名誉革命(1688−1689)後にオランダから招かれ 夫とともにイギリスを共同統治したメアリ2世(1662−1694)が オランダから「紅茶」と「陶磁器」の移入につとめた。 アン王女(1665−1714)は朝に紅茶を飲む モーニング・ティーの習慣をイギリスに広めた。 18世紀、オランダの東アジア貿易は衰退し イギリスの東インド会社がのびて、清国から大量の紅茶を輸入した。 1773、イギリス本国は紅茶の過剰在庫をかかえ経営危機の 東インド会社を救うため、茶法を制定し、東インド会社の紅茶を ロンドン相場よりも安い値段で植民地に売らせようとした。 しかし、植民地でも紅茶はだぶつき、紅茶の密貿易商人たちは 東インド会社の紅茶の陸揚げを阻止しようとした。 こうして、植民地の意向を無視して、紅茶を満載した 東インド会社の船がボストン港に入港すると インディアンに変装した者たちが船を襲い 紅茶を海中に投げ捨ててしまった。「ボストン茶会事件」 これをきっかけに独立戦争が起こった。 紅茶の不買運動が広がる米国では、アメリカン・コーヒーが 紅茶の代用品として広く飲まれるようになった。