オオムラサキは日本昆虫学会で「国蝶」に選ばれた蝶です。 朝鮮半島から渡ってきたといいます。 北は北海道から南は九州までほぼ全国で生息が確認されています。 オオムラサキはエノキやエゾエノキを食樹としています。 また、その他にも樹液を出すクヌギやコナラ、クリなどが生えている雑木林が必要です。 雑木林は古くから人間がまきや炭、また、田畑に使うたい肥を得るためにつくってきました。 雑木林が増えることで、オオムラサキも次第に増えていったと考えられています。 しかし、燃料がまきや炭からガスや石油に変わっていき、たい肥も化学肥料に変わっていきました。 そのため、雑木林は伐採され、オオムラサキの生息地も減っていきました。 オオムラサキは人間が環境を作ってきたおかげで生きてきました。 いま、雑木林を残そうという市民運動もあるようです。 オオムラサキにとって、生きるためには人間は欠かせない存在です。 オオムラサキが生きるためには人間が雑木林を残さなければなりません。 今の日本の社会はコストの削減が一番に求められていると思います。 そしてそれができないものは容赦なく切り捨てられているように見えます。 しかし、私はそれだけが大事というわけではないと思います。 これからは経済性だけ考えていてはまずいのではないかと思います。 参考資料 飛べ オオムラサキ 編者 国蝶オオムラサキを守る会 出版社 講談社 オオムラサキの生態と飼育 著者 森一彦 出版社 ニュー・サイエンス社 オオムラサキ 著者 森一彦 出版社 あかね書房 人間が手を加えないと駄目になる自然 私がすぐに思いつくのは絶滅直前の動物や植物といった生き物たちです。 私の中で最も鮮明に覚えている生き物といえばやっぱりトキです。 もとをたどれば人間のために絶滅においやられた生き物だけど今は人間の手中で 数ひきのヒナが今日本の地に生まれてきています。昔は沢山いたものでも絶滅という ものに直面するということがこのように分かります。何ていうか人間が駄目にして しまった自然を人間が直さなければならないのはあたりまえで、人間が自然を そのままにして生きていけばいいのだが、それは無理なことであって、 人間が駄目になる自然に手を加えなければならないことは必然的であると思う。 人間がすることは自然を壊すことにつながると思うから、その破壊をどう最小限に おさえ、壊した自然をどのように回復させるかまでを考えてから開拓しなければ ならないと思う。でも人間が手を加え完璧に直した自然では駄目だ。 自然にだって人体のように自ら治る力をもってると思うから、人間が手を加えて 自然がそれからどうなっていくかを予測して、一番治りやすい状態にまで治すのが ベストだと思う。そうしたら自然はもとどおりとはいかないがこれからに あった状態になると思う。 メダカと水田 メダカの学名は「オリジアス・ラティペス」という。その意味は「水田に住む 幅広いひれを持つ魚」である。この学名からわかるように、メダカと人間には 深い関係がある。 もともとメダカが生息、繁殖するのは、雨期に増水して水たまりとなるような一時的 水域である。そこは、一時的なるがゆえの捕食者がすくなく、栄養豊かな土が 水に浸かることで小さなプランクトンを育て、メダカなどの生き物を養うことが できるのである。しかし、そこは干上がる危険性を秘めているのである。 そこで、メダカが暮らすのに適当な場所となるのが、人間が作った水田や、 河川の本流より流れの弱い用水路なのである。水田は人間が管理することによって、 一時的水域をより広域にかつ安定的に提供することができるのである。 よって、日本に関して言えば、メダカの生息と人間(水田)との関係は、水田稲作 が始まった2000年以上前からと言えるのだ。 しかし、今メダカは1999年2月に環境庁が発表した「レッドリスト」と言われる 日本の絶滅の恐れのある野生生物の種のリストの中に入っているのである。 それは水田の灌漑の方法の変化や、ため池を埋め立ててしまったり、 コンクリートの用水路が作られたりすることが要因のひとつでもある。 