理を日本人の口に
あうようマイルドにしたもの。
北京で食べる元祖本場中華料理は 辛くて油こくて
最初は食べられたものではない。
(私も北京で最初に一人でマーボートーフを注文して食べたら
その辛いこと、油どろどろで泣きたい思いでした)
このロンドンの中華料理は
日本人には やや油が強くてストロング。
中国人には これが中華料理かと不満のでそうなもの。
まあ、日本人にも中国人にも 半分満足のいく妥協の産物
どちらからも満点はつけられないかもしれない。
で私はといえば、やや本格中華料理に近くて
グーでした。
ここで食べてホテルに帰る人は帰る。
この後、希望者はパブに案内されるというので
ガイドさんと外で待っていました。
これが盛り場でなかなか我々のバスが来ない。
交通渋滞のためらしい。
添乗員はそわそわ みんなは外で結構寒くなって
でも一列になって待っていました。
髪を染めたイカレた若い男女が近寄って
一行の喫煙者にタバコの火を借りました。
ちゃあんとコミュニケーションが成り立っている。
これらの写真は雰囲気を出すためフリー素材集から借用したので、本文に関係ありません。
約30分の間 みんなバスを待っていて、
その間にサイレンを鳴らしてパトカーが3回通りました。
ぴかぴか光るから緊迫感も大きい。
つまり 警察の活躍する場所 活躍する時間。
私はといえばダウンジャケットで完全武装。
こんな盛り場に一人で来るのは気持ちが疲れるが、
みんないるから安全とばかり
道のはじの信号まで歩いて反対の信号まで行ったり来たり。
ススキノ 歌舞伎町 そして ロンドンのSHAFTESBURY AVENUE
の夜を比較想像しながら 楽しいひと時をすごしました。
ようやくバスが来て乗り込む。
それから町も交通状態がよくなり、
バスは問題なくロンドンの町を走る。
ガイドはマイケルさん。
この人も日本語上手 やはり日本に数年いたとか。
パブ 最初の店は トラファルガー・スクエァ近くの
シャーロック・ホームズ。
あのコナン・ドイルが まだNorthumberland Arms Hotel
といっていたころのこの建物のことを、
バスカーヴィル家の犬という作品に書いているそうです。
日本人観光客が次々に出入りして
半分は日本人。
ビールを飲む人やウィスキーを飲む人。
私はもちろん本場のビールです。
以下はその後の補足です。
☆ ☆ ☆ 最近、バスカヴィル家の犬(阿部知二訳、創元推理文庫) を読みました。 西部イングランドのデヴォンシアが舞台で 霧が出てきたり沼地があったりして、あやしい伝説と 遺産相続をめぐる犯罪の謎をシャーロック・ホームズ が解くわけです。 狂気の先祖をもつ一族において 今ではたった一人残された財産の相続人 サー・ヘンリ・バスカヴィルは ホームズに相談に来るのですが そのときロンドンのホテルが ノーサンバランド・ホテルなのです。 小説の中では ノーサンバランド・ホテル気付サー・ヘンリ・バスカヴィル様 (Sir Henry Baskerville, Northumberland Hotel) の手紙が、この相続人に届き 消印はチャリング・クロスになっている。 この手紙もホームズの推理の手がかりになります。 だから 我々の入ったパブは この推理小説の舞台(当時はホテル)になった 店だったのです。 中世の歴史では、旅籠(はたご)において 2階ではお客を泊めるし 1階は酒場にもなっていて 酒を飲ませたり食事を出していました。 だから、このパブも1階は酒場で2階がホテルになって いたようです。2階に行って見学すればよかった。 私は疲れていたので1階でしばし過ごした。 (興味のある人は2階の部屋に行けば、 シャーロック・ホームズ関係の資料が 陳列されているのを見ることができる) ドイツには今でも 下がレストラン、2階がホテルという店が あります。 結構値段も安く、ベッドも清潔で快適です。 旅行するときは、現地で飛び込んで 部屋があいていれば泊まれます。 なお、イングランド西部にデヴォンシアが あると私の読んだ推理小説に書いてありますが イングランドの地図を見たら 南部といったほうが私にはわかりやすいです。 ウェールズの下でイングランドの底にあたる 所ですから。 地質時代のデヴォン紀の名前のもとになった デヴォンシアはイギリスの州の名前でした。 エクセター Exeter のある州です。 ☆ ☆ ☆
ここをほどよい時間にきりあげて、
また、我々のバスが到着。
バスに乗ったら、
マイケルさん
今度は とってもいい所に連れていく、
とご機嫌。
行った先は
昼間みたロンドンタワーブリッジの下の場所。
ライトアップしているから特別きれい。
みんな感動。
そこから少し歩いて 運河を見ながら
ついたところが
ディッケンズ・イン。
ここは18世紀のビール工場を改造したパブ。
太い木材を柱や梁に使って それを太い鉄ボルトで
留めているのを見て
私の研究している木橋を思い出してしまった。
アルコールの調子もよくできあがって
我々は最高潮。
中に車椅子の女性がいました。
全部で3名の女性グループで
車椅子の女性も回りの客も全然違和感のない
雰囲気に
また感動。
なかなか日本では考えられない体験をしてきました。
ロンドンのパブ ディッケンズ・イン。
数年後に写真を整理していたら、たぶん自動販売機の説明であろう写真を見つけました。
こちらは日本語の説明
この2つのパブはJTBのポケットガイドにも
出ていました。
有名な店だったんですね。
マイケルさん ありがとう。
無事ホテルに送ってくれたマイケルさんは、フロントから添乗員に
電話してパブツアーの完了を報告しました。
(このオプショナル・ツアーは有料です)
結局ロンドンの深夜をバスで
はじからはじまで走ったわけです。
翌日はノルウェーに
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