作文

なんともう2002.1.4に最初のメールが

    

       「橋の文化史」を読んで
 私はこの本を読んで最も印象に残ったのは、ゲルチュ谷とエルスター谷に架る橋で
ある。私はこの橋から、橋とはその国の当時の社会情勢を表しているということを一番
感じた。私は今まで橋を見ると、どんなに大変な工事だったのだろうとしか考えなかった
が、この橋をきっかけになぜ造られたのかをも考えるようになった。
 またこの橋の技術的な面でももちろん印象深かった。この橋には他にもいろいろな
建設方法があったが、やはり最終的にはアーチ橋になった。古代の技術が深い谷という
悪条件の大がかりな橋には生きてくるのだなと感じとれた。そして人手もかなり必要とさ
れ、技術面だけを見ても本当に印象深い橋だと思う。しかも、この橋は緻密な計算に
よって設計され造られたことから、ここから橋梁学問が成立していったのだと分かった。
 しかし、私はこの本を読んで、最初にも述べた通り、橋とは社会情勢を表すという
ことに一番驚かされた。この橋は特にその国の技術の高さだけではなく、社会情勢をも
表すと端的に物語っていると思う。この橋はこの本にも書いてある通り、正に一つの
時代から次の時代へと橋渡しをしたのだ。


”橋の文化史を読んで”
 橋は日常生活に無くてはならないものである。遠い過去においても同じだっただろう。
始めは、ただ向こう岸に渡る為であったので一枚の石版で良かったかも知れないが
時代のニーズというか、橋は桁からアーチへと変わっていった。その間にも色々な理論
も考え出されていった。アーチといっても未だ擬似アーチという段階であった。
それから、真のアーチに移行するのである。アーチ発生のパターン→擬似アーチが
崩れ真のアーチに、斜めになって互いに支えあう二枚の板からアーチに、石桁が
放射状に分割しフラットアーチに。
そして、長い年月をかけて、今日、世界中にある様々な橋にたどり着く。中には、
昔からの橋も数多くあるだろう。        
 僕は将来、橋に関わる仕事がしたいと思っている。今、ある橋よりも、もっと質と
いうか安全でその土地により合った橋があれば・・・と思う。そして、昔の偉人達が
残した数多くの橋にも習っていきたいと思う。 


 何にでも歴史や文化、それに関係する様々な人達がいます。建設分野にも、建物1つ
取り上げても、それ1つにいろいろな歴史があったり、人々が関わったりしています。
今回は、「橋の文化史」ということで、建設分野にとって1つの重要な要素である「橋」に
ついての内容でした。まずこの本を読んでみて、誰でも思うかもしれませんが、
「橋」だけでこんなにも歴史があるのかと思いました。最初に読む前は、昔の橋と言えば
やはり木や石を使って組み立てられているものがほとんどだろうとは思っていました。
しかし、よく考えてみると、現代とはちがい、高性能の機会があるわけがなく、
昔の人はどのようにして今も残るような橋を建設したのだろうかという疑問が浮かびます。
でもそれを昔の建設技術者たちは、構造力学を駆使し、力の分力や伝わり方などを
使って見事な橋を生み出しています。しかも強固であるだけでなく、周囲の景観にも
自然に溶け込んでいます。建物が、以前からその場所にあるように、そしてより景観を
引き立たせることは、並大抵にできることではないと思いますが、それをやってのける
あたりは、ローマやギリシャなどの時代の技術の高さがうかがえます。
 他にもいろいろ印象に残る点がありました。例えば、水路を建設するにあたって、
湿った状態になるとまったく水を通さないという粘土の性質を利用し、壁と壁の間を
粘土で埋めたり、ドーム型の建造物には、様々な骨材を混ぜることで、ドームの重さを
頂上に行くにしたがい、しだいに軽くするという技術を用いたり、またレオナルド・
ダ・ビンチがアーチの推力を、具体的に図を書いて解明しようとしていたことは、
彼が芸術家だとしか思っていなかった自分にはとても意外でした。それから、「橋」が
投資家や政治、戦争などにまで影響を及ぼしていたことも印象的でした。
そして何よりも、ギリシャやローマ、またそれ以前の時代から、建設技術は着実に進歩
していき、百年以上も前に建設された橋が現在も残り、水路や交通路として利用されて
いるということが自分にとっては一番すごいと思った点です。
 これからも時代は流れていきますが、現在の技術の元は、昔苦労して様々な問題に
挑んだ技術者たちであるということを忘れてはいけないと改めて思いました。そして、
いつか自分でヨーロッパに旅行して、実際に現存している橋を見たくなりました。
今度からは有名な橋などを通ったら、橋の説明が書かれている掲示板などを少しは見て
みるようにします。


昔の人が、橋のかけ方のヒントをどこから得たのか不思議でしたが、
本を読んでみてまず自分が勘違いしていたということに気付きました。
昔の人は最初から今あるような橋を考えたのではなくて、
もともとは一枚の石版並べていただけで、
偶然倒れた大木が川を横断したときに橋をかけることを思いついたということです。
構造力学の講義の中で、先輩がマッチ棒を使ってアーチの橋を作った時は、
なぜあのように橋が架かるのか分からなかったのですが、
本を読んで、石をくさび形にすることで力の方向が変わり、
支えられることによって橋が架かったというのが図の説明でよく分かった。
ローマ人はアーチを使って水道橋を作った。
水を運ぶために、高いところから低いところへ流れるように正確に、
水準測量をする技術がローマ時代にあったというのが驚いた。
1キロメートルあたり落差34センチという勾配差をどこまでも維持し、
水の流れを速めもせず遅らせもしないというのは今の技術でも難しいと思う。
また重い石を高いところまで持ち上げるクレーンまで作られていたというのだからさ
らに驚いた。
橋の文化史という本を読んで、昔から今までの橋の歴史を知るとともに、
その時代ごとの橋を架ける技術や政治的、軍事的な背景を知ることができた。
この本は図や写真の使い方がうまく、分かりやすいものだったのですが、
一部分からない専門用語があったので、注釈を入れていただければ良かったと思いま
した。


