橋の文化史 感想 今回、橋の文化史を読むにあたり、とても困りました。 なぜなら、自分は活字を読むのが苦手で、ここ数年本をまったく読んでいないからです。なぜ本を読 むのが苦手かといえば、それは小学校の頃、読書感想文コンクールのようなものの時、 嫌な思い出があったからで、というくだらない理由ではあるが、とにかく本を読むのが 苦手(というか、感想文が苦手)でして、今回のレポートは本人なりに苦労しました。 今回橋の文化史を読んで、映画「天空の城ラピュタ」,「stand by me」, 「back to the future V」,などにでてくる、木製の鉄道用の橋が実在するという発見を しました。小学校のころ映画を見て、こんな木製の鉄道があるのかな、あったらいいなと 思っていたら、橋の文化史に載っていて驚きました。確かに実在しているのは うれしかったのですが、このような木製の鉄道はどのように作ったのか, 耐久性はよいのかという疑問が浮かんできました。本を読み進めると、 製作当初は精度が悪かったようで、17年間の間に502件のもの橋の倒壊事故があった というのです。当時の世相から考えれば多くの橋を作るほうが先決だったかも しれませんが、大きくて、人が乗っている列車が走る橋を技術者達の勘だけで作るなんて、 人間の命を軽く考えているようで恐ろしいと思いました。同時に、 我々が安心していられる橋を作るベースを考えたシューベルトをはじめ、 ほかの多くの学者達に感謝し、敬意を払いました。かつ、これからそれを学ぶ ことがとても楽しみになりました。 また、勉強になった事は、普段我々が橋というと、橋を渡る事しか考えていないので、 注意深く見たとしても、目にみえている部分のみ橋と思いがちです が、実は、橋において一番重要なのは、基礎の部分だという事が分かった事です。 それに、川にかけた橋なら、川の中に入っている部分こそが、水の抵抗を受け、また、 桁の形によってその周りの河床まで影響を与えるという事も分かりました。 これらは、言われてみれば理解できますが、この事に気がつくには、実際に橋を作り、 苦労を重ねないと気付きにくい事ではないかと思います。 人間も橋も、基礎、土台が大事なのだと知りました。これからの学習も基礎固めをし なければならないと思います。 また、自分は高校で世界史を選択していたのですが、巨大なローマ帝国の裏には 大規模な道路網という秘密が隠されていたなんて、まったく考えてもみませんでした。 確かに侵略の面でも、生活面でも、大規模な道路網が必要なことは、 我々が普段から道路を生活のために利用しているのでわかりますが、そんなに 昔から道路網が作られていたのは驚きです。改めてローマ人の頭の良さに感心させられました。 冬休みに、友人5人でドライブに行き、帰りに一部開通された三陸自動車道を 通りました。とても高い橋に通りかかり、皆で降りてみようということになり ドアを開けたら、その日は風が強く飛ばされるかと思うくらいでした。 ドアを開けた瞬間、乗用車がゆれるほどでした。しかし、もちろん現代の橋は強風にも ゆれることはありません。そんな橋を作ることができるのも、 技術者が熱心に勉強したからだと思います。自分も負けずに勉強していきたいです。 最初に思ったことは確かに技術の歴史は他の歴史と深く結びついているということだ。 工業なども戦争による発展が大きいし、道路も国の管理と同時に軍事的なものが 大きかったということだ。橋の造られた理由も発展の理由も単純に向こう岸にわたる ためだけでわなく色々な理由が混ざっていると思った。大昔は石をただ並べただけとか、 大木を架けたりしていただけだった物が今のような複雑な物になったのは色々な過程 を通ってきたからなのだと思った。昔のものは擬似アーチといわれる石を積み上げた だけのアーチみたいなものだったが、その後で最初のアーチ発生のパターンにより アーチへとなっていったそうだ。しかしアーチはローマ人ではなく先住民の エトルリア人の技術だったということだから一体どれくらい昔からそんな技術が あったんだと感心してしまう。ローマでは水準測量等の技術もあり、そんなものが 今学んでいる測量学にも関係していると思うと凄いと思う。さらにクレーンなどの 工事技術もあったらしいのでヨーロッパの方はそういう技術発生の地だと思った。 