お茶
お茶は中国からきた。茶道ももとはといえば中国から伝わった。
中国の神話の帝王「神農」が百草をなめ
毒草にあたったとき、お茶によって毒消しをしたという。
昔からお茶は殺菌・消炎の作用があるとされていたわけである。

最古の文献では、漢代宣帝の時(紀元前74-49)に四川省武都でお茶が
売られていたと西蜀の王褒が本に記録している。
(武都は四川省綿竹県の北の山の名)

唐の時代にお茶を飲むことが中国では広まった。
お茶の普及には仏教が関係する。唐の玄宗皇帝の時である。
泰山の霊岩寺で大勢の僧や信徒たちが座禅をしていた。
座禅の時、居眠りをしたり、物を食べることが許されない
のでみんな困っていると、ある老和尚が座禅中に
お茶を飲むことを許したら、これはよいと広まったということ
である。

やがて茶の専門家もあらわれた。専門の本も書かれる
ようになった。陸羽の「茶経」は780年に書かれた本である。

唐や宋の時代のお茶の作り方は
お茶の若葉を蒸してから砕いて丸く固めた「茶餅」を
まず作っておいて、お茶を飲むときは
この茶餅を臼で挽いて粉砕して、それを鍋に入れて
煮込んで十分煮出ししたものを飲んでいた。
元(モンゴル)の時代になって、茶の若葉を鍋に入れて
蒸して一枚一枚の葉がばらばらになったお茶を
作るようになった。
そして明代になってやっと、つんできた茶の若葉を
煎って作る方法になったのである。今の日本のお茶と同じ。
お茶の入れ方も、お湯をそそいで味と色を出す方法
ができたのだ。

日本にお茶が伝わったのはいつか。
いろいろな説があるが、私の参考にしている本では
7〜8世紀ころではないかと書いてある。

日本の茶道はどうやら中国の宋の時代(960−1279)
に伝わったようだ。
その証拠として、日本の抹茶の作り方は、宋の
「蒸青展茶」という製法の影響が見られる。
(高級緑茶の生葉を熱く蒸してから少し揉んで
直接乾燥させ、それから引き臼で粉末にし茶茎
を取り除く)

記録にある日本の昭明(大応国師)が宋から
茶道を伝えたいきさつは次のようである。
1259年、昭明は中国の天目山の径山寺へ
修行に行った。この寺はお茶を飲む習慣が
とても盛んだった。昭明は茶道具と径山茶
を日本に持ち帰った。それから300年後
千利休禅師が茶道を日本全国に広めた。
茶の湯に使う抹茶茶碗の「天目茶碗」も
名前からして、お茶が天目山径山寺から
伝えられたことを示しているのではなかろうか。

功夫茶(工夫茶)
潮州名物です。広東省東部の潮州は料理もおいしい。
香港で潮州料理のレストランで食べたことがある。
そのとき飲んだ美味しいお茶だった。
功夫茶の茶器は一般のものよりはるかに小さく、
急須はこぶしほどの大きさ、茶碗も酒の杯ほどの
大きさ。まるで子どものままごと用品みたい。
功夫茶は本場潮州から台湾に伝えられ台湾で楽しむ
ことができるようだ。

功夫茶の入れ方
・温壺 盆に置かれた茶壺(急須)と茶杯(茶碗)に
 熱湯をそそいで温める。
・盆にそそいだお湯で茶碗を洗う。
・急須にお茶の葉(ウーロン茶)を入れる。
 お茶の葉は少しではなく、急須に七分目ほど入れる。
・熱湯をそそぐ。目的は茶の葉を洗い、葉を開かせるため。
 このそそいだお湯は飲まずに捨てる。
・二回目から、お湯を急須にそそいだ後ふたをして、
 さらに急須の外側にもお湯をそそいでお茶がよく
 出るように急須を温める。
・しばらくおいて、お茶が出た頃を見はからって
 急須からお茶を「茶海」(お茶をためる壺)に移す。
・これを2〜3回くりかえして「茶海」にお茶がいっぱい
 たまったら、それをいくつかの茶碗についで客にすすめる。

急須にはお茶の葉をいっぱい入れているので
「茶海」に2〜3回いっぱいためるくらいくり返しても
かなり濃いお茶が出る。
功夫茶は味も色も濃くて、口にふくむとやや苦く感じるが
すぐに芳香と甘みが感じられる。
油っこい食事の後に飲むと消化をよくし気分爽快になる。


お茶の分類
(松下智:中国の茶、その種類と特性、河原書店)
発酵茶
 酵素発酵 弱発酵(漬茶、台湾包種茶) 半発酵(ウーロン茶) 強発酵(紅茶)
 菌類発酵 乳酸菌発酵(タイ、ミャンマーの食用茶、日本の漬物茶、阿波晩茶)
      麹菌発酵(プアール茶、日本の碁石茶、富山黒茶)
不発酵茶
 蒸煮茶 蒸し製(日本茶) 煮沸製(雲南省老粗青茶、日本の晩茶)
 釜炒茶 水平釜(竜井茶、日本の青柳製釜炒茶) 傾斜釜(中国の茶、日本の嬉野製釜炒茶)

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