向こう岸に渡るために橋は生まれました。その歴史はとても古く、起源はまったく
わかりません。川に木が倒れて、ちょうど橋になっても、それも紛れもない橋です。
 橋というものは、当然私が小さかった頃から、普通にありました。橋とそれにかかる
桁、それが、橋だと私は思っていました。アーチ橋などまったく知りませんでしたし、
トラス橋のトラスは単なる模様だと思っていました。
 私は、構造力学を学ぶことによって、トラスのその構造がもつ意味や、アーチ橋が
なぜその形で成り立っているかなど、多少なりとも理解できるようになってきました。
私は、大学に入ったからには、そして建設環境工学科に入ったからには、そのような橋
を設計しなければならないかもしれません。そのためには、過去における橋の歴史や
手法などをしっかりと学ばなければなりません。このたびはこのような機会を与えて
くださったことに多少なりとも感謝しております。
 私がこの本を読んだ中で、一番重要だと思ったことは、その橋を建設するにあたって、
公共性があることは、いうまでもありませんが、そのときに使われる労働者の存在です。
その当時、鉄筋コンクリートやプレストレスコンクリートなどがなかった時代、石を
切り出して作ったり、レンガを積み上げて作ったわけで、その労働者の数といったら
相当なものだったはずです。その当時、労働組合などなかったわけですから、労働者
たちは安い給料で厳しい労働を強いられていたはずです。彼らは主に失業者たちだった
らしく文句も言えず、五体満足だったものが、不具合になってしまうケースが多々
あったそうです。そのような記述を読んで身の引き締まる思いがしました。安全第一で
いきましょう☆

この本を読んで特に興味を持ったのは『4、擬似アーチから真のアーチへ』、
『8.技術者にとっての新しい問題』という2項目だった。
『4、擬似アーチから真のアーチへ』という項目の中で印象に残っている点はただ石を
向こう岸へ渡すだけの橋から、石を積み上げただけの擬似アーチになり、そして、
くさび形石を使う真のアーチへという橋の進化だった。ほんと何もないとこからの進化
はすごいなとおもった。
『8.技術者にとっての新しい問題』の中でも、いままで普通に道路を作っていること
から、鉄道を作り、レールを敷いていくために発生する問題点などに特に興味もった。
普通の橋梁建設と鉄道のための橋梁建設とはこんなにも違う点があるだなあと驚か
された。それを克服してきたから今の橋の姿があるのだなあとおもった。
この本を読んで思ったことは、昔の人はかなり偉大だということと橋というものは
すごい歴史を経て出来上がってきたものなのだなあということだ。

自分にとって[橋]というものに興味を持ったのは、小さな時にTVでパスタの麺で1mの
橋を作って強度を競い合う映像を見た時である。その影響もあって今、この大学に在籍
しているわけだが、この書籍はその文化を知るために非常に有意義なものである
(ヨーロッパに限定されるが)。ヒトが橋を架けることが樹木を渡した時に始まり、
色々な難題の克服とその応用によって今日に到っているが、その進化の過程には橋の
求められた歴史的背景がある。それはただ向こう側に渡ることから始まり、戦争での
兵士の移動のためや帝国の維持のため、良水を離れた水源から得るためなどである。
このような、目的のためにヒトは、自然材料から二千年ほど前に、今も現役で使用され
るほどの橋を建設する技術を作り出しているところがヒトの凄さが伺える。しかもその
ような技術が近年まで口伝で継承されていたことも技術の凄さの反面、人間臭さが非常
に伝わってくることがおもしろい。それ故にローマ人が開発した基礎工事の技術と、
コンクリート工打込み技術はすっかり忘れさられてしまったというのも頷けることで
ある。そのことの裏には、現在完全に忘れ去られている技術が存在するかもと考えると
これまた楽しいし、考古学者の新たな発見に期待したい。さらにオターヌスは石灰
モルタルを強固にするために卵の白身とワインを配合する辺りにも昔人の化学とは別の
人間臭さが見られる。技術の進歩過程の最初における片持ち式について本書では『積み
木で橋を作るとき、子供・・・』この一節の後にある登場するミケーネのアトレウスの
宝庫における巨大な建造物にまで使用が出来るこのことは、私の心を非常に熱くさせる
といったら言い過ぎではない。この応用がアーチ型の橋となるが、これよりも一見する
と大変に非合理的と思える尖頭アーチの方がロマネスクの円アーチの方より合理的で
あることに驚きを隠せない。先人達は経験を通して理解していただろう。橋だけでなく
その周辺の運搬器機などの原型も書かれているが、現在のモーターを利用した重機など
無い時代に、あれだけ巨大な建造物を建てるために木材と少しの鋼で四人のヒトで3t
のものを持ち上げられるほどの作業機器を開発したことに人間の凄さが垣間見える。
さらにオットー・ボルトスのプリーンザオ橋という大きな橋からその都市の歴史その
ものを理解し類推できることに歴史好きにはロマンを感じずにはいられない。自分の
近辺にある橋にも橋の存在の裏に歴史が秘められているかもしれない。
この本の中の一節に『橋を作ったりその他の大規模な構造物を作ったりするためには、
純粋に建設技術そのものの分野において諸条件が整っていることは言うまででもない
ことだが、そのほかに文化的、社会的、経済的、政治的な面においても諸条件が前
もって整備されていることが必要であったのである。』と書かれているが、このことは
今までの人間の歴史そのものからも実証されていることだし、この書籍はこの一言に
まとめられると思う。人間の進歩と共に発達してきた橋について考えさせられたし、
今後どのように発展するのかさえも考えさせられた。

