作文

なんともう2002.1.4に最初のメールが

    

  

       アメリカ同時多発テロの背景
 今年九月十一日に発生した米国同時多発テロ。私このテロの被害の状況をテレビで
見ていたが、このテロは背景に宗教が潜んでいることを全く知る由もなかった。
テロが起きてから間もなくそれを知った。しかもイスラム教のごく一部が反米感情を
持っていることも初めて知った。私はこのテロや一連のニュースによって宗教狂牛病
考えてみた。
 今回のテロに関与したと言われるイスラム原理主義。今回私はこの宗教狂牛病
ニュースで聞いて、もはや宗教ではなく何か行き過ぎた思い込みみたいなものを感じた。
あのオウム真理教に似た所があるように思われる。あくまで原理主義の一部の人達で
あると思うが。つまり、私はこの宗教は間違っていると思う。人間は何か信じるものが
なければ生きていけない。それは国によってもまたは個人によっても違ってくるので、
それを人に押し付けたり、あるいは宗教観にとらわれたりしてはいけない。だから私が
言いたいのは、あまり宗教にすがらず、一人の人間として生きていくためには何か
自分の信じれるものを一つでも持つべきということだ。日本には特に決まった宗教は
ないが、それでいて困ったことはない。クリスマスなどはあるが、これらは束縛感は
なく、自由な感じで行事みたいなものである。だから私は宗教はなくていいまでとは
いかないが、もっと日本のように自由なものであるべきだと思う。




”アメリカ同時テロ狂牛病”
 9月11日、僕はサークルで北海道に山登りに行っていた。下山し、札幌の先輩の
家での打ち上げが終わり、寝ようとしていた時だった。テレビからものすごい爆音と
共に悲鳴が聞こえてきた。世界貿易センタービルに二機の飛行機が激突し、炎が上がって
いた。この事件で数千の人々が亡くなった。次の日からのニュースがこの事件一色に
なったのは言うまでも無い。           
 2001年を迎えて未だに首謀者であるウサマ・ビン・ラディンは捕まっていない
が、アルカイダはほぼ壊滅状態にある。早く捕まえてほしいと思う。しかし、全て
テロが悪いとは言い切れない。アメリカもまた悪いのではないか。世界一であると言う
おごり、傲慢さが招いたものであるとも言える。自分は正義だと言っているのが
いい例だ。                      
 21世紀の幕開けとしては、悪いニュースかも知れないが、今一度、世界が一つに
なれる大きなチャンスになったと思う。これからの世界に期待をしていきたいと思う。 

 2001年9月11日、全世界が驚きました。自分はその時実家で半分眠りそうな
感じでテレビを見ていましたが、臨時ニュースで旅客機が米国の経済の象徴とも
言われた世界貿易センタービルに突入し、炎が上がる映像を見たときは、びっくりして
目が覚めてしまいました。あの二つのビルは、よく映画などでも出て来ますし、何かの
観光雑誌でアメリカの載っているページを見ると、だいたいは紹介されていたので、
知ってはいましたが、まさかあの二つのビルが、ほんの少しの時間で崩れてしまうとは
思いませんでした。家族を失った人々の悲しむ映像などを見て、テロに対する怒りを
感じた人も多いでしょう。あれから4ヶ月たった今も、まだ現場では瓦礫の撤去作業が
続いています。そのような状況で、聞くところによると、作業をする人々に無償で
食べ物や飲み物を提供したり、ダンプカーのガソリンを無償で提供したりし続ける
一般の人々がいるといいます。これは本当にすばらしいことだと思います。自分の利益
はどうでもいいから、大変な作業をしている人々の何か役に立ちたいという思いには、
頭が下がります。このような点を少しは見習わなければならないのではないかと最近
思ったりします。この苦難に負けず、一丸となって復興していくアメリカ。自由の国
アメリカはやっぱり何があっても明るくなくてはならないのではないでしょうか。


推薦入学の先輩である僕からアドバイスすることは2つあります。
まず1つ目ですが、これが2つのうちもっとも強くアドバイスしたいことです。
それは、推薦入学で入学してくると、センター試験を本気で勉強してきていないの
と、
2次試験を受けていないということで、一般入試で入ってきた人に比べると、
勉強の面でブランクがあり、劣っているのではないかと思うことでしょう。
実際僕もその点で不安に思いながら入学してきました。
ところが大学の講義が始まってしまえば、はっきりいってブランクとかそういうのは
関係ありません。
周りの人とは案外学力で差はついていないのです。
二つ目のアドバイスは、1つ目の続きになるのですが、
入学した時点で学力に差がないからといって安心しきっていると、
周りの人からどんどん取り残されてしまうのです。
大学というところは、ある程度は勉強していかないと必ずついていけなくなる所なの
です。
遊んでいるだけではだめです。
勉強と遊びを両立させてこその大学生活です。
それなりに勉強して大学生活をエンジョイしましょう。


私の生き甲斐は、旅に出たいと日々考えることです。ところで生き甲斐とは、生きて
いる価値、生きていることで感じる張り合いのことです。つまり、私にとっての生き
甲斐は、趣味であることがわかりました。
私の趣味は、サイクリングです。中学生のころから、親父の自転車にまたがり夜な夜な
国道を走り回っていました。それから3年、私はめでたく岩手大学サイクリング部に
入ってその活動の舞台を日本全国に広げることができました。去年の夏は、琵琶湖を
みてきました。そして、今年の夏は、日本縦断をもくろんでおります。今は、その計画
を立てることが一番の生き甲斐です。そしてゆくゆくは、世界に飛び出したいです。
なんちゃって。
今しかできないことは今やる。無茶はいくらでもやっていいけど無理はするな。
を座右の銘にして、生きて生きたいです。