昔の工事にはナラの木でできた杭が使われていたそうで相当硬かったのだ と思った。コンクリートも使っていたそうだ。基礎は今と変わらないと思った。 橋脚の洗掘現象はレオナルド・ダ・ヴィンチによって解明されたそうだが、 芸術でも工学でも薬学でも全ての分野で偉業を達成しているこの人は天才だと思った。 アーチは橋だけでなく大聖堂などの他の建物にも使われているので重宝されていると 思った。その後も新しいアーチや技術が出てきたがその基礎はこんな昔から考えられて いたのを知って驚いた。あと昔のヨーロッパの橋とかは趣があっていいと思った。 今回課題としてですが、「橋の文化史」を読んでみたところ、 今構造力学の講義を受けている僕たちとしては、いろいろと勉強にな ることが多くあったと思います。これまで学んできたことが少しではありますが 載っていて、そのことを理解できる自分がいて、多少うれしい気持ちになる時も ありました。それと同時に橋に対する見方も多少変わった気もします。 さて、今回僕が一番印象に残っている事は、「橋は道路の一部である」という 本文の言葉です。たった一言なのにもかかわらず、この言葉は僕にいろいろな 考えを持たせてくれました。まず、本当にこの言葉の通り橋は道路の一部であると 思います。本文でも書かれていましたが、現在道路は様々なところにあります。 地元の道路を考えただけでもかなりの数になります。そして、橋もまたいた るところにあります。その種類も様々ですし、大きさにおいても小規模のものから 湾の上を通してあるとても大きなものもあります。そして、道路にとって 橋はなくてはならないものなのだと、今回感じさせられました。 なぜなら、ただ道路があるだけでは僕たちの行動範囲は限られてしまいます。 橋があるからこそ川を渡り、谷(日本にはあまりありませんが)を渡り反対側へ、 他の土地へ行くことが出来るのだと思いました。 次に僕が注目した、興味を持ったものは「アーチ」に関することです。 橋の種類は他にもいろいろあります。しかし、この本を読んで分かったことですが アーチはかなり長い間橋を建設する上で重要視されてきました。もっとも 真のアーチになる前に片持ち式アーチ、擬似アーチとありました。 真のアーチまでは発展、進歩してきましたが、それ以上はなかなか前へ進めなかった こと、アーチに頼りきってしまっていることはこの本を読むまで知りもしなかったです。 本を読む前の僕のアーチに対する考えといえば「昔の橋、しかし形はとても美しい橋」 というものでした。実際この本にも図としていくつかのアーチの写真や絵が載って いましたがやはりその形は美しく、綺麗なものだと改めて思いました。それと同時に アーチにもいくつもの種類があって、それぞれが互いに特徴あるものであることも 学びました。アーチは橋だけではなく様々な建築物にも使われていて、今現在も 飲食店などの内装として目にすることが出来ます。また真のアーチができたのは かなり古く1500〜2000年前なのにもかかわらずその時からすでに石を正確に裁 断する切石術、また石を正確に積み上げる積石術がかなりの発展をとげてきたこと にもまた驚かされました。 三つ目に今日僕たちが使っている「橋」は他の分野の物事同様、何百年何千年と かけて発展してきました。今でも橋など建設工事は公共事業として扱うことが多いですが それは昔も変わらなかったことを知りました。そして様々な問題(例えば資金不足、政治的問 題、その時の技術ではどうにもならないような困難な問題、また数学的、理論的に証明し 尚且つ計算しなければならないこと、公式などの発展が追いつかない問題)を一つ一つ 乗り越えてきたということを改めて実感し、今僕たちが勉強していることは基本だけれ ども昔の人にとってはとても深刻な問題だったのだと思います。 僕はこの本を実家に帰る新幹線の中で読んでいました。本を1ページ読むたびに 帰る途中車窓から見える様々な橋、トンネルに対する見方と言うものが変わっていくのが 分かりました。講義で習ったことを思い出しつつまだまだ勉強が足りないことも実感し、 これからもまたしっかり勉強していこうと思いました。 僕はこの「橋の文化史」を読むのは二回目だが、そのせいか内容が以前より理解でき た。 