向こう岸に渡ることが、橋を作る理由であって、綱を張って向こう岸に渡る方法や、
台の上に桁を渡して向こう岸にわたる。石で作った橋は大きな石を使っているので問題
は、その大きな石をどのように運ぶかである。どのくらいの人間の力が必要だったかは
想像できない。難しいことはよくわからなかったけど、橋の郷土を知るための公式が
発見されるまでものすごい時間がかかっているので、そういうことを考えると、自然に
構造力学の基礎を使っていたので、歴史が今を作っているのだとわかった。
前ローマ時代には、いくつかの適当な大きさに砕かれた石を組み合わせて橋をつくって
いた。原理は、石を上に置いて、それを少しずつ前にずらす。それを繰り返し前のほう
に張り出させる。これで片持ち式のアーチができる。この技術は家屋建築において発展
していった。時代が、そして国が、橋を必要として、つくり、橋の技術が発達していく
のだと感じました
 くさび型の石でできている真のアーチにおいて、丸天井アーチはいろいろな場に
おいて作られ使われた。台石の先端部の開口部が数個の石でとじられるようになって、
その瞬間からアーチがさらにすすんでいった。びっくりしたことは、アーチと丸天井を
シュメール人が知っていたということです。今知っていることが昔は知らなかったと
思うことはよくないことかもしれないけど、5000年も前の人がこのことを使って
いたとなるとおどろくしかない。アーチの技術を発展させたのはエトルリア人、そして
彼らがローマ人の先生である。西洋のアーチ架橋技術の基礎を作ったのは、そのローマ
人であった。エトルリア人、ローマ人は、半円アーチだけを使っていた。ローマ人は
橋脚に穴をあけるという作り方は、ローマ人の材料の節約をしていたかをあらわして
いる。また半円形の閉じたアーチは安定している構造をしている。ローマ人は、橋の
建設において、円は理想的な形をしていると考えられている。ローマ人は、水を大量に
使っていた。水をひくために大きな橋を作った。ローマ人は、いろんな橋を作り貢献
してきた。アーチが橋を支えるものとして発展していった。ローマ人がいなくても
現在の橋はできているとは思うが、現在でも残っているような橋を作ってきた能力、
労働力は、すごささえ感じます。
 中世に建設された橋の構造物をみると、ローマ時代のものより劣っていてことから、
ローマ時代のように世界帝国を統治するためには、道や橋が必要だったのかがわかる。
橋が必要ということが、技術の発達を助けることがわかる。
 ルネッサンスの建築家は、ローマ時代の芸術を復活させるだけでなく、それを基本的
に受け継ぎながら、新しい造形様式をつくりあげた。アーチは、ローマや中世のもの
よりもより優雅なアーチになった。形も楕円や籠手型アーチになっていった。コンク
リートや鋼の時代がきてもこの基本がすべて消えてしまうことはないはずなので、
歴史の橋はいつまでもつずくのだろう。

まず橋がこれほど大きな役目を果たしてきた
とは思わなかった。現在までの長い歴史の中
で橋は歴史に多大な影響をもたらしてきた。
はるか昔の古代人たちはすでに橋を架ける技
術を持っており、人々はそれを長い年月をか
けて伝え、そして発展させてきた。時に橋は
政治、商業を左右させた。ただの石を積んだ
橋から次第にアーチの橋へ。その過程の中で
の技術者たちの努力というものは想像を超え
たものだった。私達が普段「構造力学」とし
てその中で学習している様々な公式は、かつ
て人が何十年もかけてできたものだった。い
つも当たり前のように使っているものが、大
変なものなんだと思い知らされた。一つ驚い
たことは、以前学習した桁の構造が古代の橋
の構造として本に載っていたことだ。現在の
橋にも使われているこの知識がずっと前から
存在していた。おそらくその知識も長い年月
にわたる試行錯誤によるものだろう。さらに
今までの中で橋を架けるにあたって様々な問
題が出てきた。木や石から鉄へという材質の
変化や、人や車だけではなく鉄道用の橋の必
要性が出てきたこと等が挙げられる。これら
の問題も昔の技術者たちが試行錯誤によって
解決し、橋を発展させてきたのである。私達
が今学んでいるのは技術者たちの努力の一部
分である。私は、長い年月をかけて試行錯誤
によって生まれた技術は素晴らしいと思う。