去年はアメリカのテロ事件があり狂牛病が少し影が薄かった気がする。しかし、
自分にとって狂牛病はアメリカのテロ事件より強く印象に残っている。
あるテレビ番組で『狂牛病は人間に対する神の仕業だ』とコメントする人がいた。
最初はこの人何いってるんだとおもった。しかしその人の説明を聞いて自分もその
意見に賛成だなと思うようになってきた.その人のコメントはこのようなものだった。
『牛はそもそも草食動物である。その牛に人間は肉(肉骨粉)を食べさせていた。
このことはただの肉を食べさせているのではない、共食いさせているのだ。そのことに
対して、神が怒らないはずがない。』
自分はそんなに神がいるとは思ったことがないがこのコメントに共感した。今日には、
クローンを作ったりするということはいきすぎた科学技術だと思う。そのいきすぎた
科学技術に神が警告すべく狂牛病が起こったのではないかと考えることもできると思う。

  狂牛病の影響とアルバイト人の考える居酒屋経営
 私は以前某焼き肉店でアルバイトをしていたが、最近話題になった狂牛病の影響で
遭えなく店を閉店しなければいけない事になった。自分にはこのことは無関係だと考え
ていたが結局、職を失うこととなるとは思いもしなかった。だが閉店がこのせいだけだ
とは私は思わない、経営内容を結構みせてくれたので感じたことだが、経営として雑な
所が随所に見受けられた。例えば、在庫管理において肉などの数量などの単位がまち
まちで正確な量を把握できないこと、立地条件が非常によろしくないこと(周辺には、
デパートやパチンコ店など集客施設が存在しない、交通の便は大型道路に面している
とはいえ見えずらい立ち方をしている、住宅地も無い田んぼの真ん中にぽつんとある。
経営者は良いものを提供すれば客は来店すると考えた上でのことだが・・・。こう書い
ていると言い訳みたいで虚しくなるが・・・。)、社員の移動が激しい(2年間の内に
150名以上の人が小さな店で辞めている。)など挙げられる。
 その店が、同じ経営者の下で業務転換し、全国で540店舗ある有名居酒屋チェーン店
のFC加入をした。ちなみに経営者は、周辺に居酒屋が無いこと、和食のファミレスを
意識してFCをしたらしいが、私はそのままその店にアルバイトとして雇われたが、
これからはほぼ全てが本部の意向のもとに動くため、どのように経営が為されるのが
楽しみにしていたが実際は、マニュアルが細かい所まで行き届いていて見ていて
おもしろい。食品の作り方から、灰皿の片付け方、店内でけんかするお客様の対応、
職場内の禁止されている会話まで事細かに指示される。オープン前から本部から派遣
された方々に徹底的に教育された。見ていてその徹底振り(なんでも数量で教えられ
る。)には驚かされた。
 人件費の関係から最少人数、最大効果が求められるのは当然で、その日に予想される
売上の35%以下までが人件費で無ければ経営として成り立たないらしく、店長が売上
予想を立てているのだが、これがまたおもしろい。次の日の天気、周辺のイベント
(祭りや花火大会など)、曜日、給料日、クリスマスやお盆などのイベントなどから
類推するのだが、オープンしたばかりの店なのでデータが少ないので苦労するが、本部
のデータなどを参考に総合的に考え予想する。この作業が非常におもしろい、例えば
成人の日を考えると成人式が終わるのは昼過ぎ、ほとんどの人がお酒を飲むので車で
なければ来ることの出来ない場所に来るとは考えづらい、故に電車で行けるので盛岡に
行って遊ぶか、地元で昼間から飲むかを考えると多くの人は、色々遊ぶ場所がある盛岡
に行くと考えると若い人たちは余り来ない、客層はファミリー中心で年齢層が高い、
次の日が平日のため余り飲まない、そうすると客単価はお酒の出ない分下がるし、故に
通常の休日よりも売上は下がり、さらには年齢層から通常より日本酒の出る比率が高く、
食べ物が出る比率も高い(あくまで比率)と予想される。しかし一方では盛岡から
帰ってきた人達が地元で飲みなおすということも考えられ、遅い時間に混むのでは?
と考えるもすでに酒を飲んでいると考えられ飲酒運転はしないと思われる、とこの考え
は却下される。
 店の儲けを上げるためには、色々な諸条件を考えなければならない。人件費、仕入れ
費、FC加入をする際に毎月かかるロイヤリティなどである。ロイヤリティは、店の坪
あたりの売上から数パーセント取られるので、回転率が高くないと本部に持ってかれる
ことになり、これも経営に大きく影響する。売上は、客単価×客数であるが客単価を
上げるには、ホールの方々が接客営業の努力をすることが求められるが、正直、客単価
の限界も3000円が限界(現在2500円前後平均)だし、客数を上げるには立地としては
厳しいのでCMやDM、折込みチラシなどの宣伝が望ましいが宣伝費を考えるとその
費用対効果は微妙である。
 結局日々のお客さまに対する小さな努力が売上UPにつながると考えられる。
(P.S  成人日は、予想通り年齢層が以上に高く、客単価もいつもより700円も
低い結果になりました。)

  生き甲斐
 阪神タイガースが優勝するまでは、絶対に生き続ける。そう思って生きている。
タイガースが試合をしているときは、その試合結果を楽しみにしている。だから、もう
阪神タイガースが生活の一部になっている。他人にしてみればどうでもいいことかも
しれないけれど、自分にとってはとても大事なことです。大きいことばかりを楽しみに
していてもいつも起きるとは限らないので、些細なことで楽しんだりできるのはいい
ことだとおもう。しかも、自分の場合は、毎日阪神のことで、いろんなことを考える
ことができる。監督は誰がいいとか、4番は、誰だ!とか。考えがまとまることがない
ので、いつも楽しんでいる。阪神タイガースでは、勝利だけが楽しみだけではない。
でも優勝はしてほしい。ガンバレ阪神タイガース。いつになるかはわからないが、阪神
タイガースが優勝するまで応援していきたいとおもっています。ひょっとしたら死ぬ
まで優勝できないかもしれませんが。

