建設環境工学通論 平成14年度 応用化学科&材料物性工学科3年生

第4回目のアンケートから

ブロジェクトXはプロが作っているから説得力がある。
それにしても偉大な工事だった。感想文を以下に紹介します。

[本日のビデオの感想。]

現在はあたりまえのように使っている電気が、当時これほど深刻なまでに不足して
いるとは想像できなかった。一つのダムを建設するのに、これほどまでに
多くの人々の思い、努力、苦労がつまっていることに驚きと感動をおぼえた。
ダムを作るための犠牲や悲しみなどが心をうった。トンネルを掘ったり、
ブルドーザーで山を登るという方法は素人である私にも、非常に難しいという
ことはわかる。大胆で思い切った心と細かいところにまで気を配る繊細さが
必要であると感じた。171名の犠牲者が出たが、彼らの意志や行動は今なお
生きている。私も今、電気をあたりまえのものではなく、人々の思いがつまったもの
として感じていきたい。

着工までの大変な苦労がとても伝わってきた。トンネルを掘るときも大量の水が
出てきて5ヶ月も一歩も進まなかったというのに驚いた。
どんなに機械が進歩しても、それを工事する所にもって行くのはどうしても
人手を使うしかないのかと思った。
ダイナマイトでの発破作業は機械を使うより早くできるので、すごい技術だと思った。

黒四ダムは戦後の社会事情の要請によって始まった大プロジェクトであるが、
中村氏の部下の管理手腕によって成功した部分が大きいと思えた。中村氏が部下の指揮を
高め、部下を育てていったことで過酷な状況での作業が成し遂げられたのだろう。
また部下を育てていったからこそ工期の遅れを取り戻すための発破工法が部下から
出てきたのだと思う。部下を育てることのできる人材というものは重要なのだと思えた。

今回のビデオは技術や知識を得たというよりも、一つのものを作り上げた人々の力を
思い知らされました。1000人の人々が力を合わせ、さらにあの環境の中で
大町トンネルさらには黒四ダムを完成させたのは僕にとって信じられないほど驚き、
感動する内容でした。さらにそれだけの人々の上に立って指揮した中村さんは多くを
語りませんでしたが、想像を越える苦労があったと思うし、完成した時の喜びは
相当なものだったと思います。関係した方々のエピソードなど交えてありましたが、
皆さんが今の自分の同世代の頃にあのようなことを考え、あのような苦労をしていたとは
とても考えさせられました。

ダム建設という大事業を行う者の考え、工事を行う上での問題点がよく伝わってきた。
また、工事にかかわる人たちの人間模様が見えてきて、多くの人が直接、間接的に
かかわり合い、多くの人が命をおとして、その一生に大きな影響を与えたことが
わかった。ダムを建設するにあたり、ダム本体を作るより、ダムを作るための工事、
資材、機具を運ぶための方に重点がおかれ、大変な工事であることがわかった。

プロジェクトXはたまに見ていますけど、この黒四ダムの時は見ていなかったので、
見れて嬉しかったです。冬の山にダムを作るのは想像しただけでも厳しいのはわかるけど
想像以上でした。寒さだけではなく、水が大量に出てきたり、食料が凍ったり、
なだれが起こったりと、その中でダムを作るのは本当に大変だったろうと思いました。
しかし、どんな大きな壁が立ちはだかっても、それを乗り越えていく発想の豊かさに
驚きました。

本日のビデオは、黒四ダムについてだったが、去年私は黒四ダムに行ったので、
見ていてよくわかった。黒四ダムは本当に大きく、ただただ圧倒されるだけであった。
去年行った時には、近くにある資料館に時間の都合上行けなかったので、
ダム建設の裏側に、あのようなドラマがあったことは知らなかった。
黒四ダムに行ったときは、富山側からロープウェイを使ったりして行った。
動力を使ったのに、本当に時間がかかった。本当にブルドーザーであの高度まで
登っていったのかと思うと信じられない。
また、帰るときに大町側のトンネルを通ったが、あのトンネルを作るために
相当の苦労があることも分かった。トンネル内は暗く狭かったが、あのトンネルが
ダム建設の重要な役割をになっていることもわかった。