 感じたのは橋の建設は社会の変化、政治形態に影響されるということです。
古代ローマ、中世、そして現在それぞれにおいてそれぞれの政治があり、
それによって作られる目的が変わってくると感じました。
 まずローマ時代は軍事中心に動いており、橋はそのための手段であるということを
知りました。
「すべての道はローマに通ず」という言葉がなぜできたかを知ることができました。
 中世のことについては、一番印象深かったのは橋の上に教会があったということ
です。教会は橋を守ってくれるという話はその時代の人々のキリスト教に対する信仰が
深かったことをうかがわせます。橋のうえは法律が効かないということも印象に
残りました。
 今もとても面白い本でした。

 この「橋の文化史」では橋に関する古代から現代まで
の様々なエピソードが述べられていたが、私にとっては
そもそも自分が鉄道に対して興味を持っているというこ
ともあり、第八章の鉄道橋に関する著述に興味を惹かれ
た。丁度この「橋の文化史」を読んでいるときに友人か
ら瀬戸大橋開通に関するNHK特集の10年ほど前の録画
ビデオを借りたのは偶然の一致であった。
 さて、この「橋の文化史」においては「橋梁建設技術
者たちは一連のまったく新しい問題の前に立たされた」
とある。これは当時鉄道橋の建設においてはまだ鉄道車
両という大きな荷重に対応できるがなく、それ故欧米で
はたびたび鉄道橋の崩壊が起こっていたという記述には
驚かされた。今考えてみればとても恐ろしい話である。
しかしながらそういった先人達の試行錯誤によって、わ
れわれは橋による多大な恩恵を蒙り、先の話ではないが
日本においても本州と四国を地続きにすることも可能に
した。このことは先人に対して深い尊敬の念を抱かずに
はいられない。
 また、各論的な話になるが、「機関車の動輪が一回転
するのに要する時間と、橋の自由振動の周期が一サイク
ルするのに要する時間とが一致する速度」の危険に関す
る記述は物理学の講義における弦の振動や、瀬戸大橋を
通過する重量列車による橋のたわみの映像を思い起こさ
せた。

 大昔に作られた一つの石(丸太)でできた橋から今まで、さまざまな橋が作られて
きた。その間の力学の発展や技術者の試行錯誤、橋を作る材料の変化によってより遠く
に、安全に向こう側に物を運ぶことができるようになった。今僕たちが学んでいる静定
トラスやその解き方などは、先人の努力によるものだと改めて感じた。
 盛岡に住み始めてから、橋についてふれる機会が増えたように感じる。地名なんかも
架かっている橋との位置関係で覚えた。以前の生活ではあまりふれることがなかったの
で、そう感じるだけかもしれないが、この橋は文化の発展や政治的にもかなり重要な
役割を果たしてきたのだと思う。盛岡だけでなく世界中のあらゆる地域でも、橋が出来
ることによって文化が交わり、さらに豊かな文化ができてきたのだと思う。
 この本を読んで、橋がただ人を渡すだけでなく、さまざまな役割を果たしてきたこと
を学ぶことができた。普段あまり考えることのない話題にも触れることができたので、
また繰り返し読んでこれからの学習の参考にしたいと思う。

 自分が渡りたいと思った向こう岸に渡るために橋は生まれた。そしていかに大きな川
や深い谷の上に安定した橋を建設するという分野で、人間が技術の力を発展させてきた
ということに驚かされた。しかも時代とともに、単なる木や石からアーチ橋や吊り橋、
そして鋼やコンクリートと、そのたび新しい知恵や技術が出てきたことに人間の想像力
の凄ささえ感じた。あまりの利便性を求めることは良くないといわれるが、橋について
はこの欲を求めることで経済の発展やく交流などしてきたのではないかと思った。
 ローマ人は、橋の建設において、円は理想的な形をしていると考えられている。
ローマ人は、水を大量に使っていた。水をひくために大きな橋を作った。アーチが橋を
支えるものとして発展していった。当時はコンクリートなどはなく、石を切り出して
作っていたわけで、その苦労や労働力には驚かされる。
 これから研究者なる'かも'しれない者として、好奇心を持ち、問題解決のために努力
する姿勢をあらためて考えさせられた。この本はこのことを考えさせてくれたと共に、
橋の歴史や技術の発展、当時の労働力の凄さなど知ることができてとても良かった。

 橋の文化史を読んで、何千年も前から高い技術と計算のもとに橋が造られてきたと
いうことがわかり、驚いた。
 特に驚いたのはアーチの橋が紀元前の時代から造られていて、ただ向こう岸に渡る
ための橋というだけでなく、芸術の域にまで達していたということだ。ただ芸術的な
ものといっても、そのためには力学的な計算や技術が必要で、それらがもうちゃんと
出来上がっていたのだ。そしてそれらは今でも充分通じるものですごいの一言だと思う。

 それから今までの間に橋の目的や、材料によっていろいろな種類の橋が出来てきた
けど、基礎的な部分では何千年も前に出来上がっていたという事実は、土木を学び、
これからずっと携わっていくであろう私にとって、知ってよかったと思う。
 また、数年後大学を卒業して橋に携わる仕事をした時、この本をもう一回読み直して
みたいと思う。今以上にこの本に興味を持つことができると思うし、もっと深く入って
いけると思う。

橋の歴史のなかで、エポックメーキングなことの一つに
くさび形石を取り入れてアーチを作ったことがありま
す。くさび形石を使用することによって力をうまく分散
し、その石の重さをつまりは橋の強度、くずれにくさに
してしまうのです。しかし、軽いならまだしも石によっ
て作る橋であるから、その建設はよほどの困難が伴っ
たと思われます。乾季に行ったのだろうか、流れをせき
止めたのだろうか定かではないが、それら乗り越えて作
りあげられたアーチは芸術的にも美しく、後々ヨーロッ
パの顔にもなりました。