「狂牛病」狂牛病
正直言ってヨーロッパで狂牛病が発生したと
聞いた時には、日本には関係がないと思って
いた。多分一般の人々の中にもそう思ってい
た人が少なからずいたと思う。しかし、現実
に日本でも発見されてしまった。そして牛肉
の消費が急激に落ち込んだ。ニュース等を見
れば日本は昔から狂牛病の可能性があると外
国に言われていたそうだ。ということは、狂
牛病が発見されたのが今であって、もっと前
からすでに狂牛病が発生しており、狂牛病に
かかった牛の肉を私達が食べていたかもしれ
ないということだ。狂牛病の可能性があると
言われておきながら、なぜその時に大規模な
調査を行わなかったのか。世間がパニックに
なるかもしれなかったと言い訳はしていたが
、明らかに調査を早い段階からしておく必要
があったのではないだろうか。脳とか目玉と
かが危険なのであって肉には何の問題もない
、安全だといくら呼びかけても、私達に不安
が残るのは当然である。この不安が消される
には長い年月が必要だと思うが、そのために
も原因や感染ルートの早期発見をし、私達に
分かりやすいように公表してほしいものであ
る。

 「2002年、東北新幹線八戸延伸を迎えて」
 今年、2002年の12月、沿線自治体にとっては念
願の東北新幹線八戸延伸が実現する。昨年の12月には
東京までレールがつながり、地元のマスコミ報道も日に
日に熱を増している。また、その構造物に目を転じてみ
れば、長大なトンネルや橋が造られ、躍進した現代技術
の一端を垣間見ることができる。
 この延伸によって沿線各自治体は新幹線延伸を軸とし
た町おこしを目指しているが、一転して我々の意識はど
うであろうか?
 非納税者の学生にとっては新たな(特に帰省における)
交通手段が増えるに過ぎないという認識が一部にはある
かもしれない。しかしながら、その裏には大きな問題が
多々存在する。その一つが並行在来線の問題である。
 今回の延伸では各界の努力により国民の税金によって
岩手・青森両県は新幹線という巨大なインフラストラク
チャを手に入れたが、その一方でJRの経営から切り離さ
れる並行在来線(東北本線・盛岡ー八戸)を所謂交通弱
者の「あし」を守るためにも維持し、そのために第3セ
クターを設立し、各県民が納める税金を投じなければな
らない。すなわち、県民が養うべきものが一つ増えたの
である。昨今の不況の下、地方財政に大きな負担を与え
る第3セクターが増える中、この第三セクター鉄道(い
わて銀河鉄道、青い森鉄道)の動向が気になるところで
ある。
 昨年の小泉内閣の発足の頃より「改革断行、公共事業
見直し」の声が盛んに聞こえるようになったが、既得権
益団体などの所謂「抵抗勢力」の反発も激しい。我々は
建設環境工学科という学科に籍を置くが故、公共事業に
よって直接的に利益を受ける建設業界への就職者も多い
であろう。しかしそうであっても各種選挙の時には一企
業の利益だけに終わらない、地域社会に対して本当の利
益となるような政策を掲げる人物に対して一票を投じる
等、グローバルな視点に立って様々な物事を考えなけれ
ばならないだろう。

         生き甲斐狂牛病
 生き甲斐とまではいかないが、私はバスケットを見るのが好きだ!中学の頃バスケを
していたのでプレーするのももちろん好きだ。NBAの選手があの狭いコートを縦横
無尽に駆け巡る姿は、とてもカッコいい。あのスーパースター☆マイケル・ジョーダン
引退したときは、かなりブルーな気持ちになった。しかし遂に2001年現役復帰!
なんと嬉しいこと。しかも年俸は全て寄付!人柄もとてもできた人だと思いとても
RESPECTしている。
 NBAのなかでも1番好きなのは、なんといっても"ジェーソン・キッド"!彼には
背中に目でもついているかのようなノールックパスは凄すぎる!バスケの華といったら
もちろんダンクなのですが、私にとってはあの目の醒める様なパスのほうが心奪われる。
ぜひ今年もアシスト王を取って欲しいものだ。もうすぐオールスター。今から待ち遠し
いです。唯一の難点といったら家にBSがないこと。どうしようか今悩んでます・・・。
 今年はこの無駄なぜい肉を落として、あのバスケ選手みたいに・・・ 

 冬休みの発見
 私が冬休みに発見したことは、一つは岩手は寒いということだ。私が実家のある
岐阜県に帰った時そう思った。秋から冬にかけてずっと盛岡にいたので冬の寒さは
こんなものだろうと思っていたけど実家についたとき、アレッと思った。なんか寒く
ない・・・。もちろん岐阜県も雪が降り、気温も氷点下になることもある。
去年までは、なんて自分の家の辺りは寒いのだろうと思っていた。しかしそう思うほど
寒くもなかった。そこで初めて岩手は本当に寒いところなんだと実感した。そして
もう一つは、人間の体はすごいということだ。とても寒いところにいるとちょっと
寒いぐらいだと平気になってしまったのだ。
 これらが私の冬休みの発見である。ただ盛岡はこれからもっと寒くなると聞いた。
それに耐えることができたら私は本当の岩手の男になるだろう。

