大学生の冬休みに見つけたこと 冬休みに旧友と再会しました。そのとき、進学した人と就職した人は違うなと感じました。 進学した人は、高校生の頃と大して変わりは無かったのですが、 就職した人は、大人の仲間入りをしているような気がしました。 大半の人が高校に進学をする今日では、高校卒業後の進路が人間形成に大きな影響を与えて いると思います。進学した者は今まで通り、もしくはそれよりいろんな意味で (主に時間的に)余裕のある、自由な生活をしている人が多いと思います。よって 成長している人は少ないのですが、逆に就職した人は(私の友人、知人に限って言えば)、 寮に入って時間的に拘束されたり、体を鍛えたり、先輩とお付き合いをして、 肉体的、精神的に強く、大人になっています。近年の成人式での新成人のコメントをテレビで 見ていると、コメンテーターは「進学組より就職組のほうがまともなことを言っている」 といっていました。高校生の頃は、インタビューした一部の人だけだろうと思いましたが、 今ではそれも確かに一理あると納得させられます。 北朝鮮について 最近のニュースで、日本人の拉致された人の数が数百人とも言われているが、 今までただの行方不明者としていた国の対応に私は許せません。 また、拉致被害者が約二十年も経ってから日本に帰還したのはやはり、 政府の対応に問題があったからだと思います。 被害者家族が昔から必死になって運動や署名活動を行っていたにもかかわらず、 国は軽い返事を返すだけで北朝鮮と話すそぶりもなかったようにしか私には思えません。 また、中国にある日本大使館に北朝鮮の人が逃げ込んだときも、 本来入ってはいけない中国人警備員をやすやすと入れてしまい 日本人の対応がうまくいっていないので大変残念です。 テレビでは、日本に帰ってきた拉致被害者の方々の行動や生活を過剰に報道 していると思います。ノーベル化学賞受賞の田中耕一さん以上に疲れていると思います。 また、報道だけでなく、これに続いてほかの拉致被害者達の問題解決もテレビで 積極的に放送してほしい。 最後に日朝関係が無事にうまくいくように傍観するだけでなく、 それに対する知識を知り、協力することは何かじっくり考えたい。 北朝鮮について 北朝鮮という国について、私が興味を持ったきっかけはやはり拉致被害者が帰国 してからだろう。今まで拉致を認めなかった北朝鮮が、一転して拉致を認めた ということは、深刻な食糧不足が背景にあると思うが、拉致問題を外交のひとつの 手札のように使っている北朝鮮にも、今まで何もしてこなかった日本政府にも 大きな憤りを覚える。ここにきて再び核開発に着手しようとしているのも外交を 有利に進めるためではないかと思う。日朝間の関係でポイントとなる国は、 ロシアであろう。北朝鮮とロシアは昔から仲がよい。飛行機嫌いな金正日が 列車を使ってロシアに行ったのも頷ける。曽我ひとみさんの夫の件もそうであるが、 日本だけの問題として考えず,他の国ともうまく足並みをそろえて 北朝鮮問題に取り組むべきだと思った。また、加熱するマスコミの取材もどうかと思 う。彼らが望んでいるのは、家族と一緒に普通の生活を送る事ではないかと思った。 大学生の冬休み中に発見したこと。 この冬休みは冬休みのはじめから実家の方に帰っていました。 僕はどちらかというとおばあちゃんっ子で小さな頃から近くに住む祖母 の家に一人でよく遊びに行っていました。祖母も僕と姉の二人しかいない孫を とても可愛がってくれていました。実家に帰るときはその 祖母に帰った事を知らせることから始まります。今回もいつもの 様に帰郷を知らせ、祖母を含めた家族でご飯を食べました。 でもいつもどうりの休みではありませんでした。年末のある日祖母が亡く なったのです。バックしてきた車にぶつかり頭を打ちその日のうちに死にました。 なんでも自分のことはちゃんとやる元気だった祖母の 死を通して僕は思いました人間はこんなに弱いんだなぁと。そし て大好きだった祖母のためにも生きようと思いました。 人の命、生き物の命をもっともっと大切にしていかなければならない。そんな 忘れかけていた気持ちを改めて発見できた、そんな冬休みでした。 