そして、くさび形石に移行していく過程も興味深いもの
である。一枚の石板よりも二枚の石板を少し傾斜をつけ
てもたせ合わせたほうがお互いに支え合って強度が増す
。その間にくさび形石をいれるとますます強度が増す。
といった具合にくさび形石を使用したアーチができてい
った。P23の図26はそれを簡潔かつ明確に表してお
り大変に参考になりました。

 歴史の本を読んでまず感じることが、「すごい、自分た
ちの学んでいるものにはこれだけのものがつまっているん
だ」と感じることです。今回もそのように感じました。
 ギリシャ・ローマ時代に作られた建築物は合理性があり
見栄えもして芸術的なものばかりで素晴らしいと感じまし
た。しかし、一端その技術が姿を消したということを読ん
で知りました。もし、当時の技術が伝えられていたら?と
考えたりもしました。このことはとても残念でなりません
。ウィトルウィスがギリシャ時代の建築様式を広く過去か
ら彼が生きていた時代までふりかえりながらギリシャの専
門書を収集し、ひとつの体系にまとめることをしたことに
より、今の時代までギリシャ時代の建築様式が今日に伝わ
っているという訳なのですが、一度消滅したも同然の技術
・知識を復活させることは新しいものを創り出すことと同
等、もしくはそれ以上の時間と忍耐が必要だと私は考えて
いるのです。専門書の中には断片的な情報しかないものも
あったはず・・・他人が創り出したものを断片的な情報か
らつなぎ合わせるのは大変な労力が必要だったはずです。
私はこのことに強く感動しました、ただ一つ残念だったの
はこの人の「建築書」受け入れられるまで、かなりの時間
を要したということです。ルネッサンス時代のアルベルテ
ィに伝わって技術ばかりでなく、純学問的ないし理論的研
究という観点からみて、守るべき規準を提示したこと、彼
や当時の人々が得てきたギリシャ・ローマ時代の知識・技
術を簡単な数式で表し規準化することによって、後々に伝
えやすくなった。ようやっと復活といったものに近づいて
きたなぁと感じました。当時には、アルベルティは当時の
技術を超えよう取り組み、結局は超えられなかったと書い
ていました。それだけ当時の技術は凄いものなんだなぁと
sしみじみ感じました鉄道が通り、鉄を使いだした辺りか
らこの技術はあまり日の目を浴びることができなくなりま
したが、私はこの時代の技術が好きなので感想を絞って書
かせてもらいました





1.15 H
この本を読んで自分は、橋の構造がどれだけ奥が深くそして歴史があるかを知った。
またこの本を通してこれまでの構造工学の授業において、曖昧だったことや漠然とし
か理解してなかったことが完璧ではないが以前より理解できた。そして橋を建設する
にあたって古代の石橋の時点から実用目的にとどまらず、芸術作品を作るという域に
まで志を高められていたことを知り、自分はそこに魅力を感じよりいっそう橋の建設
に興味を抱いた。
 印象的な橋の中に1135年から1146年に当時ドナウ貿易の中心地であった
レーゲンスブルクに建設された橋や、世界最大級であるフォークトラントのライヒィ
ンバッハにあるゲルチェ谷高架橋があった。自分はこれらの橋が今日もなお自動車の
交通もまったく支障なく行われていることに驚いた。これは中世の時代に使われた半
円形アーチという方式の技術が現代までに通用しているということであり、その事実
に感動し学んでみたいと思った。
 また19世紀半ばあたりからのそれまでにはない橋のスパンの大きさに目が留まっ
た。それはハインリッヒ・ゲルバーのゲルバー桁の開発によるものであり、スコット
ランドのクィーンズフェリー近くのフォース湾に架かる鉄道橋や、レンズブルグ近く
のキール運河に架かる橋など写真を見ただけでその技術がいかにスパンの大きさの可
能性を広げたかがよく分かった。
 そして自分はこの本を通して初めてプレストレス・コンクリートの存在を知った。
それまでは無筋コンクリート、鉄筋コンクリートと順に使用されていたようだが、本
の説明と表からプレストレス・コンクリートがいかに経済的かつ頑丈かを知り、かな
り合理的な技術だと思った。
 これまで不可能とされてきた橋の建設が新しい技術によって時代から時代へと次々
に建設されてきたことに自分は本当にすごいと感じた。それはこれからの未来にも続
いていくことであり、自分はその担い手となりたいと思った。この本を通して橋に対
する研究意欲が増したということもあり、本の中で知った数々の歴史的で芸術的な橋
を是非、将来ドイツに行ってこの目で見ようと強く決心した。

1.15 H
 この本を読んで、これまで橋梁建設がどのように発達してきたか知ることができ
た。そのことで私が印象深い事を具体的に並べるとする。まず、大昔の人が偶然でき
た河川をまたぐ幹など自然を手本に周囲にあるものを使い地理的状況を考慮した橋な
どに、きわめて単純ありながらも補強の技術はすでにあったこと。時代が発達すると
石橋に関しては、アーチ形式が主流になり橋の実用目的以外に芸術観念が生まれてき
たこと。最後に、産業革命により鉄道が普及したため、より合理的な建設方法のため
数学を導入したこと。これら3つの事特に興味が湧いた。その他に自然科学や技術の
分野に対しても知識を得ることができた。正直、今まで構造力学の講義を漠然と受講
してきたが、今回の課題で興味が湧いたことから、講義内容についてもその他いろい
ろな事についても新鮮に感じることができるだろうし、理解も深めることができるだ
ろう。