この本のなかで一番興味を持ったのはローマの水を引くために造られた「橋」で、特 に南フランスのガール橋(ポン・デュ・ガール)だ。「橋」というと人が川などを渡 るためのものと思いがちだか、水を運ぶために作られたこの橋はローマ人が水を大量 に必要ととしたために建設された。このガール橋は見た目は単純というか不器用と いった感じもするが、そこにある種の神秘さ、雄大さを感じた。ぜひ一度見に行きた いものだ。しかし数百年の間に24もの水道を作ったローマ人がその後その努力をぜひ とも必要としなくなったのは残念極まりない。もしあのまま建設を続けていたらいっ たい今日の「橋」はどのような進化を遂げていたのだろうか。 この本を読んで感じたことは、ただの石から疑似アーチ、アーチさらには鉄道のため の橋など、この本を見る限りものすごい進歩をしてきた「橋」だが、建設するために は今も昔もとても大変な労力を費やしているということだ。いやむしろ、知識も技術 もなかった昔の方が単純だが、今のような複雑だがすばらしい橋を作るよりも大変 だったはずだ。昔の人の大変な作業、そして川を渡りたいという情熱がなければきっ と現在のようなすばらしい「橋」は生まれていないはず。そのことを考えると尊敬に 近い感情が生まれてくる。これからもさらに進化し続けるであろう「橋」がどのよう に変わっていくのか、これからとても楽しみになった。 橋の文化史を読んでいると、やはり私が思っていたように橋は人間がいかに技術の力 を発展させてきたか証明できる一つの建設物だと思えます。なぜかというと、 橋を作る際いくつか難しい問題が生じてくるからです。離れた2点間に橋を どのように架けるか、どのように川の中に橋脚を建てるか、洪水に耐えるには 橋の規模をどうすればいいのかなど、構造力学と建設技術の発展がなければ 解決できない問題だらけです。これらのことから私はそう思います。 本文の中にアーチと丸天井はエジプト人は4000年以上も前に知っていたが、 それらを知っていたのはエジプト人ばかりではなく、彼らよりさらに2000年 も前にシュメール人も知っていたとありました。正直、橋の歴史がそれほど 古いものだとは思っていなかったので驚きました。それにローマ人は、 20メートルから30メートルあるいは30メートル以上の広さのスパンに橋を架け ることに成功していました。それは半円アーチを使っていて、彼らがそれを 理想的な形としてみなしていたとありましたが、そんなことを当時から分かって いたことにも本当に驚きを感じます。他にもローマ人はローマで最も有名な 切石アーチ建造物といわれているガール橋を建造し、人々に圧倒的な印象を 与えていたことも分かり、なおかつ当時アーチの上層階部分にくさびがた形石を滑車を 使ったクレーンで運んでいたのにもローマ人の頭の良さ、偉大さを感じることが できました。 そして私が一番気になっていたのが橋脚です。橋脚といえば普通川の中に建って いて橋を支えていますが、気になるのがどのようにして川の中に橋脚を建設して いたかです。ここででてくるのがやはりローマ人でした。本文にはローマ人は 橋脚の基礎を作る技術として囲堰技術を高度に発展させたとありました。 最初、囲堰技術がどのような技術か分かりませんでしたが、粘土を使うことに よって水に邪魔されることなく根切りの堀削と橋脚の基礎の建設とが可能になり、 地盤が岩でできている場合は、橋脚を直接その地盤の上に建てることによって 土台を作ることができるということがことが分かりました。橋梁建設技術において ローマ人はすごく貢献してきたんだと本当に感じることができました。 本文を読んだことによって知らなかった様々な橋の歴史や文化を知ることが できました。私はまだほとんど知識も持っていないし、勉強不足だということも 実感できました。ですからこれからもっと本を読んだりして勉強して いきたいと思っています。 本を読む前に、昔の人はどのように橋を建てていたのか、すごく疑問に思った。最初に つくられた橋(橋と呼んでいいのか不明)は、一枚の石版でつくられていた。ただ向こう 岸に渡るためだったからそれでも十分成り立ったと思う。本を読んでいく中で、橋は時代 とともに生まれ、変化してきたものだと知った。現代とは違い、昔にはクレーンなど便利 な機械がなかった。しかし、昔の橋は現代にも残っている。