最近特に北朝鮮についてニュースやワイドショー、新聞で取り扱っているが そのような報道を見て思うのは何が正しいのかわからないということだ。 拉致についても最終的には認めたが最初と最後でいってることが違かった。 こういうのが信用できないのだと思う。今凄い食糧難らしいが 将軍の姿を見ると肥えてるとしか思えない。でもどこかの村の映像では 飢餓に苦しむ子供とかが写っていたりして酷いものだ。 一方では何かの行事では裕福そうな子供とかが踊りながら将軍様を称える歌 とかを歌ったりと同じ子供でも差があると思った。北朝鮮では畑の作物が 育たなくても一定期間経つと収穫するらしい。更に隙間なく植えるから 肥料が足りず育たないらしい。そのせいで食糧も更に足りなくなってるそうだ。 報道をどこまで信じていいかわからないが、もし本当なら何を考えているんだという 気分だ。あと少し前に三陸沖にテポドンがおちたが、今のテポドン2には 核が搭載できるらしいので何もないことを祈る。 私は拉致問題で北朝鮮の対応に許せないことがある。 北朝鮮は日本が5人を返さないから日朝交渉を再開しないという。 さらに、泥棒よばわりまでする。しかし、これはおかしいのでは ないだろうか?もともとは日本の住人を盗んだ(拉致した)のは 北朝鮮であって、5人は日本の人間だ。金正日は人間的にどうか していると思う。同時に5人の拉致被害者の北朝鮮に残した家族 も心配です。北朝鮮(金正日)は何をするかわからない、 反逆罪として処刑されてしまわないか心配です。しかし、 北朝鮮にいる家族に対しての5人の対応もおかしいと思う。 自分の家族は北朝鮮で何をしているのかもわからないのに、 自分たちは、のほほんとパソコンをしたり、温泉に行ったりして 生活している。帰国した最初のころは家族の所へ帰るつもりだったのに いつのまにか、そんなつもりもないようだ。日本で待つという 気持ちもあるのだろうが。日本の楽しい生活に慣れてしまったのだろう。 何よりも自分が大切なのだろう。最初のころの気持ちは薄れてしまった と私は思う。 拉致問題の早期解決を祈る。 今世界で注目されている出来事の一つである北朝鮮問題。日本との間では拉致問題、 世界から見ると核開発問題。どちらもテレビのニュースや新聞に毎日報道されています。 拉致問題は日本だけではなく韓国などの隣国とも問題はあります。僕はこれらのことは ニュースを見てはじめて知りました。どうして北朝鮮はそんなことをするのか、 日本を始め世界はこれまで何をしてきたのか様々な疑問があります。 そしてやっと北朝鮮は日本と話し合うことになった。しかし「嘘の報告書を提出した」 「日本が援助をしても国民に行き渡らない」などのニュースを耳にするとまだまだ 解決はしないのかなと思います。核開発問題にしても今世界ではいろいろな 防止条約があるなかでどうして疑われるようなことばかりするのか疑問が絶えません。 そしてさらに国民の貧困。このようなことがあるのだからもう少し友好的にしていけば いいのにと思います。そして戦争だけは避けてほしいと思います。 大学1年の冬休み僕はスノーボードに没頭した1ヶ月だった。 僕は高校1年の冬からスノーボードを始めたが、高校の課外授業、予 備校の講習、受験などであまり行くことができなかった。しかし、 今冬、大好きなスノーボードに熱中でき、とてもいい冬休みをお くることができた。 岩手の冬はとにかく寒い。寒いというより、痛いという感じさえする。 マイナス10℃以下なんて福島ではありえない寒さだ。普通 ならつらいだけかもしれないが、僕にとってはうれしいのだ。 この岩手の寒さが、さらさらの最高の雪を降らせてくれるのだ。 今まで、何度も転んだし、これから何回も痛い思いをすると思うが、 やっとやりたい事が思い切りできる環境になったので、とこ とん没頭したいと思っている。 こんなに、やりたい事だけ考えて、好きなことに没頭したことは 初めてだった。大学生のうちしかできないことだと思うので、こ の冬休みをきっかけに、大学生活を思いっきり楽しんでいきたいと思う。 大学生になり盛岡にきて10ヶ月がたちました。いろいろなことがあってそれなりに生 きています。私は推薦入学のため盛岡の2、3月をまったく知らずに住んできました。 それはそれでよいことなのでしょうが、最近ではとても毎日「怖い」思いをしながら暮ら しています。