突厥 とっけつ、とっくつ

6〜8世紀に北アジアを中心とし中央アジアをも支配したトルコ系部族 およびそれを中心とする遊牧民族連合国家をさす。 チュルク Tuerk の音訳。 その君主は可汗またはハガン(カガン)と呼ばれる。 そして、その下に小可汗(小ハガン),葉護(ヤブグ)などの諸侯がいて、支配階層を形成した。 アルタイ山脈の南西麓にいたチュメンが、ジュンガルなどにいた諸部族を 服属させたのち、モンゴルの遊牧騎馬民を統合していき、一方その弟は567に、 天山山脈中のユルドゥズ渓谷を本拠とする西面可汗として中央アジアを掌握した。 チュメンの子は、柔然を滅亡させ、吐谷渾(とよくこん)、契丹、キルギスを併合し、 ユチュケン山を本拠として発展した。 オアシス地帯と東西通商ルートを抑えた西面可汗の勢力にくらべると、 モンゴルの突厥は大可汗のほかに小可汗が分立し不安定であった。   583年には西面可汗が独立して西突厥といわれ、トン・ヤブグ・ハガン(統葉護可汗)のころ 最盛期を迎えた。 あの玄奘三蔵も、西突厥の統葉護可汗の国に滞在し、インドまでの旅行の 世話を受けたのである。