水田では、何よりも米の生産が一番であるが、メダカが生息できるような水田、 用水路を残す、または、作ってあげることが、メダカが生き残るための手段になる と思う。メダカが生き残るためには人間の力が不可欠である。 参考文献 メダカが消える日、小澤祥司、岩波書店 二次林では、カタクリのような、一定の光量、日照条件があってはじめて開花する 春植物が多く生育している。こうした春植物は貴重で魅力的であるが、照葉樹林化が 進むと、このような植物は生育できなくなる。 自然保護、レクリエーションの観点から樹林を評価する場合、植生の二次変化の系列を 理解し、どの人為的インパクトの段階の植生に目標を定めるかを決めることは、 その後の管理のあり方を考える重要な判断材料となる。 現在は裸地で、将来は自然林にしたい場合には放置してもよいが、それでは時間が かかる。西日本では、伐採跡の裸地が二次遷移をへて照葉樹林になるまで300〜 500年かかるといわれている。しかし、明治神宮の緑化のように、あらかじめ先駆的 な陽樹のマツを植え、林床に陰樹のシイ、カシ類を植栽すると、100年以内で 天然更新を繰り返す照葉樹林になる。 二次林を照葉樹林に変えていく場合には、林床に生えているススキやネザサ、落葉樹 をできるだけ除去して、照葉樹林の高木となりうる常緑樹が生長しやすいようにすると 遷移が促進される。その場合は、シラカシ、アラカシ、スダジイなどを選択的に残す 必要がある。 二次林を将来も二次林として維持したいときには、薪炭林施業での場合と同様に、 なんらかの人為的インパクトを加え続けていかなければならない。ただその場合でも、 人為的インパクトの加え方に工夫がいる。関西のネザサや関東のアズマネザサは 最初の数年強度に刈り続けると葉が小さくなり矮小化する。そうなると数年に一度の 刈り取りでも十分人が立ち入れるようになる。 要約すると、二次林では目標とする植生と比較して大きく三つの管理方式がある。 第一は現在の二次林をそのまま維持する持続的な管理、第二は現在の二次林を 自然林に移行させる育成的な管理、第三は現在の二次林をより疎林・草原的な状態に 移行させる抑制的な管理である。こうした基準で、それぞれの地域をゾーニングすれば、 利用目的、環境保全機能に応じ、比較的容易に樹林の様相、環境整備の基準・水準を 決めることができる。 人は自然に手を加えている 人間が自然環境に手を加えなければ、環境が変化してしまうものとして、「金華山の 鹿と植生」が挙げられる。 金華山では、近年鹿の数が増えすぎ、植生が変化してきているらしい。鹿の主食は、 シバやススキなどのイネ科の植物が主食であり、以前までは鹿の頭数とイネ科植物の つり合いがとれた平衡状態であった。けれども近年鹿の頭数が増えるにしたがって、 金華山にあるモミ林やブナ林の実が食べられてしまう現象が起きている。実が食べ られてしまうことによって次世代を担う若木が育たなく、最近では巨木が倒れ、そこに ススキが侵入して来ている。そのため、ススキなどを主食とする鹿が集まり、 木が少なくなる悪循環を引き起こしている。そのため金華山の尾根沿いに禿が目立ち、 林もサバンナ状になっているという。 そのため、人間が植林を行ったり、鹿の頭数を減らすために手を加えている。 このように、自然のままでは駄目で人間の手を加えなければならない自然環境がある。 私が考える人が手を加えないと状態が変わってしまう環境の例は、川です。 川というのは日本中のどこにでもありますし、だれしもが必ず何らかの形でお世話に なっているものです。しかし、川というのは人々に恵みをもたらすだけではありません。 大量の雨が降れば洪水になることもあります。また長雨が降れば土石流などにもなります。 このように川は自然の姿そのままでは人々に被害をあたえる事もあります。 このため砂防や治水の工事という形で人が手を加えなければいけません。 代表的な砂防・治水工事としては、砂防ダム、流路工、導流堤、山腹工、護岸工事など があります。砂防ダムというのは、土石流などの大量の土砂が一度に流出したときに、 一時的に土砂を堆積させ、その後の出水により徐々に流下させるはたらきをもっており、 砂防施設としてはもっとも基本的なものです。