東北なのだから仕方ないといわれましたが、やっぱり歩いていて靴がズル っといくとかなり怖いものがあります。それなのに自転車に乗っている人達を見ると乗っ てて大丈夫なのかと思います。学校から私の住んでいるところまでは少し坂になってい たり、一日中日光があたらないところがあるので、とてもオソルオソル歩いています。こ の前、転んでしまってもう歩きたくない毎日です。あ〜学校に行けるかなあ。もうひとつ 心配なことが・・・。受験生の皆さんがたくさん岩手大学でセンター試験を行ったと思うの ですが、どうが「すべる」ことのないように慎重に自分の道を歩んでくださいね!!あと ケガにも注意してくださいね。 遅くなりましたが、 宮本教授、あけましておめでとうございます。今年もよい年でありますように・・・ 健康には十分お気を付けください。 私の実家は宮城にあります。冬休みにも入り、私は久しぶりに里帰りすることに しました。実家には東京から帰ってきた兄もいたので、久しぶりに家族四人で出かけたり、 食事することもできました。それに高校時代の友人達とも久しぶりに再会し、朝まで高校 時代の話を思い出しながら楽しい時を過ごしていました。 そしてこの冬一番思い出に残っているのが初詣での出来事です。初詣には、 高校時代仲の良かった友人達と出かけました。お参りをして、いよいよ次は年始め恒例の おみくじです。くじをひくとなんと初めて大吉が出たのですごく喜びました。 しかし友人達には「大吉のほうが実はいっぱいあるから、吉とか小吉とかのほうが いいんだよ。」と言われ、(うそでしょ)と思いましたが、帰ってから母にそれを 言ってみると、「大吉は出たらもうそれ以上良い事は無いから、あんた今年の運 もう無いかもね。」と言われ、いっきに喜びが悲しみに変わりました。 初めて乗った「はやて一号」 今日は実家に帰る日だ。少し早めに駅に向かい、緑の窓口で切符を買う。乗る電車は九 時二十二分盛岡駅発・はやて一号。はやては全席指定だが八戸〜盛岡間は空席を利用でき る特定特急券がある。料金は廃止になった特急はつかりと、あまり変わらない。空席を探 し、座る。座ったのは窓際、なかなかの座り心地。景色を眺めながら、四十分を楽しもう !!って思った。しかし、ほとんどがトンネル。。。景色を楽しもうという考えは、ソッ コーで消滅。新幹線はかなり静かに暗闇を走っていく。しかし、九時五十二分アクシデン ト発生!!!二戸駅手前のトンネルで緊急停車。「車掌が十番車両で異常な物音を聞いた ため、ただいま点検をしております」とアナウンスが流れる!九時五十七分に無事に二戸 につく。しかし、ここでも「再点検のためもうしばらくお待ちください」とアナウンスが 流れる。そのあとは、道中何事もなく十時十八分に十四分遅れで八戸駅に到着。 なにはともあれ、いい体験だった。僕はこの土産話をもって、親の待つ家へと足を急が せた。 生き甲斐を感じるのは、自分が目標に向かって何かを頑張って、 その目標が達成されたときとか。または、自分の好きなことをしてい るとき。趣味としては、車に乗ることや、絵を描くこと、音楽、釣りなどで、 とくにも車は一番好きっす。他には、誰かのために何か をしているとき。逆に、人をだまして自分の利益になったときにも 生き甲斐は感じるかもしれなっすね(笑)。 私は、冬休み中に様々な発見や体験をしましたが、その中から2つ、 この冬に初めて発見したことを書こうと思います。 まず一つ目は、冬休み中、スーパーの惣菜コーナーで寿司のほうのバイトを してみて発見したことですが、バイトをするまで寿司はけっこう好きな食べ物 でしたが、バイトで二週間ほど軍艦巻きや寿司の詰め込みなどを毎日していたら、 バイト後は酢の匂いや刺身や寿司を食べるのが結構嫌なことになりました。 今はもう大丈夫になりましたが、こんな短期間で体は自然と拒否反応など 色々な反応を示すとは、人間の体は、すごく複雑であり、適応能力に優れている ことを身を持って発見しました。 二つ目は、大学生の冬休みは高校の時とは違い、やるべきことは少なく 比較的にまさに冬休みという感じがしたことです。