ただ石をつんだ橋から、時代 とともに変化し、次第にアーチの橋へ変化してきた。この道程の中で、技術者・建築家た ちは、頭をフル回転させ、構造力学を駆使し、昔の橋から学び、現在にいたったと思う。 その努力は、想像できないものだったろう。今、授業で学んでいる「構造力学」は、何千 年に及ぶ、先人たちの生きてきた足跡だと思う!! 文中で一番目を引いた部分は、111ページの「渦が川底を深く洗掘する場合」という 部分だ。高校のときに、「メタルカラーの時代」という本に出会い、建設関係の仕事に興 味をもった。ほんの2・3行の文だと思ったが、建造物における水の流れによるダメージ みたいな文に、すごく興味をもった。その本には、どのような流れの変化により、橋脚に どのような障害をもたらすか?というところまでは、書いてなかった。しかしこの本には 詳しく記されていた。特に目を引いた箇所は、違う種類の橋脚を用いて、それぞれの長所 ・短所を述べたところだった。先端部が尖った橋脚・先端部のみが丸い橋脚・円柱形の橋 脚。この三つのなかで、前頭部において洗掘によって一番深い穴ができるのが、円柱形の 脚脚だということだった。先端が尖っている橋脚が一番もろい感じがして、洗掘も一番大 きいのでは?と思った。しかし、一番丈夫そうな、円柱形の橋脚が一番洗掘によるダメー ジが大きいというのは意外だった。 あと、今まで芸術家だと思っていたレオナルド・ダ・ヴィンチが実験などをしていたと いうことにも驚いた!!昔の芸術家はすべてにおいて優れていたのではないか??と関心 した!! 授業を学ばずにこの本を読んでいたなら、けっこうさっぱり???なところが多かった と思う。ほんの少しだけ、力がついたことを実感した。この本は、図や写真がたくさん使 われていてわかりやすかったが、白黒なのでわかりにくい写真もあった。カラーで見れた らもっとよかったと思う。 橋は、一番初めからきちんとした形をしていたのかと思っていたが、 大きな木などが倒れたことから橋の歴史が始まったので、少し驚 いた。もとは一枚の石版だったものが、石を積み重ねただけの擬似アーチから、 うまく力を分散し、崩れにくくするくさび形石を使う、真のアーチへと 変化を遂げたことは、当時の何もない時代の技術を考慮すると、とても驚きだった。 また、その変化を遂げるにあたり、沢山の人手が必要だったと思うし、 何より、当時のローマなどの国の技術の高さがうかがえると思った。 また、火山灰と消石灰からコンクリートを作ったり、石を持ち上げるための クレーンを用いたりするなどしていたので、凄いと思った。先人の知恵や技術、 努力の結晶が今の時代に生きているのだなぁと感心した。橋は時代や国を象徴する ような建造物にもなっているように感じられるし、橋をかけることにより、 技術や政治的・軍事的な時代の背景も学ぶことができたように思った。 文化が変わり、政治的に大きな役割を果たすことに、橋というものは 大きく関わっているのだと思った。橋は、人や車を渡らせるために陸と陸を つなげているが、他にも何か大事なものがつながっているような気がしてならない。 普段は気にもとめずに渡っている「橋」にも、歴史があるということをしりました。 歴史があるということは当然のことかもしれない けれど、「橋」というものはあまりにも自分の身近に存在しているものなので、 考える機会がありませんでした。 この本を読んでみて「橋」に対する考え方が変わったような気がします。 橋を架けるという発想に驚きました。今では川の向こう岸に 渡るためには橋を架けて渡ることがあたりまえのようになっているけれど、 紀元前ごろにその発想を思いつくことじたいが、斬新なもの であったと思います。たいていの人々は川を渡ることをあきらめるか、 何メートル、何キロメートルもの道を遠回りして向こう岸に渡ろ うとしか思いつかないと思います。 さらにローマ時代では「橋」を単に川を渡る構造物とだけ考えるのではなく、 水の運搬のためや道路としての役割として活用している ことを知り驚きました。ローマ人にとって水は単に個人のために必要であった ばかりでなく、町を清潔に保つためにも必要なものであっ ただろうし、良い水を得るために、何キロメートルも先にある水源から 湧き水を町にひくのにも橋が利用されていて、ローマ人にとって は橋と水とは切っても切り離せないものになっていたのだと思う。 