 つい先日、病気にかかったような牛が公園をうろつ
いているというニュースが入った。それらの牛には  
[NO BSE][HELP KOIZUMI]
といった言葉が書かれてあった。このニュースは
酪農家の苦しみを如実に表している。これらの牛は
廃用牛と呼ばれ、子牛を生むことも乳をだすことも
できない牛のことである。以前なら食肉として売る
ことができたものの、狂牛病問題で買い手がいなく
なり、育てるにしても金はかかるが役に立たないと
いった状況ですてられてしまったのである。
 しかし、ここで考えたいのは今までの酪農家が間違
っていたのではないかということだ。確かに政府に
責任がないわけではないが、酪農家は自分の製品に
対して責任をとっていなかった。自分らが使用して
いる餌の詳細を知っている酪農家がどれだけ少なか
ったことか。酪農家も自己責任という言葉をもとに
成長していった工業を見習って自分のブランドにプ
ライドを持ってほしい。
 ところで、廃用牛という言葉はかわいそうではない
か。人々のために乳を供給したり、子牛を生んだ
牛に失礼である。私たちが廃用人間と呼ばれないた
めにも新しい名前に退役牛などいかがだろうか。

  「生きがいを感じる時」
 私が生きがいをかんじる時は、目標を持ち、それにむ
かって努力し、それを達成したときです。
 高校時代、我が母校平舘高校山学部は顧問や先輩、OB
など環境にも恵まれて隆盛をほこっていました。その中で
「全国大会に生きたい」と入部した私は「挨拶ができて、
健康で体力のある人間になりなさい」が口癖の顧問の指導
のもと、1999年の全国大会、縦走種目において優勝するこ
とができました。この間に海外遠征や、ホームステイなど
の色々なことにチャレンジし、充実した生活を送りました。
 このような3年間のなかで、色々な人と出会い、学び、
笑い、同じ景色をみたり・・・目標を持つだけでこんなに
も人生が生きがいのあるものになるとは思いませんでした。
 このように充実した生活を送ってきたせいか、最近では
「過去の栄光」にすがってしまう自分がいます。今後は「
今は今」の精神で精進し、過去に決別したいと思います。



1.15 H
この前スーパーに行って驚いたことがあった。牛肉の値段が豚肉より安くなっていた
のだ。マクドナルドも売上を落とすなど狂牛病騒動はいまだに暗い影を落としてい
る。
この事に対する農水省の対応に落ち度があった事は否定できないだろう。大臣は過去
の過ちは自分に責任はないという発言を繰り返しているが果たしてそれでいいのだろ
うか?企業では不祥事が発覚した場合、当時の経営陣はもちろん発覚時の経営陣も責
任をとるのが普通だ。それは企業としての責任を社会に対して明確に表す必要があ
り、その上で一から出直す姿勢を明確にする必要があるからである。それに比べ農水
相の責任感のなさといったら!一つの部署の責任者である以上責任は免れることは出
来ない。
このような出来事は今の政治屋、役人の意識が変わらない限り同じように起こるであ
ろう。「公務員は全体の奉仕者であり一部の奉仕者になってはならない」事を忘れて
はならない。

1.15 H
この冬休みの3週間は自分にとって今までにしたことのない日々を送ってきたと
感じている。週に何度かは今まで通りアルバイトもしてきたが、その間に高校のときの
懐かしい友人と会い懐かしい話をしたり。親や友人、バイトの先輩とスキー場に
いったり。”なんだそんなこと”と思うようなことではあるが、そのようなことが
この3週間の間にこのような組み合わせで起こったことは、自分にとって、非常に新鮮
なことだった。そういえば、将来狂牛病も少し考えてみた。工学系に進んだ自分の
将来を考えると、やはり心配というか、不安なことが頭に浮かぶ。自分がやってみたい
ことと将来を結び付けようとすると、その時自分はそれまで誰もやったことのないこと
をしなければならないのでは、と。多くの人が同じ道に進んで、はたしてそんなことが
できるのかと。変なこと考えてるな、と思うかもしれないが、これも冬休みの間に
ちょっと考えたことの1つだ。普段の学校生活も日々何かしらあるけれども、
こういった長期休みの生活も自分の経験の1つとして、意義のあるものになりそうだ。