砂防ダムは完成後しばらくたつと土砂で いっぱいになりますが、その後の洪水毎にあふれた土砂は少しずつ下流に送り出される ため、急激な土砂の流出がおさえられ、下流での大被害を未然に防ぐことになります。 砂防ダムが出来ると河床が上がって勾配が緩くなるため浸食作用が衰え両岸の崩壊が 少なくなるという利点があります。流路工というのは、急流河川では川底や川岸が浸食 されて、下流に土砂が流出し、氾濫することがあるので浸食を防止し、流路を安定させ るための工事です。導流堤というのは川筋からあふれた土石流を砂防ダムのある川筋の ほうに導く堤防のことです。山腹工というのは、山腹の崩壊箇所で崩壊の進行をおさえる ために行われるもので、荒れた斜面を整え、植物の種をまいたり苗木を植えて緑化を図る ことです。 以上のような工事により川からの洪水、土石流の被害はかなりおさえられています。 川には人の手を加えなければいけないと思います。 人は自然に手を加えてます 近年盛んに「自然保護」という言葉がよく聞かれます。しかし、ここで言う”自然を 保護する”ということは、どのようなことを言っているのでしょうか?自然を自然の まま人の手をまったく加えないで、そっとしておいてやる、ということなのでしょうか? それは、いわゆる自然界と人間界を分離させることに他ならないことだと僕は考えて います。つまり無理。人間は自然という全体の一部にもりこまれた存在であるからには、 それだけを分離させることは不可能です。そのようなことをしたらとてもとても生きて いけません。そこでまた流行文句の登場です。 「自然との共生」自然とともに生きる..。これならばいけそう!なんといっても日本 には、昔から村落のそばには”里山”という管理がよく行き届いた山があるのですから。 そして、この里山は、すでに自然と一体として、そこに生息する動植物の生態系にも 深くかかわってきます。 まず僕が強く押したいことは、「マツタケ」が、里山ぐらいにしか生息することが できないということです。 言わずとも知られているとおり、マツタケは山の南向き斜面のアカマツ林のアカマツの 根本付近に生息しています。さらに一番大切なことは、アカマツの周りに他の草木が ほとんどなく、風とおしがよく、日光がそれなりにあたるという条件があります。 これらの条件がそろわないと、マツタケは生息できません。そして、この条件をみごとに 満たすのが里山というわけなのです。たぶん、きっとそうだろう。 急にマツタケが食べたくなってきた。炭火で焼いて、食べるのが最高!!と思っている 方は多いのではないでしょうか?僕もその一人です。...早く秋にならないかなあ... しかし、人間がもし里山を作らなかったならばどうなっていたでしょうか? 僕たちは、おいしいものが食べられなかったかも分かりません。それはいやだ。 ぜったい食べたい。里山バンザイ!! ハッ、そう言えば、里山を管理するのは村の人達。管理者に高齢化の波が押し寄せて いる。そういえば、近年里山が荒れてきているという話題がよくでているような。 里山の管理ができなくなってしまったら、そこに生息する動植物の生態系がこわれて しまう。なんということだ。なんとかせねば。よし、まず村落の高齢化問題を解決する 方法を考えよう。 環境について 環境は人間が手をくわえないほうが自然でいいと思う。しかし、人間が生きてゆくうえで、 手をくわえなくてはいけない環境もあると思う。例えば住む場所、つまり住宅である。 人が生きるためには住む場所が必要である。だから、大昔は森林だったとこか草原だった ところを開拓し家をたてている。もし、家とかをたてずに森林や草原などという昔の 環境を変えてなければ人間は外で一日中すごさなければならなくなる。そうすると 動物や人間からおそわれる危険もあり、また雨や雪などの天気のときも大変である。 他にも家にいることにより保温効果もあり、冬に家がないと寒すぎて死んでしまうこと もありえる。 家にあるものの中にはクーラーやエアコンなどがある。これを使うと二酸化炭素が 排出されオゾン層がなくなっていきます。