FD提出
  今回「橋の文化史」を読んで、私は「橋」についての理解が深まったとともに、
「橋」が現在のような実用的なものになるまでには多くの人の努力と、長い年月が
かかったのだと知った。
今日、私たしが生活する上で、「橋」はなくてはならないものである。しかし、私は
これまで、「橋」をありがたいと感じたことはなかったし、その構造を知ろうとした
こともなかった。今回この本を読んだことによって、「橋」のありがたさを実感し、
構造も知ることができた。これが理解が深まったということである。
私はこのこと以上に、「橋」が現在に至るまでの歴史を知ることができたことが大きな
収穫だったと思う。川の両岸に大きな石を渡しただけの簡単な橋から、前ローマ時代の
片持式の石橋、また、それが発展し、くさび型右アーチ、その後ルネサンスの時代の
半円アーチや籠手型アーチを経て、現在の鋼やコンクリートを使った端へと移ってきた
歴史はとても興味深いと思う。また、その背景にあった歴史的干渉や軍事的干渉も、
この本を読まなければ知ることができなかっただろう。
この後も橋はより実用的なものへと進化していくだろう。それを想像するのもとても
楽しいことだと思う。


1週間遅れで電子メールで提出されたもの
古代、はじめて橋をかけようと考えたとき、1枚の石でわたそうとしていたことに
驚いた。この本を読んで、今まではっきりと理解できなかった中立軸というものが
どういうものなのかわかってきた。石の破壊をもたらす引張力をかなりの程度まで
圧縮応力に転換し、とあったが、全く逆のその考えをもつこと自体すごいことだと
思った。(後にアーチの考えにより、かかる力の転換は行われたわけだ)アーチの初めの
ころのものは、図や絵を見る限り、小さな子供の積み木のような印象さえ受けた。
しかし、当時まだ何もないものを新しく生み出そうとすることは、現代でものその考え
はあるわけで、そのときの発見というのはすごいものだったんだと思う。それから石を
アーチ形に組むために、石をそれぞれ切り揃えることもひつようだったので、そこで
また別の技術や道具の発達、発明があったのだろうと思う。ローマ人の作った、
水中の部分も半円形に作られているアーチは、いかにも当時彼らが、円が理想的な
幾何学的図形であると信じていたかがうかがえるものだが、それはむしろ橋の基礎基盤
をしっかりと作ろうとした当時の人々の気持ちと技術の優秀さのほうが勝るもの!
(途中文字化け)
その後、半円アーチ、欠円アーチ、楕円アーチ、竜手型アーチ、鉄道など速くて重く
なっていく交通荷重にたえる鉄筋コンクリート橋など様々な進歩をしてきたわけだが、
自分は、古代、中世に橋ができるということは、微分積分学をはじめとする学問、
三圃式農業や、硫酸、現代の強度に近いコンクリート技術、そして橋の発達がもたらす
都市の機能の変化などが興味がわき、おもしろいし、すごいことだと思った。

1/22
現在、橋はどこにでも見られる建設物だが、その橋にはとても長い歴史があったこと
を知りました。古代の橋はとても単純なもので、ただ石板を一枚並べるだけであった
りして、今では考えられないようなもでした。しかし、時代が進むにつれて、橋につ
いての研究も進み、アーチと呼ばれるものが出てきました。そして、このような橋の
発展にはローマ人が大きくかかわっていたと考えられています。アーチにも様々な形
態のものが存在し、その当時の時代背景などによってその形を変えていき、例えば、
ルネッサンスの時期には芸術的なアーチも誕生してきました。軍事的、宗教的理由も
その一つと理由として考えられるでしょう。材料もローマ人によるセメントなどの開
発により変化していきました。時代が流れるにつれて、鋼やコンクリートなどにも変
化していきました。ところで、橋はただ通行するためだけのものではありません。裏
で都市の発展の重要な役割をしていました。橋を通行することによって発生する通行
税や、橋によって、多くの人々を招きいれて、商業などの発展に役立つのです。現
在、橋はつり橋など様々な形態のものが存在しますが、これも今までの長い橋の歴史
の中で考え出されてきたベストなものだったのだろうと思います。これからも変化し
ていくであろう橋の形態を次は僕たちの世代が考えていかなければならないと感じま
した。

1/22
 私は昔から橋の構造には興味を持ってました。幼い頃 橋はなぜ崩れたりしないん
だろうって橋を渡るたびに思ってました。私の地元の室蘭には街のシンボル的存在と
して1998年に白鳥大橋ができました。そこで私が疑問というか驚いたことは、
遠くから橋を見ると橋の中心部が上向きに少し曲がっている感じでとても傾斜のある
道路(橋)には見えないのですが、いざ車で橋を渡ってみると結構急な坂みたいだった
ということです。私にはあまりわかりませんが予想としてもし橋がアーチ型をしないで
まっすぐだったら簡単に崩れてしまうのではないかとおもいます。
 この橋の文化史を読んで学んだことは、普段私たちが橋というと渡ることしか考えて
いないので 注意深く見ても目で見えている所しか橋と思ったことがないと言っても
言い過ぎではないと思っていますが、実は一番重要なのは目に見えない所だという事が
わかりました。海にかけた橋なら 海中に入っている部分こそ水の抵抗を受け、
また桁の形でその周りのところまで影響を及ぼすということも学びました。こういった
橋の長さに関わらず橋をつくるということは地質調査、設計、そして造るといった何年
もしくは何十年もかかるので大変だと思いますが、昔 コンピューターや機械がない
時代に橋を造った人はすごいとおもいました。            