しかし、高校と違って やることが少ないといって、ただ何もしないで一日一日を過ごすのではなくて、 勉強やバイトなどをして有意義に過ごさなければならないということも分かりま した。 以上のような発見や体験を、これからの生活や長期休業の際に活かして大学生活、 を充実したものにしていきたいと思います。 ぼくが、生きがいを感じるときは、スポーツをしているときです。 大学に入ってからは、部活もやっていないので体がなまってしがいがちです。 休みの日も、アルバイト以外ほとんどやることがありません。 だから、週に一回ある健康スポーツで体を動かすと、とても爽快な気分に なります。そのときは、友達もたくさんいるのでとても楽しいです。 また、新たな友達との出会いもあるので、楽しいです。 ほかの生きがいは、実家に帰ったときに、うまいものを食べることです。 一人暮らしをしていると、あまりいいものを食べられません。 生活費を気にして、安くて、作るのが楽なものに、なってしまいます。 実家に帰ったときにうまいものをみると、なぜか笑顔になってしまうのが、 自分自身不思議です。そして、それを食べ始めると、もう生きていて よかったと思います。実家で、いとことかと、食事をしたりすることが あります。大学にはいって、一人暮らしをしていると、ご飯を一人で 食べる機会が多いので、あまり楽しくありません。やっぱり、 実家にいるときみたく、大勢で食べる飯は、とてもうまいです。 くだらないかもしれませんが、これがぼくの生きがいです。 「推薦入学者へのアドバイス」 推薦入学の先輩でもある自分からのアドバイスは3つあります。 まず1つは、勉強しすぎない事である。あくまでも自分の経験なのだが、 学校の冬期講習などを真面目に全部出ようなどと考えていても、 途中で面倒になるのが目に見えている。しかも、まだ合格が決まっていない人に とっては嫌味に感じられることだろう。 そして2つめは、勉強しなさすぎない事だ。今度は、だからといって 全然勉強しないのも大学に入学してからの勉強にも困るし、 勉強のサボリ癖なんかついてしまったら4年じゃ卒業できなくなる可能性も 出てくるでしょう。 最後に3つめは、何か今までと違う事をしてみる事だ。 自分の場合は、自動車の運転免許を取得しに行きましたが、独りで旅行に 行くのでも良いでしょうし、今までアルバイトをした事がない人は やってみるのも良いでしょう。しかし、免許を持っていると、他の皆が 持っていないので優越感に浸ることができます。 自分はこの3つをバランス良く行なったので、今では楽しい大学生活を 送れていると思っています。 「生きがいを感じるとき」 生き甲斐という言葉を調べてみると「生きる張り合い。生きていてよかったと 思えるような事。」だそうです。生きていてよかったと思えるような事、 それは、死ななくてよかったと同じことなので、もし世界の終わりがきたら、 自分が今一番何をしたいのかを考えてみました。私は家族や好きな人と 一緒にいたいです。やはり最後は、幸せでありたいからです。生まれてから ずっと一緒にいて、よく考えてみないと幸せだということに気がつかず、 いつも一緒にいて、喧嘩したり、悲しかったりするけど、死を考えて思う のは、家族や好きな人の顔です。楽しかった事ばかり思い出します。 自分にとって、家族や好きな人といることが、生きる張り合いになっていた のだと思いました。私にとっての生き甲斐は家族や好きな人と、笑ったり、 泣いたり、喧嘩したり、"笑ったり"することです。 いまニュースをみると、確実に目にするのが北朝鮮についての話題である。 特に大きく取り扱われるようになったのが、拉致問題を認めてからだが、 最近は核兵器のほうがむしろ重大になっている。 新しい原子力発電所の開発や、火力発電用の石油をアメリカに援助してもらい、 また日本や韓国、EUまでもが資金をだしているのに、いまさらになって IAEAの査察を受けないし、核兵器まで作ってしまうとゆうわがままな子供の ような態度は、すでに国家的犯罪レベルと言える。唯一の被爆国である日本が もっと働きかけていかなくてはならない問題だと思う。アメリカのほうが 目立っているようでは駄目だ。このレポート書いているとちょうどニュースで、 北朝鮮で反米感情を高めるためのドラマが放映されているということをいっ ていた。