1.15 H
冬休みに発見したこと。
 私はこの冬、この盛岡出身の素晴らしい人物を知った。その人物は誰しもが知る
ような歴史の表舞台にでてきた人ではない。
冬休み中にある時代劇を見た。「壬生義士伝」というテレビ東京制作のドラマだ。
四部構成で合計10時間の長編番組。舞台は江戸時代末期、南部盛岡出身の下級武士の
吉村貫一郎という実在した人物が主人公。吉村はまじめで正義感の強く、剣術は免許
皆伝の腕前で子供たちに剣術を教え、また子供たちに字の読み書きなどの学問を教える
など文武両道で誰からも慕われるような素晴らしい人物だった。
 ある年、盛岡は2.3年にわたって飢饉に苦しんでいた。吉村は学問と剣術を子供
たちに教えるも、身分は足軽(武士の最下級らしい)で身ごもった妻と二人の子供を
食べさせていくこともできずこのままでは一家は飢え死にしてしまうため、当時最も
羽振りの良く、腕に自信があれば身分に関係なく取り立てるという新選組に入隊を決意
し脱藩者となり家族を田舎の雫石に残し京に上る。 吉村は給料を全て雫石の家族の
もとへ送っていた。金の亡者と陰口を言われるくらいどん欲に金を稼いだ。 
 その後、坂本龍馬などの活躍により幕府は大政奉還、しかし龍馬暗殺により平和的
解決とならず薩長軍と旧幕府軍の戦争のなかで新選組は崩壊。吉村はその最中に死亡
した。(内容かなり省略)
 私はこのドラマを見てとても感動し、とても興味を持ったので新選組など狂牛病
いろいろと調べてみた。
すると以外な事がわかった。吉村貫一郎狂牛病の資料というのは非常に少なく、
わかっているのは盛岡出身、新選組撃剣師範で、斉藤一、沖田総司、永倉新八と同等の
文武両道の武士とたたえられたということなど少数のことだけ このドラマのサブ
タイトルが「新選組で一番強かった男」というのもこのへんからきているとおもわれる。
 私は上記でドラマの内容はなるべく史実に沿ったものしか書いていない。それには
二つのわけがある。一つは字数的、かつ僕の体力的問題。もう一つは新選組狂牛病
インターネットで調べているうちに歴史学者でもあるらしいHP開設者が次ぎのような
ことを言っていたためである。 
 新選組や忠臣蔵など歴史上の人物たちをモデルに小説、映画、ドラマ、漫画がよく
描かれる。その中には史実に基づかない作者の架空の設定があり、それをそのまま歴史
上の人物として思いこんでいる人が多いと言うことだ そして、それは史実を後生に
正しく伝える上で大変邪魔になるとも言っていた。 その話を知るまで私は今まで
テレビで見た時代劇をありのまま受け取るところであった。そのため時代劇を見るとき
はそういったことを頭に置いて楽しむようにしたいと思う。 そういうことで今回は
「壬生義士伝」原作者の内田康夫の思い描いた想像上の吉村貫一郎の物語を楽しんだ
ということになる。しかし、数少ないエピソードも劇中でも描かれているのでかなり
史実に沿って作られているように感じた。今思えばドラマの内容は別に書いても良かっ
たと思う。むしろ書くべきだったかもしれない。反省。
 このドラマの最後に、吉村の息子の貫一郎(同姓同名)が東京帝国大学教授として
飢饉に強い米「吉村早生」を作りその後、我らが岩手大学の前身である盛岡高等農林
学校に行くというところで話が終わる。
 それがほんとかどうかは定かではないが、それが私にこのドラマにさらなる親しみを
持たせてくれたのは事実である。 
 それともう一つわかったことがある。時代劇というのは今まであまり見なかったが、
おもしろい!!過去の人たちの精神には学ぶべきものがたくさんある。また、反省
すべき点も多々ある。時代劇などの歴史ものはとても優れた教材になる。歴史、倫理、
心理学、人間関係、国語力といったあらゆるものの勉強になる。
これだけあればきちんとした人間になれる気がする。それとテロ事件後改めて感じた
アメリカ人の愛国心。
日本人にはあまりないようにかんじる。日本の歴史が好きになれば自然と愛国心も
生まれていくような気がする。それを世界史にまで広げればさらに世界は広がる。
 僕が思うに、国語と社会を合わせて一教科にすれば今何かと話題のゆとり教育にも
なると思う。名前は人間学とか。でも歴史はじっくり時間をかけてやるべきかも
しれない。内容を削るよりも勉強時間を増やしてゆっくり学んだほうがゆとり教育の
ような気もする。平均寿命も伸びてるし。小学校8年くらいやって人間の基礎を
しっかり学んで凶悪犯罪も減らす。親と接する時間も増やす。そうすれば日本の未来も
明るい?? 
 最後にこの冬最大の発見があった。僕って本当は文系人間かもしれない・・・。

1.16 H
      アメリカ同時多発テロ狂牛病感じたこと
 同時多発テロが起きて僕は多少ショックを受けた。今の時代、世界最強といっても過言ではないアメリカが想像もしない方法で大打撃
を受けたのだ。しかし、それでもアメリカが世界最強だということをこれまでの一連の動きで思い知らされた。アメリカはとりうる全て
の手段を用いてアルカイダに報復をしている。この動きを見ていると、アメリカに否定的な考えを持つ人が出てくるのもなんとなく理解
できる。アメリカはもっと平和的に事を進められなかったのかとか、いろいろ介入しすぎだとか、僕でも思うことがある。しかし、アメ
リカは進んでそのような面倒な役割を引き受けてくれていて、それで世界がうまくいっている部分もあるのだから、それでいいのかもし
れない。周りの国は、アメリカの行き過ぎを押さえて、よりよい方法を協力して実行していけばいいと思う。
 アメリカが今回の出来事を通じて、さらに調子に乗って国際社会の「アルカイダ」にならないことを願いたいと思う。



FD提出
2001年9月、米同時多発テロが起こった。私はその時テレビを見ていたのだが、
突然臨時ニュースが始まった。貿易センタービルにアメリカン航空の旅客機が墜落した
というニュースだった。その何分か後に2機目、また、ペンタゴンにも飛行機が墜落
した。とても衝撃的な映像だった。
そのご調査が進み、タリバン派勢力のビン・ラディン氏の起こしたテロであるという
結論に達し、アメリカの報復攻撃が始まった。今でもアメリカの報復攻撃とビン・
ラディン氏の捜索は続いている。
私は、この事件は、絶対に起こるべきではない、ひどい事件だと思う。たとえどんな
理由があろうとも、今回のような、多くの無関係の人を巻き込むテロは起こしては
ならない。しかし、アメリカにも責任がないとは言い切れない。過去にビン・ラディン
氏を支持し、武器の供給をしていたからである。しかも、アメリカの報復攻撃によって
も、アフガニスタンの一般の人々に多くの死者が出たはずである。
今回のテロを教訓に、「テロ→報復攻撃」という構図は世界からなくすべきだと私は
思う。もし今回テロを起こしたのがタリバンではなく、もっと大きな、例えばロシアの
ような大国のテロ組織だったとしたら、第3時世界大戦が始まっていてもおかしく
ないのではないだろうか。こんなことを繰り返していては、本当の平和は実現しない
のではないだろうか。