また、ローマ帝国が「すべての道はローマに通ず。」と言われてきたように 交通網が完全に完備されていて、その道路として橋も重要 な役割をはたしているということを知りました。巨大なローマ帝国を まとめられたのも「水道としての橋」、「道路としての橋」がなく てはならないものだったということを知ることができよかったです。 私が一番印象に残っているのは石で作ったアーチ型の橋です。 何十個もの石をすべて同じ大きさのくさび形に加工し、その石をさらに 積み上げてくさび形石アーチを作る技術がローマ時代、さらにはその前の ギリシャ時代にも知られていたということに驚きました。その 橋はテレビや写真などの間接的にしかみたことがないので、 その場に行って直接自分の目で見て、触って感じることができればさらに昔 の橋を作る技術がいかにすごかったのかが知ることができるのだと思います。 ぼくは、この橋の文化史をよんで、とても驚いた。この本には、 ローマやドイツなどでの、橋の歴史について事細かに書いていた。 古代の橋について書いてあった。古代の人は、最初は台風や落雷で 偶然木が倒れて、川を横断しそれから人類は橋をおもいついたら しい。偶然にしては、ものすごい発見だと思った。この発見が なかったとしたら、今のぼくたちの周りには橋はなかったのではない かと思う。 人類は最初から成功したりする生き物ではない。間違いをして、 より完全な橋ができていくのだ、というのがわかった。アーチに 関しても、昔の人が最初に作ったアーチはただ石を積み上げていく だけの疑似アーチだった。それだけだと、すぐ崩れたりとかもし たんだと思う。後に研究が進んでいって、より新しい形のアーチが たくさんできていったらしい。 橋をよりよいものにしていくには、いろんな人と協力しなければ ならないとおもった。世界では、さまざまな研究がされていて、 その中で、新しい発見もあると思う。その技術を、お互いが吸収 してよりよいもの作るべきだと思う。アーチの発明もローマ人では なく、先住民族のエトルリアローマ人がローマ人に教えていたらしい。 ギリシャ人は、すでに知っていたはずなのに、使わなかった という。ギリシャ人もドンドンチャレンジするべきだと思った。 あと今ぼくが講義で受けている水理学も、橋と深い関係があること にあらためて気づかされた。水も速さとかによって、力がか かったりするので、その影響は無視できない。そのことを考え なかったとしたら、橋が崩れて大事故につながる。今やっている授業 は、ひとつにつながっているのだと実感できた。 今でいう高速道路も橋の一種です。高速道路の出口とかで料金が とられたりしている。通るだけなら別にお金は要らないんじゃない かとおもったのですが、橋は都市の経済条件を理解する鍵みたいな 文章が書かれていました。考えてみると、確かに田舎と都会で は、橋の数は明らかに違っている。でも、橋が多ければいいと いうわけではないと思う。経済状況を表すのは言えているが、今の時 代だとその分、橋を通る車の数が増えるとぼくは思う。環境面から 考えると空気が汚れたりして、地球にも人間にもよくないと思 う。このようなことを考慮した新しい橋ができないものかと、 ぼくは考えてしまいました。 橋を作ったりするのには、お金や時間がたくさんかかる。 橋を作る技術者もかなり必要となるだろう。ぼくは、ただなんとなく橋を 通っていたが、この本を読んで橋に対しての見方がちょっとというか かなり変わったと思う。昔のひとが積み上げてきた歴史があっ て、今の橋がある。そう思うと昔の人にすごく感謝したくなってきます。 これからぼくも学年が上がっていくことに、徐々に研究者 に近づいていきます。橋だけに関わらず、学問には色々な歴史がある。 そんな昔の人にも負けないように、一生懸命勉強しなければ ならないとぼくは思いました。この本をよんで、とてもいい勉強に なったとおもいました。 「橋の文化史」を読んで 橋というものは、自分が幼かった頃からあった極身近なものでした。 そして、橋とは、ただそれ自体が橋であって、それ以外の何 とも思っていませんでした。さらにアーチ橋などまったく知る余地もなく、 トラスに至ってはただの装飾だと思っていました。 