そうすることによって温度が上昇すると いった温暖化現象が起こり環境が破壊されていきます。しかし、これも人間が生きる ためにはしかたがないことだと思います。ロシアか他の国でも寒いときでは−20℃ ぐらいになり、このときに暖房をつけないと死んでしまいます。逆に暖かい風では 平気で40℃を超えるところがあり、クーラーをつけなくては倒れてしまいます。 他にも災害から守るためにダムを作ったりして森林を伐採して環境を悪い方に変えて いる。しかし、これも必要だと思う。もしダムがなかったら大雨が降ったときにほとんど が洪水になってしまって、そのたびに死者がたくさん出てしまう。他に道路とかも 必要だと思う。もし、道路がなく、すべてが森林や山だと車も走れなくなり移動手段 がなくなり、世界の経済がなりたたなくなってしまう。 食べ物に関しても環境を変えなくてはいけないと思う。昔は人口が少なくて食べ物は 豊富にあったから、何もしなくても生きることができた。しかし、今は人口が爆発的に 多くなり大量生産しなくては生きていけなくなった。それによって遺伝子をいじり はじめて食べ物の環境もかわっていかなくてはいけないと思う。 いままでのことより、やはり人間が生きるためには環境を変えなくてはいけないと思う。 そしてその大部分が悪い方に変わっている。しかし、自分たち一人一人の努力で それを最小限におさえることは可能である。節水や節電、他にも電気用品を長く使用 したりしたら、もっといい方向に環境が変わると思う。そしてなんといっても僕たち 土木をよくする人間が環境のあり方を常に考えて将来もっと環境がよくなるように 努めていくのが一番だと思う。そして、もっといい環境を作っていきたいです。 「人が手を加えないとダメな自然は?」−農業から探る− 自然において我々人類がそれに対して手をかけつづけなければならないもの、それは我々が 純粋な自然に対して手を出した領域全てに及ぶといっても過言ではないであろう。 我々ははるか昔より自然の一部を自分たちの支配下にしようとしてきた。時として気まぐれ な自然は大雨や旱魃を引き起こし、人間はその中であえいでいたが、年を経るごとにその自然 を徐々に自分の管理下としていった。 ここで、農業を一つの例としてあげてみようと思う。日本には今数多くの田園地帯が広がっ ているが、そこには先人たちの多くの苦労の跡がある。ひとつ例をあげてみよう。私の出身地 である宮城県は日本でも有数の米どころであるが、品井沼という沼が昔あり、それを農地に干 拓、開墾したというエピソードは郷土の歴史として県内の小学校の社会科教材としてよく用い られている。品井沼という沼は流入する水量に対し流出する水量、河川のキャパシティーが小 さく、たびたび氾濫を起こしていたのだが元禄期からの何度とない干拓事業により沼は干拓さ れ大きな田園地帯に生まれ変わった。人が自然を作り変えたのである。このような農地をうみ だす事業は他にも八郎潟の干拓、石狩平野の泥炭地の客土による改良など、枚挙にいとまがな い。これによって私たちは多くの食料増産を成し遂げ、今の日本を築いたのである。 しかし道徳の授業ではないが自分が行ったことへの責任はある。干拓においては排水施設等 へのメンテナンス等、手を加え続けなくてはならない。 自然において成り立っていたある一定のバランスというものが人の手が入ったことによって それが崩れ新たなバランスを生み出した。これは人間がそのバランスの構成要素になったとい うことに他ならない。そうなってしまった以上、人はその環境を維持するためにはたゆまぬ努 力をし続けなければならない。自分たちにとって心地よい環境であるならば尚更である。さも なければそのバランスは崩れ、人にとって好ましくない環境となるであろう。 人間がこの地球にいる以上自然との関わり合いは不可避である。その中で我々は自然を自分 たちに適化させていくことと、その自然を保全しいていくというある意味対極的なことをし続 けなければならないであろう。自然のままでは今の生活など到底できないし、自然がなくなる とは、地球上の生物の死を意味することなもであるから。