紙で提出されてたものの中から

狂牛病について
最近「狂牛病」という言葉をニュースで聞かなくなったものの、まだ被害の方は
まだまだ深刻のようだ。その被害を一番受けているものの1つとして焼肉屋が
あると思う。よく行く焼肉屋があるのだが、その焼肉屋は盛岡でも有名な店で
今年の夏などはけっこうにぎわっていたのだが、「狂牛病」という言葉が
世の中に出回るようになってからは、夏のにぎわいがうそだったかのように、
客足が少なくなり、私が店に行っても客がいないということがめずらしくもなくなる
状況である。実際は、もう国産の牛肉は安全なものではあると思うが、一度人々が
感じた不安というものは、すぐには消せないようだ。O−157もそうであったように
やはり長い年月が必要なのであろう。私は今は牛肉に対して何も不安を感じてない分、
今牛肉を安く食べれてうれしいところもあるのだが、狂牛病には少しも感謝はして
いない。なぜなら、私はこの文に出てきた焼肉屋でアルバイトをしていたのだが、
狂牛病問題の為に、アルバイトを解雇されたという「狂牛病」の被害者の一人だから
である。


1/22
 私は冬休みは実家の仙台ですごしました。すでに二十歳の私は新たなスーツや革靴を
買いそろえて成人式に出席しました。
 成人式後に中学校の同窓会をひかえていたので、どうせならと中学時代の友人といく
こととなり懐かしい顔ぶれに自然とテンションがあがって来たことを覚えています。
友人の中には数人でリムジンをレンタルして式場にいくつわものもいて、まぜて
もらおうかと考えましたが金額を聞き一瞬であきらめました。さすが社会人は違う。
 式場の仙台市体育館はとても大きな建物なのですが全ての成人を入れるだけの大きさ
はなく、かなりの人が外にたまっていました。と最初は思っていたのですがどうも
違うらしく式場にはくるが式にはでない人が大半のようです。ちなみに私はせっかく
なので会場にでましたが、ものの10分で終わってしまい後はイリュージョンなどの見て
楽しむような物が続きなんだかあやされいるようなきがし、外にでてなかなか会う
ことのできない友人と話しをし成人式を終えました。
 正直、式そのものの印象は全くありません。全国的に式を短くし、成人を楽しませる
ような形をとる所が多かったようで仙台も例外ではなかったようです。確かにそうする
理由はわかります。お祭り気分で来ている人も少なからずいました。懐かしい友と
あえば舞い上がりハメをはずしたくなるのでしょう。私も友人もそうでした。しかし、
TPOや限度を考えてこそ成人と呼べると思うのです。
 今回のことでなんで成人式をするのか疑問をもちました。わざわざ服装をそろえて
やることだろうか?見て聞くことだろうか?式で唯一心に残ったのは久しき友人と
会ったことぐらいです。今後の成人式がどのようになっていくのか、成人がどうなって
いくのかわかりません。
(この町の成人式で、講演者のエジプトの先生が怒ったことがありました)

1/22
私が生きがいを感じる時はサッカー日本代表が試合で勝つことです。私は小 中学校 
高校とずっとサッカーが好きでやってました。
あれは中学校の頃、誰もがアメリカワールドカップにいけるだろうと確信していま
したが 対イラク戦でロスタイムによもやの失点でワールドカップに出場できなかった。
あの時は本当に泣きそうになりましたよ。そしてフランスワールドカップの予選では、
ギリギリで出場できましたよね。予選の対イラン戦でブイゴールを決めたのが岡野
(野人)でしたので 同じ名字ということもあってか私のあだ名が野人になるほど
でした。岡野という名が一気に日本中で知れ渡ったということでかなりうれしい思いを
しました。
 今年はワールドカップイヤーで6月に始まるのをすごく楽しみに待っています。
初めて日本で開催され しかも自分が生きてるうちに日本で開催されることがないかも
しれないかと思うとテレビなんかで見ないでスタジアムに行って自分のこの目で見たい
です。
自分は日本でワールドカップが開催されているときに生きているということにとても
ありがたく思っています。実際地球上には今も飢えなどで苦しんでいる人がいると思う
と心が痛みます。でもそういった方々がワールドカップを見ることで少しでも明るい
気持ちになってくれればいいと思います。世間の一般ピープルは簡単に予選を通過
できるだろうと言ってますが 私は違うと思います。なぜなら韓国は何度もワールド
カップに出場してるのに未だに1勝もしていないからです。前大会で日本はジャマイカ
には勝てるだろうと言われていましたが結局負けてしまいました。ですからワールド
カップは何が起こるかわからない。ということは日本が勝つかもしれない。
日本代表には優勝するという気持ちでがんばってほしいと思います。   

1/22
「同時多発テロについて」
 最初にあの映像を見たとき今までにない恐怖を感じました。そして、戦争行為が自分
の生きる時代にしかもテロというかたちで行われたことに深い悲しみを感じました。
あの事件を見た多くの人々がアメリカが正義でタリバンが悪という位置付けをしたと
思います。
今でも自分の中でその考えは強いのですがテロ関連のニュースを見るたびに単純に
やられてやり返した話ではないことを痛感しました。宗教問題や国と国との経済格差、
難民問題などその背景にあることが深刻でありこの先の状況が非常に気なります。
これまで教科書やニュースを通じて数々の戦争を見てきましたがどこかで自分とは無縁
だと思ってました。しかし今回の事件で何の罪もないNY市民が殺されたことから自分の
身にも起こりうる可能性があることに気づき他人ごとではないと思いました。その時
から日々のニュースが目が離せなくなり以前より事件の背景にある国際問題について
真剣に考えるようになりました。それは日本人としてではなく一人の人間としてのこと
でありまたそう思えたことから自分は貴重な時代に生きた捉えることにしました。