しかし、約1年間の構造力学の講義と、「橋の文化史」を読んだことによって、 トラスの意味や、アーチ橋がなぜその形ではなら ないかなど、若干理解したようなきがします。 昔の人が最初に橋を架けようと思ったのは偶然な事(?)であって、 大木が倒れて向こう岸まで届いてしまった。とゆうような箇所 を読んだときは、発想そのものの違いを痛感しました。 ただ川を渡るだけなら船でも良いではないか!などと自分でつっこんでいま した。 この本を読んで特に興味を持ったのは『7 ジャン・ロドルフ・ぺロネと ヌイイ橋』、という項目でした。 ペロネは大掛かりな物を建造するにあたって、多少のゴタゴタがあった にもかかわらず、人件費なども自ら検討し、なおかつアーチの安定性の 確認などの作業を滞りなく行なっており、橋の完成までに至る全ての工程に 私は感銘を受けました。自分が将来目指しているものはもっと建築的な 事ですが、その作業の先頭に立つ者としての姿勢は見習うものがあります。 ただ、交通の不便さによって今はその偉大な橋がないという事が残念です。 最初「橋の文化史」を読もうと思った時に、あまり読む気がしませんでした。 字は小さくて、本は厚くて、正直、あまり興味がなかったので、 なんで読まなくてはいけないのかと思いました。本を読むのが嫌いなわけでは ありません。ただ、いつも自分が読んでいるのは、推理小説や、恋愛小説や、 フィクションが多く、専門的なのはほとんど読んだことがなかったからです。 しかし、今この本を読み終えて、なぜ、宮本先生が構造力学の宿題として この本を出したのがよくわかりました。この本は、ただ橋について自然科 学や技術を科学技術的に書いているだけでなく、美学的、社会的、経済的、 政治的に書かれていてとても面白かったです。もう一度繰り返しますが 本当に面白かったです。橋の技術と、一般の技術が深く結びつきながら 発展してきたことがよくわかり、また、今まで構造力学で習ってきたことの 復習にもなりました。橋のなかった時代、もし自分がその時代に生きていたら 橋を架けようとは思わなかったと思います。ではなぜ橋があるのか? 昔、台風や落雷が起こって、大木が川を横断したのを見て人は橋を思いついた事が書 いてあり、納得しました。これは二番目に面白かったことで、一番は、 歴史の中でよく「〜はローマに通ず」と言いますが、軍事的、戦略的な理由で 橋もローマに通じていたことに驚き、面白かったです。また、この本の中で 紹介されている橋で一番好きな橋は、ドイツ、ニュルンベルクの肉屋橋です。 技術的に、当時のドイツおいて最も重要な橋であり、橋の下のアーチのうねり方が気に 入ったからです。ただそれだけなのですが・・・。やはり技術の進歩は、 時代背景となる政治、軍事、経済からは切り離せないのだと思いました。 現代でも、社会的、軍事的、経済的な影響を受けて発展している橋。洪水や地震、 自動車などの出現により、車など重いものに耐えられるようになった橋。 21世紀、環境の時代と呼ばれていますが、橋はこのような時代背景を受けて どのように発展するのでしょうか?環境に配慮されて、作るときは廃棄物を出さず、 壊すときはリサイクルできるようになるのでしょうか?年をとってから 新しい「橋の文化史」を読むのが楽しみです。 この「橋の文化史」を読んでまず、時代の流れと、進歩というものを感じた。 どの時代においても共通することは、第一に、人間が 「橋」というものを造るということ。第二に、橋はなんらかの構造物(物体)で 造られているということである。異なっていることと いえば、どのような構造で、どのような姿、形をしているかであると思う。 古代の石桁橋と、現代の吊橋、斜張橋などとを比べてみれ ば一目瞭然である。印象に残った橋といえば、ローマのファブリキオ橋である。 ローマの脚橋の作り方には、水面より上のところに穴 を開けるという工夫がされており、この特徴がどのような機能を発揮したのか についてとても感心した。材料の節約、洪水などでの余 分な水の排水、構造力学上、最も荷重が少ないところにつくられたなど、 ローマ人の賢さというか、偉大さを身にしみて感じた。ま た、ファブリキオ橋は完全な円弧アーチで作られていて、アーチは構造上、 最も安定しているというローマ人の考えから作られたとい うことにも、驚いた。