援助を受けつつも、敵対意識は持っているとゆう本当にわけの わからない国だ。本当にいつまでたっても「近くて遠い国」だと思った。 私は北朝鮮について変な国だと感じます。確かに政治は国によって様々であり、 日本でずっと暮らしてきている私にとって変わって いる国と感じるのはしようがないと思いますが、テレビの報道を見ると、 北朝鮮国民は明らかに不満を抱いているようです。「将軍 様、将軍様。」と国民の事がかわいそうで仕方ありません。金正日という人は 、何か自己満足で政治をやっているのではないかと感 じてしまいます。食料もそろそろなくなってきたりしているのにあの人は一人だけ ぽっちゃりと体型を太らせているように感じま す。国を強化させる以前に今、国民のことを考え、不満と不安を少しでも回復させる 必要があるのではと考えます。日本や韓国に勝 ろうとする気持ちはわかりますが、拉致するのは卑怯であり、迷惑でしようが ありません。日本で拉致されているご家族の方を見て いると本当にかわいそうです。拉致した人に対して北朝鮮の仕打ちはかなり 汚いものと想像してしまいます。私は、日本の拉致され ているご家族の幸せと、今の北朝鮮の国民の幸せを本当に心から願っています。 私の生き甲斐感じるときはと聞かれてみると、実際改めてなんであるか 考える破目になってしまう。ともかく、今は大学に進学でき たことによって色々な事を吸収できているということ。毎日の講義によって 新しい知識を得たり、アルバイトを通して働くことの大変 さや人間関係のあり方、最も大きい影響を与えているのが友達の存在であると 思う。悩み事などは真っ先に友達に相談する。そうする ことで物事が解決するとは限らないが、自分自身、気分的にかなり楽になる。 なぜだろうか。私の周りには、たくさんの友達がいる。 何があっても気さくに応じてくれたり、話してくれたりと気軽さがある。 それから、何をするにしてもとにかく楽しい。それぞれの個 性がとても光っている。みんなとてもいい人ばかりだ。そういう友達の存在 自体が自分にいい影響を与えてくれているのだと思う。も し周りの友達がいなくなってしまえば、今の充実した生活はもちろん、 生き甲斐は感じ得なくなるに違いない。だから、友達を大切に してこれからも楽しい大学生活を送りたい。 (自分へ:勉強のほうはどうだ?遊ぶ楽しさだけでは駄目だ!) みんな、これからもよろしく!! 冬休み中に気付いたこと 私は青森県出身で22日に帰省しました。私は帰省すると、アルバイトを探す というのが習慣になっていて、現在、建設環境工学科 に所属しているためか、環境の事に興味を持ち、今回はリサイクル工場で働く 事にきめました。その工場では、缶・ビン・ペットボ トルなど生活用品から、電線・耐火ボードなど、あまり触れた事もない物まで 扱っていました。私が、担当したのは缶を砕きチップ にする機械の操作でした。仕事自体は簡単だったけど、空き缶の強烈なニオイ に耐えるのが大変でした。仕事にも慣れてきたある日、 いつもかぶっている黄色いヘルメットを忘れた私は所長の所にヘルメットを 借りに行きました。そしたら、所長が笑いながら二本線 のヘルメットを貸してくれたのです。すると、その日は、なぜかどの従業員 も丁寧にあいさつしてくれました。何かおかしいと思い 後で聞いたら、そのヘルメットをかぶれるのは常務や専務たちだけかぶれる モノだったのです。私は、まんまと所長にはめられまし た。どうりで、知らないおっちゃんたちまであいさつするわけですよ。 でも、それは所長が自分を仲間として認めてくれた証拠だっ たのかもしれません。まぁ、そんなこんなで、社会の厳しさと仕事の楽しさに 気付いた冬休みでした!言い遅れましたが、今年もヨ ロシクおねがいします! コンビニの店員・・・。それは儚くも美しいお仕事・・・。それは他人から 見たら、あれほど楽な仕事はない、というように軽視されがち な印象のあるお仕事・・・。それは他人から見たら、レジしかやってないじゃん、 と思われがちなお仕事・・・。しかし、その実態は、寒風吹 き荒ぶ中で駐車場の掃き掃除をしたり、冷たい水で窓掃除をしたり、寒い冷蔵庫の 中で長い時間仕事したり、どんなに酔っ払ったお客様 が来ても冷静に優しく応対したり、105円のものを買って10000円を 私の前にポイっと投げるようなお客様にも快い接客をした り・・・。