1/22
 高校時代に七ヶ浜に住んでいるという友人がいました。その七ヶ浜町という所は
名のとうり7つの浜辺があり東と南は海に面しており北と西は川に隔てられていて
3本の橋がなければ、まさに島となってしまう町なです
 彼らとはよくその橋の話をしました。橋がなければ生活できない。とか、台風が
来たら帰れない。など、現実的で彼らには橋が生活の重要な地位にある人がこんなにも
身近にいることに驚きました。いつもなにげなくつかっている橋ですが、交通の面に
おいてこれほどなくなると混乱を生じる物はないのではないでしょうか。道路は多少
整備されてなくとも移動することができますが、橋はそうはいかないでしょう。
それだけ橋をつくり発達させてきたことは大変でありこの本を読んで大げさに言えば
偉大なことだとかんじました。
 最初はただ向こう岸に渡る為に多種の材質でつくられ環境によって形や機能が違う
橋。「橋」と一言にいっても非常に奥が深くそれをつくるには知識や経験もさること
ながら、この本に書いてあるような歴史も必要だと思います。

1/22
橋が造られるのには、今も昔も政治的・経済的な背景があることが分かった。
また土地と土地を繋ぐ橋はかつては単に移動手段としてだけでなく、
文化的にも非常に大きな意味をもっていたにちがいないと思った。
だからこそ建設技術が未熟な時代、長い月日と多大な労力をかけてでも、
橋を造る価値があったのだと思う。
と同時に、ヨーロッパの橋は古くから芸術的であったことに、
西欧人の文化レベルの高さを感じた。
私は今まで、橋の強度といわれたら部材や形状しか考えたことがなかったが、
橋脚の形が重要だということを知った。橋脚と川の流れによってできる渦は、
これまで何度も見ていたが、そこに生じる力については考えたことがなかった。
盛岡には、開運橋や夕顔瀬橋など、たくさんの橋がある。
現在これらの橋によって交通は確実に便利になっている。
これらの橋にも政治的な背景はあったのだろうか?
以前、田中角栄が地元新潟に橋を次々に建設したという話を聞いた。
地元盛岡の人間である私としては、盛岡の橋の文化をぜひ知っておきたい。
最後に、これまで授業で学んできた内容が、今まではただ計算式を覚えるだけだった
が、この本を読んで、実際の建築のどのような場面で使われているかイメージする
ことができ、より具体的なものになったのでとても良かった。

1/22
 橋の文化史を読んで、まず古代の人に感心し、またとても驚かされました。現代よ
りも橋を造るための計算や技術は劣っていて材料もないのにもかかわらず、昔の人た
ちは今のはしに引けを取らない素晴らしい橋をたくさん造っています。川などの向こ
う岸にわたるためとかに橋を架けたいと思うのは普通ですが、そうした状況で橋を
造ってきた彼らの努力や意志にとても驚かされました。
 自分の身のまわりにも橋は多くあり、とても身近すぎて特に意識することはありま
せんでしたが、本を読んでから改めて考えるといろんな用途の、いろんな形の、歴史
のありそうな橋がたくさんあります。また、歴史の上で見ると、ただ渡るだけでな
く、水を運ぶため作られた水道橋や軍事目的で作られたはしなど、今でこそ普通に
通っている橋にも今ではあり得ない理由でできた、歴史を感じさせられる橋があるこ
とにもビックリしました。
 そして橋は造る場所や目的により形も変わってきます。ですがその形も、吊り橋や
アーチというようにさまざまあり、しかもアーチだけをとっても5種類もあることに
驚きました。それに、今では列車等も通りただでさえ強固でなくてはならないのに、
橋はたいてい川など水の上に架けられます。そのため橋脚だけでも水圧、流速などあ
らゆる事を計算しなければならず、非常に難しいと思います。
 以前テレビで見たものは海でした。たしか四国だったと思います。とても長い距離
に2(3?)本だけの橋脚で吊り橋を架けるというのです。あの距離にたったそれだ
けの橋脚と、吊り橋、というだけで驚きましたが、そこはさらに海上という条件でし
た。しかもそこの海底は砂で極めて不安定でした。海流もあります。さらに、内海に
つくる橋だったため、船の往来が激しく、大きな船も通れる高さも必要とされまし
た。それだけの橋となると風の影響などもあったと思います。これだけの悪条件で橋
など立つのか、と当然思いました。が、橋脚を作るところから始まり、長い時間をか
けて見事完成しました。あの条件下に橋を造ったことに、ただただすごいと思いまし
た。