古代ローマの橋のひとつのこのファブリキオ橋が今 現在残っているのも、ローマ人のさまざまな考えによってで きた賜物であると思う。しかしながら、橋というものは芸術の面から見ても 優れていると思う。古代ローマ時代に作られた橋も、今で は見られない構造物であり、その時代の特徴や、文化などを反映していると 思う。ほぼアーチ状の橋などは外観上美しい。現代の橋で は、吊橋や斜張橋見るだけでもすばらしいと感じ取れると思う。 人間には、物事を考えたり、推考する能力がある。橋の建設の際など、 どういった構造であれば本来の機能を発揮することができるの か、どういう工夫をすれば効率がよくなるかなど、見通しをもって 作業することによって元来よりも更によいものを作ることができ る。要するに積み重ねとなっているのだと思う。よって、古代ローマと 現代とを比較すると、明らかに進歩が見られる。今現在の橋が あるのは、元来の橋の存在があったからだと言っても過言ではないと思う。 また、その時代の橋を見ればその時代を反映していて、そ の時代の象徴的なものとなっているのではないだろうか。だから、 時代の有り方を大切にする意味でも、古代(過去)の橋の存在を大 切にしたい。 自分は高3の時に都市と自然の共存について学びたいと思い、 大学に入学してきた。しかし、入学してから橋の構造について学ぶ のもおもしろそうだと思った。しかし、それもまた考えにいきずまり、 どうしようか迷っていた。そんな時この本を読む機会があっ たので、橋の歴史から知ればすこしは考えも変わるかもと思い、読み始めた。 本によると最も古い橋を作ったのはエジプト人だとなっている。 橋といってもとてつもなく大きな岩を横倒ししただけのものだ が、問題はその岩をどのようにして動かしたかということにあると思う。 ピラミッドでも同じことが考えられる。ピラミッドを作る 際には、公共事業として何千人という働かせていたと聞いたが、この石橋の 場合も同じことが言えるのだろうか。エジプト文明の技 術と労働力には、もっと深いものがあるような気がする。 本書を読み自分が最も関心を持ったことは、ローマ人の知識と技術の高さ である。エトルリア人から学び、自分たちで改良を加 え、西洋架橋技術の基礎を作り上げた。現代の橋も、ルネッサンス時代に 考えられた欠円アーチや籠手型アーチも元となったのは ローマ人の技術であったなんて全然知らなかった。またローマ人はアーチの 技術を橋だけでなく、水道や建築にも応用していた。他 にも測量や木造構造、クレーン、コンクリートを打ち込む技術など、 大いに現代に貢献したことはまさに驚きとしか言いようがな い。ローマ帝国があそこまで大きくなった背景には高度な橋の技術の おかげで道路を思い通りに作ることができた事が大きな要因の 一つであるという新しい発見もした。 本書の序章に「教師向け」や「易しく述べた参考書ではない」というような 表現がしてあったので、心配だったが、写真や絵が多く記 載されていたので、飽きがこなく、次のページ、次のページ‥と どんどん読むことができました。読み終わった自分は本に出てくる 橋を実際に見たくなるくらい橋好きになりそうです。 そういった機会を与えてくださったことに心から感謝したいと思います。 まず、わたしがこの「橋の文化史」を読むにあたって、この 「橋の文化史というテーマから、長い歴史の中にある、世界のあらゆ る地域にある、さまざまな橋という橋の建築様式を列挙するような内容で あるのだろうと予想しました。世界のあらゆる地域にある歴 史的な橋とその建築様式を知ることができるのなら、建築を志す私たちに とってはとてもありがたい本だと思います。しかし、正直な ところ、まだ建築様式をかじった程度のところに、たくさんの複雑な 建築様式ばかりを目の前に並べられても、理解できない部分が多 く、少し読みづらいのではないか、と思いました。そのため、読み始める までは少しとっつきにくい感じがしました。しかし、いざ読 んでみると、ただ橋の建築様式だけを並べるというものとはまったく 違うもので、むしろその橋や建築様式が、どのような歴史・時代 背景を中心に出来上がったのか、ということがたくさん書かれて いました。私は高校時代に社会科で世界史を選択していたので、歴史 や時代背景のことについては結構理解できるものが多くありました。 