結構つらいんです・・・。しかし、そんなお仕事の中にもお客様の 嬉しそうな笑顔があり、感謝の言葉があり、私は多少給料が少 なくても、利用するお客様が多すぎても、私はやりがい、生きがいを感じられる のです。そして私は今日もこう言うのです。 「いらっしゃいませ、こんにちわ。」と。 「大学生の冬休み中に発見したこと。」構造力学レポート 今回、私は「大学生の冬休みに発見したこと」を書きたいと思います。 私は青森出身なのですが、盛岡に来てまずビックリしたのは 想像以上の寒さでした。青森より南にあるため、わりかし暖かいかなと 思っていたのっですが、大きな誤解でした。本当に寒さのあま りこのまりこのまま生きて行けるか心配でした。やっと実家に帰れる日に なったひには、何とも言えない気持ちでしたね。内陸地盛岡 恐るべし‥‥‥。あと、天気予報で水抜き情報って言うのをやってるのも、 何か変な気持ちですね。ちなみに、青森では水抜きと言う ものは、ほとんどありません。あと、アパートとかお見て気づいたのですが、 何故かしら盛岡ではガスの湯沸し機が多い。良く某CM で、「名探偵コ○ン」がやってる様なやつです。あれ、全然使えませんよ。 湯にしたとたんにチョロチョロってくらいにしか出なくな るんですよ。ほんと、アレでは盛岡の冬は越せません。カゼひいちゃいます。 私も、4月からアパートを変えるつもりです。ここまで は何とかしのいできたのですが、とうとう我が家(自分のアパート)にも 自然の猛威が!!冬休みが終わりに近づき、こちらに帰って きて驚きました。トイレの水が‥‥‥。自然の力を感じると同時に、 私の財布からお金が消えました。この瞬間0.5秒、「脳」と言う 私のスーパーコンピューターが「引っ越す」と言う文字を叩き出しました。 ここまでは、何か盛岡の悪い点しか言っていない様な気が するので、盛岡のいい所を言いましょう。「笑って○いとも!」がちゃんと 昼にTVでやっているのです。これを普通だと思っている 人もいるかも知れません、しかーし、青森出身の人はやはり驚く。 そう、何をかくそう青森では午後5時からはいるのです‥。お母さ んが夕飯を作っている時に「お昼時は〜♪」って流れてくるのが青森では 当たり前なのです。ちなみに、「サ○エ」さんも盛岡の方が 1週間早い。あと、盛岡の人の根性には舌を巻く。地元の友達がいるのだが、 その人はどんな気候だろうが自転車で大学に来る。氷で 地面がツルツルなのに、「これくらい普通に乗れるよ」と言って、 本当に普通に乗っている。普通は乗れません‥‥。危ないので止め ましょう。でも、彼だけではなかった。地元の人、みんな乗ってました。 青森では、こうはいきません。盛岡と違い、積雪量が多いか らです。歩くのにも一苦労なのに、自転車なんてとてもとても。 ここまで、とりとめもない話に付き合ってくれまして、ありがとうご ざいます。 私が冬休みに発見したことは、冬休みを実家で過ごすと太ってしまうということです。 やっぱり実家に帰ると安心して、気が抜けてしまいます。それに、普段自分でしている ことを母親にやってもらえる。そんな環境にいると、どうしてもだらだら生活して しまいます。 また、「盛岡ではいい物を食べてないのでしょ」と言われ、連日、自分の食べたいもの をリクエストしたり、外食に行ったりしていました。特にお正月は食って、寝て、 TV見ての繰り返しでした。「幸せ太り」という言葉がありますが、まさにそのとおり でした。そうして、帰省していた15日間のうちに体重が4キロも増えていました。 少し顔をふっくらさせて盛岡に戻ってくると、皆、口をそろえて「食べ過ぎた」 と言っていました。 今回の冬休みは、親の愛情を十分に感じるとることができました。その結果、 太るということにつながってしまいましたが・・・。今度、帰省するときには、 さらに大人になった自分をみせると決意を新たに今年もがんばろうと思います。 (幸せなのは本人より母親かもしれませんね) 私は、冬休み中考えさせられることに出会い、いろいろと最近考えるように なりました。