1/22
米国同時多発テロ事件について
米国同時多発テロ事件が発生してから、もう随分と時間がたってしまった。21世紀
の最初の年から全くとんでもない事件が起こってしまったと思ったのは言うまでのこ
とは無い。正直な感想は旅客機が世界貿易センタービルに突っ込み、あんなに立派な
ビルがこんなにも簡単に潰れてしまうものかと思いました。あのビルが崩壊していく
さまは、まるで映画を見ているようでした。米国のテロ組織に対する報復攻撃には賛
否両論の声があり、自分自身も一体、どうするべきか考えさせられるものがありまし
た。テロ行為とは決して正当化されてはならないものであり、一日でも早く世界から
このような行為がなくなることを願っています。一方、米国の国内での活動ではすば
らしいものがあったと思います。阪神大震災当時に、神戸に本拠地を置くオリックス
などが優勝を目指してがんばったのと同様に、ニューヨーク・メッツなどのプロ野球
選手が少しでも人々に勇気を与えようと奮闘していた様子は非常に感動させられるも
のがありました。一刻も早く、首謀者を捕らえて罪を償わせるべきであり、亡くなっ
た人々やその家族もそう願っていると思います。この21世紀は始まったばかりです
が、これからは平和な日々が続くことを願っています。

1/22
同時多発テロについて
 昨年の夏、二機の旅客機がアメリカのマンハッタンにある世界貿易センタービルに
衝突した。この瞬間を私はテレビでみていました。
その時僕の頭の中は真っ白になりました。世界中で一体何が起こっているのか?もし
かしたら戦争が始まったのか?とさまざな事が
頭の中を駆けめぐりました。次の日ニュースでこの事件はテロである可能性が高いと
知り私は強い憤りと同時に悲しみがこみあげて
きました。どうしてこんな悲劇が起きたのか?なぜこんなにもたくさんの人が死に追
いやられなければならないのか!!!!なぜ!!
どうして!! 今現在世界のいたるところで戦争や紛争が起こっています。日本政府
は今回アフガニスタンへ軍事作戦を行ったアメリ
カやイギリスの援助をするために軍艦までだしてしまった。世界に誇る平和憲法を持
つ日本としては軍事力での援助はすべきではな
かったと思います。軍事的な行動を援助したことは、近隣諸国の韓国や中国などのア
ジア諸国へ不信感を少なからず与えてしまったの
ではないでしょうか?

1/22
狂牛病について
 最近盛んに騒がれている狂牛病は感染している牛を食べると人体にも感染し、やが
ては死に至るという恐ろしい病気でイギリスだけだったものが他の国でも見つかり日
本に限らず大騒ぎになりました。しかもその牛肉を食べた別の動物や、牛の髄液を
使った食品も危険だということで何も食べられなくなるんじゃないかと思いつつ、食
物連鎖がすごいなとも思っていました。ですが日本では3頭見つかっただけでほとん
ど大丈夫だと言うことで、安心しました。むしろ安くなって食べ時だと思いました。
安くなっても高いですが。
 しかし安全な牛肉を扱う店ではとても迷惑な話で、そういった店のことも話題にな
りました。実際に友人がアルバイトをしている焼き肉屋でも狂牛病問題以来来店者が
減ったようで、バイトの時間や回数が減ったと嘆いていました。自分のバイト先でも
牛タンがメニューからはずれてしまいました。今回のような場合は国際問題等に発展
しかねません。いぜん日本では貝割れ大根の問題がありました。その時も生産者が多
大な被害を受けました。こうした被害を増やさないためにも、安全の確認と仕入れや
輸出、輸入の際に相手を明確にするなどということが必要だと思います。
 
1/22
     生き甲斐を感じるとき
 私が生き甲斐を感じるときは特にはっきりと決まっていない。そもそも生き甲斐を
もっている人は、
大きく2つのグループに分けることができる。1つは生き甲斐を感じる対象をはっき
りと持っている人で
ある。(こういった人は主にスポーツ関係において熱狂的なファンであることが多い
らしい。)
そして2つ目は生き甲斐を感じる対象が決まっておらず、毎回対象が変わる人であ
る。私の場合
後者に当てはまるが、生き甲斐と言ってもごく日常的なことである。例えば、食べた
い物があったり
とか欲しい物があったりといったことだが、こういうものでも大きな原動力となるも
のである。
「明日のスケジュールは大変だけど終わったらおいしいものをたくさん食べてやる
!」というふうに
1つ1つの困難に対しそれを乗り越えるための生き甲斐を作ることはとても重要だ。
人は生き甲斐-つまり生きるための目標-を持ち続けなければならない。

1/23
狂牛病について
  実は狂牛病には不安とともに感謝もしている。自分は一人暮らしをしているので、
牛肉を食べる場合安く済むからである。あの騒ぎから、スーパーに行くと牛肉はあまり
売れずに豚肉などが売れていたりしていて安くなっている。やはり一度信用を失うと、
消費者は買ってくれないんでしょうね。でも、もし狂牛病の牛肉を食べてしまうと
何年か後に死んでしまうのはきびしいですね。自分は安全を選ぶべきなのでしょうか?
やっぱりお金がかかりますからねー。
  最近、読んだ本の中では狂牛病は小泉首相のせいだとか書いてありました。
テレビでは、農林水産省だったかが責任の擦り付け合いをしていました。政治家は
醜かったです。なんで、他人のせいにするんですかね?誰のせいでもないような気が
します。アメリカだってかの飼料を使っていたと聞きましたが、その飼料を他でも
たくさん使っていたでしょう。その中の一握りが狂牛病になってしまった。それは人間
の中にでもありうるこであるからそんなに問題視する必要はないような気もします。
  あと何年かは、この狂牛病問題で牛肉の売れ筋は悪いと思いますが、日本には
たくさんの肉牛がいるしそれを飼う農家もいるのであるから早急の解決が必要になると
思う。個人としては、安くて助かるけれども。