1/22
 橋は日常生活のなかで必要不可欠なものであるが、私たちは普段は橋というものを
深く考える
ことはめったにないだろう。その昔、橋はただの石版で「渡ること」意外には何の意
味もなさないも
のであった。しかし、現在は建造技術が格段に進歩し橋はただの「物」ではなくなり
さまざまな
意味を持つようになった。強度だけでなく景観においても洗練され入念な計算の元に
造りだされた橋
は美しささえも感じられる。ある街のシンボルにもなるほど橋は重要な存在になっ
た。
こうのように橋の進化には目覚しい発展がうかがえるが、現在の技術にたどり着くま
での建設技術 
者の努力は並大抵のものではなかっただろう。長年に渡って築かれてきた貴重な技術
を
私たちは伝え続け、発展させなければならない。橋の多様性には計り知れないものが
あり、このよう
な側面が昔から多くの技術者たちを魅了し、ひきつけてきたのであろう。これからは
橋自身にもっと目
を向け、そのなかに秘められた機能性や都市との相互関係などを探ってみるとおもし
ろいだろう。

1/23
  この本を読んですごいなと思ったのは、古代のローマ人です。彼らは今ほどの技術
もないのに、アーチを造っていたことがなによりも印象的でした。たとえエトルリア人
から技術を学んだとはいえ、そこからまた3つのアーチを考え出した。          ローマ人よりも昔の人たちは、一枚の岩を橋として使ってきた。橋になるだけの
岩の大きさは、想像がつかないくらい大きかっただろうしとても重く、運ぶのはとても
たいへんであっただろう。それが少しずつ利用の仕方などにより進化していった。
この本に書いていたように影響を与えたのは、政治、経済、軍事によるものが多いこと
は読んでいてよく理解した。考えてみれば、土地開発のように川の向こう側に期待を
持つのはあたりまえである。もう少し発展すれば、村ができ隣の村との貿易などが
始まる。このように発展することはあたりまえではあるが、個人としては戦争による
影響はいただけないかなと思う。戦争に影響してくれば、後に戦争でよく利用されて
いたと伝えられてしまうから。
  前の課題で読んだ橋の内容には、芸術と建設は切り離せないといっていた。
レオナルド・ダ・ビンチがルネサンス形式を考えたように芸術者も技術者同様にさら
なる発展を望んで試行錯誤をしている。アーチを造るためには力の作用を考えたり、
水による柱への力を考えたりと工夫して今の形式へと発展してきた。自分も建設学を
学ぶのであれば、更なる発展を目指して試行錯誤をしていくとともに芸術品ともいえる
すばらしい橋を造りたいなと思った。この本を読むことにより、将来のあり方みたいな
ものを見出せたような気がする。

1/23
橋の文化史を読んでいろいろと考えさせられた。現代私たちが普段利用している橋と
いうのは先人たちの知恵の結晶のように感じた。
その課程をこの本で知ることができたと思う。 古代の橋は石板を並べただけという
シンプルなものでそれでは大きい川は渡れないた
めにアーチ状になった その課程では当時としてはかなりの苦労があったと思う。
もしかしたら命を落とした人もいるかもしれない。橋の
強度、バランス、距離などを構築するために力学、数学などのさまざまな学問が
使われていることはすごいことだ。これからは当時の人々に感謝しながら橋を
一歩一歩渡ろうとおもう。

1/23
橋の文化史を読んでまず最初におもった事は自分が今まで知らなかった橋の歴史や
以前の橋の構造や設計方法を深く学べた
事は、とても良かったと思いました。特に、橋の歴史はとても興味を持ちました。
ローマ時代、ルネッサンスの建築技術は現代の
建築技術に負けず劣らず素晴らしく、今なお多くの建造物に幅広く利用されています。
今回の資料は難しい内容も含まれており
完全に理解してないところもあったので、自分なりにこれからも勉強していきたいと
おもいます。

1/23
橋の文化史」を読んで
 橋は何千年も前から人々にとって欠かせないものであり、その時代に応じて、構造、
規模、材料などを変えていった。まさに橋はその時代を象徴する建造物と言えるだろう。
 今回「橋の文化史」を読んで、最も印象的だった所は、188ページ以降に書かれて
いる所で、より頑丈な橋を作ると言うことはとても大変なことであり、その必要が出て
くるにつれ、技術者たちは考え、何度も失敗を繰り返し、そして完成させていった。
 1830年代のドイツでは鉄道と言う新しい交通手段が生まれ、それによって道路
体系を大きく変える必要が出てきた。以前は人と馬車が通ればよかった橋は、その
何十倍も何百倍も速く、重量の重い蒸気機関車を通過させるため大きく構造や規模を
変え、それに応じて材料を変えた。それはまさにゼロから考え出さなければいけない
ことで、技術者たちは思考に思考を加え、そしてより頑丈な橋を作ることに成功した。
 まさに橋はその時代を生きた技術者たちの汗と涙の結晶であり、その時代を象徴する
建造物と言えるだろう。

1/23 too late
今回橋の歴史についての本を読み、いままであまり考えることのなかった橋について
考えさせられた。
現代の社会にあるものにはそれぞれさまざまな歴史がある。橋は自分で学んでいる分野
のものなので、この本に対しての興味は結構あり、また読むほうも飽きずに集中して
読むことができた。
前から橋をつくることは難しいということは知っていたが、この本を読み橋をつくる人
の素晴らしさがより一層感じることができた。
私たちの生活や社会の発展のために過去の人々の大きな努力や、橋に対する情熱なども
伝わってきた。
自分の将来の夢のひとつに地図に自分のつくったまたは携わった建築物を載せるという
ことがある。もしかしたらそれが橋になるかもしれない。そういうことを考えれば、
今回この本に出会えて本当によかったと思う。
      すいません、遅れました。

  

もうひとつの自由テーマの作文