その出来事とは、人の死です。不幸にも、 私の友達の兄貴や、知り合いのおばさんの死です。特に前者のほうは、 自殺だったので衝撃は大きいものでした。最近まで、元気だっ た人が、こうもあっけなく死んでしまうことに、新鮮であるが昔から 心の底に眠っていたような強い恐怖心を覚えました。私は今ま で、死ということを考えたりせず、っていうか、考えるきっかけも 持てないほど時間に追われるままで、今のような自分になってし まった。正直言うと、今私はその時々に感じる生きがいというものは 感じることはあるが、一生涯かけて感じられるようなものに出 会っていません。私はこの冬にあった人の死から発見し大切に思った ことは、生きているということを当然の事としてとらえては罪で あり、快楽とともに人生の負け犬となってしまうに違いない。 人生の勝者になるには、自分を信じてがんばるしかないのでしょう。 (新年早々暗い話題ですみません。) また、私は人から学ぶ姿勢が、大切であるということも発見しました。 そのためには、相手を自分以上のものとして見る必要があ り、つまらない先入観、つまり偏見を捨てることが肝要なことだと 思います。自分の世界観は、自分次第で決まってしまうものなので しょう。そして私は冬休み中にひとつのことに気づきました。それは 日本のすばらしさです。特にそう思ったのが、映画や音楽などの 芸術性や文化です。わたしはこれまで昔の邦楽や邦画に興味が なかったのですが、半年くらい前から興味が湧いてきて見たり聞いたり しました。(映画では黒沢明、山田洋次監督作品など、音楽では 井上陽水、中島みゆき、かぐや姫などなど、ほかには漫才のやすしき よし、中田カフスボタンなど)特に映画には日本独特の繊細さや感性が、 美しい風景と交じり合って妙に懐かしい気持ちがした。 (やっぱり自分は日本人だなー・・・)最近その日本のよさが失われて いるが私はその良さを広めていきたいと思った。 最後に付け足して、犬という動物はすばらしいと思う。私は雌犬を 買っていますが話の話題の中心が彼女という状態で、自分もかわ いくて仕方がありません。特に祖母にとっては、孫以上の存在に なっています。高いやつもいますが十万円位の値段で彼らは、何気な いしぐさでこれほどまでにわたしたちを魅了しつづけてくれます。 先生も、もしまだ飼っていないならば飼ってみてはいいと思います。 私が冬休み中に気がついたことがあります。私は北海道の 札幌出身なのですが、盛岡と札幌との寒さについての対策です。盛岡は札 幌に比べて雪はそれほど降らないけれど、気温的には札幌と同じくらいで あったり、それよりも気温が下がったりします。そのうえ風 も冷たいにもかかわらず、盛岡の人は薄着で冬道を歩いていると いうことです。私が寒がりなのかもしれないけれど、盛岡で冬道を歩 いている人を見ると、高校生などは制服とマフラーだけで登校し、 大学生であっても薄いジャケットのようなものだけで外を歩いてい るのを見ると、とても寒そうに見えます。 また、家のつくりについても盛岡のアパートのつくりは北海道の 方と比べると、冬の寒さに対して中途半端につくっていると聞きま した。他にも冷え込むときは水道管の水抜きをしないと水道管の凍結 も頻繁に起こるので冬をすごすのなら、札幌の方がすごしやすい と思いました。 私は年が明ける前の一週間ほど、土方仕事を経験しました。 特に今の季節ということもあってとにかく寒く、手が死ぬほど冷たかったで す。仕事は河川の護岸工事で、クレーンでブロックを(ブロックと言っても 相当デカイやつでした....)吊りながら水糸をみて、ライナーを 挟んで高さや向きを合わせていくといった感じで、ブロックの大きさが 毎回少しずつ異なっていたこともあって想像どおり力仕事がほとんど でした。しかし、その力仕事の中にはいろいろな知恵や知識が含まれて いて、建設工学を学ぶものとしてとても勉強になりました。例えば、 護岸ブロックのように重くて思うように動いてくれないときは、 無理にバールで持ち上げないほうがいい....ぎっくり腰になります。なりま した。相当痛かったです。力仕事をする時はベルトを忘れずに。ベルトは友達。 夏休みほとんど帰省しなかった自分としては、初めて長期間実家で 過ごすこととなった冬休みについて書きたいと思います。 