過酷なダム建設についてよくわかった。中村という人の発想がすごい。
ソリで資材を運ぶというのは、誰でも考えつくものではないと思う。
怒っても人がついてくる中村という人のカリスマ性がダムを作る上でとても重大な
役割を果たしたのではないかと思う。

今であればもっと楽にできたかもしれないダムを、戦後のたいへんな時にダムを建設した
のはすごいことだと思いました。中村さんの人柄がみんなを引っぱっていけたんだと
思いましたが、中村さんが集めてバックアップしていた人たちもよかったから
ダム建設がうまくいったのだと思いました。みんなが一生懸命やっている写真や映像を
見て、またその時の話を聞いてすごく感動しました。
作業員を死なせないと言っていた中村さんにとって171人の亡くなった人たちには
頭が上がらないし、感謝している存在で、一生忘れられない存在でもあるのが、
最後の映像で、頭を下げている姿を見て、それを感じることができました。

今日はダム建設のビデオを見ましたが、とてつもなく大変な労力と犠牲を伴った作業の
もとに完成したということがわかりました。ダムはとても大きな建設物なので、
一人の知識だけではできないと思います。全員が同じ目的に向かって努力していくことが
重要だと思いました。

ダムを作るためにした苦労というのは、私の想像している以上のものだと思う。
元間組の中村さんは、ダムにかける熱い想いと、それ以上に仲間の死を乗り越えてまでも
作らなくてはならないという使命感があったからこそ完成するまでに至ったことを知った。
指導者として、部下の安全のために朝早く働いて、部下に厳しい指導をするためにも
まず自分に厳しくしていたところも印象的だった。これもやらなくてはならないんだ
という強い想いがあったためだと思う。

黒部ダムの建設理由には、関西電力が関係していたとはまったくわからなかった。
私は何度もアルペンルートを通り黒部ダムに行ったが、あんなにトンネル工事が
つらいことで、アルペンルートにはあんな歴史があったのかと、今日のビデオで
わかりました。

黒部のダムは一度見に行ったことがあるが、すごい大きさだった。あんな断崖絶壁によく
作れたと思う。足場もあんな細い道しかなく、調査に行くだけでも3日かかるのに
ものすごく大変な作業であったということがわかった。1万KW発電するごとに1人が
死ぬというダム工事に、どうして自分から志願できるのだろうと思う。
それほど中村さんに人望があったということと使命感があったのだろうということを感じた。
とても昭和30年代に行われた工事だとは思えないほどすごい作業だった。
完成した時の中村さんの笑顔が印象的だった。

戦後関西は関東に比べて電力の普及が遅れていて、休電させるなどして電力が乏しいという
現実があった。そこで、ダムを作る水力発電の計画が立てられていたが、自然の巨大さに
いつも失敗していた。
7年という期間にダムを完成させなければ停電し続けるという事態に、関西電力は5つの
建設会社に依頼して、黒四ダムの建設を試みた。しかし、そこは断崖絶壁で機械や資材を
運ぶのにかなりの時間を必要とした。そこで、時間削減のためトンネル工事をしたのだが、
厳しい冬のため困難を極めた。ダイナマイトを使用するなど智恵をふりしぼり
作業員との協力のかいあってようやく黒四ダムは完成した。私は、私が生まれる前に、
このようなすさまじい計画をたて実行し完成させたという事実に驚愕した。
私たちがこうして生きているのも、このような人たちの努力無しでは有り得なかったこと
かもしれない。今回ビデオを見て、本当によかったと思う。私も次世代の人たちに感謝される
ような人になり、貢献していきたいと思う。

黒四ダムの写真    黒四ダムの写真    黒四ダムの写真    黒四ダムの写真    黒四ダムの写真    黒四ダムの写真