1/23
まずあのニュースを見たときは、みんながよく言うように映画をみているかのよう
でした。その後のニュースでいろいろな事実が明らかにされていくなかで、
ビンラディンというおとこの名前が浮かび上がってきました。民族的な問題から
こういうことが起きたのだとかんがえられるけど、アメリカの報復攻撃などを見ると
ほんとうに戦争を見ているかのようでした。そんな攻撃では罪のない人まで犠牲に
なっています。そんなやりとりはもうみたくないとだれもがおもっているとおもいます。
そんな争いがない平和なしゃかいがはやく来ることをねがっています。        
1/23
最近の出来事(構造力学)
 冬季休暇に入ってから構造力学のレポートは橋に関するものだけだと思っていた。
それで、講義が始まってレポートを1つしか出してないと言われビックリしました。
22日の今日に急いで完成させて締め切りを守りたいと思いました。
 また今日は物理のレポートもやっていました。グループ構成なので時間を合わせる
のが大変ですが、私の班の人たちにパソコンに強い人がいたのでとても助かりました。
後は、レポートをグラフ化したのと、ソースリストなどを印刷して今日は終了しました。
残りは考察や計算式、第三のグラフなどが残っていますが早く終わらせたいと思います。
 最後に、最近は少しばかりパソコンにも慣れてきました。というのは、この前は
デジカメを親から借りました。かなり新しいので使い勝手はいいです。サークルでは
弓道をしているので、射型を写したりしました。またパソコンにつないでプリント
アウトすることもできるようになったのでよかったです。

1/23
  米同時多発テロについて
 9月11日、ボーっとテレビを見ていた僕は、突然のニュース速報で信じられない光景
を目にした。NYの世界貿易センタービルへ、2機の飛行機が相次いで激突するという、
まるでCGを駆使した映画のような、凄まじい1シーン。ビルが崩れ落ちる様子、慌てて
逃げる人々、飛び交う悲鳴・・・。まさにそれは「近代の地獄絵図」と呼ぶにふさわ
しい光景だった。しかし、その報復として空爆を仕掛けるのは、僕はどうかと思う。
確かに、テロに対しての軍事的制裁も一つの手段だろうし、それに賛同した人も
たくさんいるだろう。もちろん、テロは許される行為ではないし、テロリストは厳しい
裁きを受けるべきである。だが、報復によって罪の無い一般市民を巻き込むのは、
決して正しい行動ではないだろう。「戦争」に対して「戦争」で反撃するのは、
「平和」からどんどん遠ざかっている気がして仕方が無い。しかしそんな中、
ニューヨーカー達は、着実に、しかも驚くべきスピードで復興の道を歩んでいる。
事件の直後、ブルックリンのある病院には300人を超える人たちが献血を申し出た
らしいし、学生ボランティアたちは募金や寄付活動に励んだり、情報交換に使われて
いるホームページの更新に積極的に参加したりしたらしい。また、大リーグのNY
メッツは、現場で働く消防士に敬意を表し、ヘルメットに消防のロゴマークを貼って
試合に出場した。(そして奇跡的な逆転勝ちを収めた。)僕は彼らのそんな凄まじい
生命力や愛国心に、NYの本当の強さを見た気がして、とても感動した。
 いまだに事件現場の近くには、「WAR IS NOT THE ANSER」や「NO MORE KILLIG」と
書かれたプラカードを高々と掲げる人々がたくさんいる。ジョン・レノンの
「イマジン」を、歌詞を噛み締めるように歌う人たちもいる。僕たちはその彼らの
メッセージをしっかりと受けとめることが大事なのではないか。そして彼らの痛みを
理解する人が増えていけば、今回のテロ事件の解決は早くなると思うし、このような
酷い事件ももう起こらないと思う。 ちなみに、僕は何気なく聞いていた音楽のこの
フレーズにひどく心をうたれた。
「僕らは泣くために生まれたわけじゃないよ
 僕らは負けるために生まれたわけじゃないよ」 By THE BLUE HEARTS
音楽って素晴らしいですねー。   

1/23
アメリカの同時多発テロについて
 2001年9月、アメリカにとって、いや世界にとって一生忘れることのできない
事件が発生した。その事件当日テレビを見ていた私は非常に強い衝撃と、そして強い
怒りを覚えた。
 アメリカはすぐにこれはアルカイダのやったことであると断定して、アフガニスタン
への攻撃を開始した。その目的はアルカイダのせん滅であったが、その攻撃によって、
何千人というアフガニスタン国民が殺された。その数は多発テロで犠牲となった人の数
より多いとまで言われている。そこで私はこの攻撃の必要性について考えてみることに
した。
 確かに多発テロによって多くの罪の無い人々が殺され、日本人も数名犠牲となった。
その犯人であるアルカイダはせん滅させなければいけない組織であると私も思っている。
しかしそのためにアメリカはアフガニスタンの何千人もの一般人を殺し、多くの戦争
難民を出した。はたしてそれが正義と呼べるのだろうか、私にはアメリカのやっている
ことはアルカイダと何も変わらないような気がする。そうでないことを世界中に示す
ため、今後アメリカがアフガニスタンをどのように支援していくのか注目していきたい。
1/23
今年の冬休みは、割とノンビリできるなつやすみでした。前半はバイトバイトの毎日
で、まだ新入りで不慣れな僕には、少し窮屈でした。去年の12月から始めましたが、
居酒屋メニューを覚えるのが大変で、とても苦労しました。僕ともう一人ベテランの
本間さんと二人で交代しながらやっていていろいろと仕事のイロハを教わっている
のですが、僕は人より覚えが悪いらしく、料理を作るたびに聞いているのでいつも
迷惑をかけてしまい、全然頼りにならないそうです。早く料理の作り方を完璧に
覚えて、他のバイトの人をフォローできるくらいになれるよう頑張っています。
そのバイトのせいで今年は盛岡で過ごすことになってしまいましたが、今年はバイト
と勉強を両立できるように頑張ろうと思います。