実家は、秋田県の横手市にあります。横手市は、県内でも有名な 豪雪地帯です。しかし、帰省した当初は雪が全く無く自転車でも 余裕で過ごせるくらいでした。ですが、自分の考えが甘いと気付くのは そう時間がかかりませんでした。前日までは、路面にも無かった雪が たった一日で1メートル近くの雪が積もってしまったのです。 実家に帰って改めて感じたのは言葉の違いです。 自分の地元の言葉遣いは、語尾に濁点がつきます。 ほんの何ヶ月前まで暮らしいぇいたとは思えないほど、 言葉使いの違いに驚きました。 しかし自分は、その言葉使いにあったかさを感じました。 離れてみて初めて思うことが意外にも多くあった冬休みでした。 私は冬休みのとき、あまり部屋から出ることがなかった。 だから雪を見るのは会館の回りだけだ。会館の回りに 雪が膝までつもっていたことは本当にびっくりした、ある日私は 大学の前の所に行かなければならなかった。そこでもっともっと びっくりしたのは、つもっていた雪だった。つもっていた雪は私の 身長より高かった。それは本当に思わなかった。普通はそのような 高さの雪は山とかスキー場とかにある思う。しかし、大学の 中に雪がそんなにつもっていたことは全然思わなかった。翌日 私は工学部の後ろのアパートに行った。そのアパートに行く 前に工学部の道を通らなければならなかった。その道を 通ると、一台の機械を発見した。それは雪をとるための 機械だった。その機械が動いて、雪をとって、歩きやすい 道を作って、初めて目の前にそのようなことを経験してとても うれしかった。マレーシアでは雪がふらないので、そのような 機械がなかった。太陽が出ると雪が固くなった。だから 道を歩くとすべりやすくなった。初めは面白いですが一回ころんで もう固い雪を見るとおそろしくなった。だから今は、もし固い雪を 見るともっと注意深くなった。 先日テレビでイラクの人が日本の報道人にインタビューされているのを 見た。日本のマスコミはアメリカに有利な情報を日夜流しているので、イラク 側の主張を聞くというのがその番組の主旨だった。そこでは、アメリカは イラクの石油が目的であり、独占したいのだ。北朝鮮に何もしないのは 資源がないからだ、ということだった。私はこれを聞いて妙に納得して しまったのだが、日本のコメンテーターは、これはイラク側が、どのように言えば 味方にすることができるか、日本の国民性をよく研究して発言していると 言っていた。これでは何を信じていいのかわからなくなった。さらに驚いた ことに、イラクの主要な道路を作っていたのは、日本のゼネコンである というのだ。 私は今まで、日本はイラクとは関係が深くなく、たまに石油の取り引き をしている程度で、このような事態になった以上はアメリカ側につき、後方 支援をするものだとばかり思っていた。しかしよく考えると、資源が乏しく、 技術のみで経済大国になった日本がこれから発展するためには、技術 を中東の国々に売って発達する方が得のような気もしてくる。しかし、 ブッシュ大統領も何をしてくるかわからない感じがする。 このように、1つのテレビ番組でさえも、人の心を惑わす力がある。 情報というものも、充分1つの武器になり得るということを発見した 出来事だった。 僕は、この冬休み両親の住んでいる仙台で一泊してから地元の新潟に帰省しました。 新潟には夜に着き、信濃川の川沿いに建っている電気会館で夕食をとりました。 その時思ったことは、新潟の飯はウマイ! やはり地元の新鮮な魚、ご飯は 慣れ親しんだ味なのかとても美味しく感じました。 次の日は大晦日で父方の祖父の家で親戚と一緒に夕食を食べました。その時 食べた寒ブリは、昨日の夕食を超える感動でした。やはり、北陸地方の冬の味覚 は寒ブリが第一等であると僕は確信しました。 さて、雪がたくさん降り積もる盛岡に5日に僕は戻ってきました。 僕の家の近くに食堂があるのですが、次の日の昼にその食堂に行き タンメンを注文しました。そしてタンメンのスープを一口飲んだ時に、 あっ盛岡に帰ってきたと思いました。その時、新潟での気持ちと多少 矛盾があるよなと思いましたが、盛岡が第二の故郷になったのだと思いました。