そして理解できる部分が多かったおかげで、その歴史や時代背景 と橋の建築様式などを絡めて、この「橋の文化史」を読むことが できました。自分の世界史の知識で興味があったのは、エジプトでで きたというものすごく古い時代の橋や、ゴシック様式の尖頭アーチなど です。特に気になったのが、ゴシック様式の尖頭アーチです。 尖頭アーチというのは、ただ単にその当時の宗教的な美意識からきて いるものだと私は思い込んでいました。しかし、尖頭アーチとい うのは、ただのビジュアルではなく、当時の技術者たちの技術の粋を 集めて作られたものであるということでした。私はそこに、見た 目だけでなく、機能をも追い求めていた当時の技術者たちの偉大さを 感じました。尖頭アーチの例以外にもこの「橋の文化史」では、 1135年から1146年にかけて建造され今もなお機能している橋や、 現代の技術を生かして建造された橋なども紹介し、まさに橋 の歴史を網羅していて、自分にとってプラスになることがたくさん あり、とてもタメになりました。 最後に、私に橋の歴史を知るチャンスを下さったベルト・ハインリッヒ氏、 宮本 裕氏、小林 栄信氏に感謝と敬意を表します。 どうもありがとうございました。 この「橋の文化史」はその名のとうり古代の橋の成り立ちから、 今のさまざまな橋に至る過程が、アンリ・ナビエやアルベルティ、 ジャン・ロドロフ・ペロネなどの橋を作るにあたっての偉業が興味 深い設計図や橋を作る過程や時代背景とともに詳しく書かれてい て、とても読み甲斐のあるものでした。レーゲンスブルグのドナウ 橋で、人々が橋を強化するために橋脚のところに人工島を作った り、上・下流に水車や運河を作って四苦八苦するところなんて僕も その人々のように人工島や運河を作ればいいじゃんと考えていた ので、とても面白かった。 古代では、石桁が厚く径間が短いもので、耐久性が重要であり、 石の破壊をもたらす引張応力を圧縮応力に転換することが課題 だった。やがて石を運びやすくするため彼らは石を小さくし、石を 段段に積み上げ片持式アーチを完成させた。これはアッシリア 人、やがてローマ人の手により凝似アーチから真のアーチに 発展した。これには切石・積石技術、エルトリア人の活躍が大きかっ た。そして橋はよりスパンの大きいものになっていった。それから 時代はルネッサンスになり開口部は大きくなり、完全な円弧アー チになった。しかし当時は橋も軍事力の一部であった。ただし 皮肉なことに繰り返される戦争の中で、ローマ人はすばらしい橋を 作ったのも事実であった。戦争が高度な技術を生み出すのは、 悲しいことだと思う。 やがて、ローマ帝国が崩壊しいったんローマ人の橋建築の 基礎技術が忘れられたが、アルベルティ、レオナルド・ダ・ヴィンチな どによって橋はさらに発展した。このころの代表的な橋として、 フィレンツェのヴェッキオ・サンタトリニタアーチは半円状のもの からより開口部の広く、美しい扁平なものになり、多中心籠手型 アーチに発展し、ヴェネツィアのリアルト橋、ニュルンベルグの肉 屋橋がある。そして私が一番興味が湧いたのは、ペロネのヌイイ橋 のところでした。なぜなら橋を作るまでの過程などが 挿し絵な どで詳しく説明されていて、読み手にとってその計画の壮大さが 伝わってくる感じであったからです。その後鉄道建設、アウトバー ン建設の時代がきて、さらに高度な技術の発展の結果、ゲルチュ谷 やエルスター谷のような橋建設が難関であったところにも橋が作 られていった。そして鋼やコンクリートの橋が生まれ現在の私たち が普段目にする橋になっていった。 私の実家の近くには、鬼怒川が流れています。そこには、 国道や県道などの大きな道路にかかる市街地と工業地域や大きな町とを 結ぶ鉄でできたトラス橋、コンクリートでできた近代的な橋から、 地元の人しか使わないような木や植物でできた誰が作ったのかさ えわからない橋もあります。しかしどれもその風景にマッチして いるように見え、この本の名前のように橋の文化を少し見ることが できた。 それからこの本を読んで思ったことは日本の橋技術は、 日本の厳しい自然環境や地震などの自然災害からわれわれを守っていると いうことに気づき、相当高度なものだということに気づいた。