トルガルト峠越え 2000年8月
地球と話す会 第8次遠征隊 遠征報告(帰国報告) - 8月2(水)・3日(木)活動報告 - 8月17日UP! ○トラガルト峠 国境越えレポート 報告者 リベンジ隊 小川 なみ 8月15日記 9日に帰ってきました。悪天候のため着陸できず、成田の上空を1時間もぐるぐる 飛び続けたため、帰宅したのはのは、10日の午前1時でした。 現地から報告がどんどん入ってきているので、あまりホットな話題はありませんが、 トラガルト峠について説明してみます。 国境は、1本の連続した線ではなく(地図の上では1本の線ですが)、 合計5区間からできていました。 まず中国側、国境まで約110kmのトパまでが最初の区間です。 ここで、空港であるようなパスポート、X線による荷物検査などの一連のチェックが あります。人民解放軍と、いわゆるお役人のニ通りの制服の人がいて、 大きな建物の中をトラックや定期バスや一般の車が、向こう側に抜けていく仕組みに なっています。 この建物はやたらに大きくがらんとしていて、あまり人の気配がありませんでした。 仕事は10時に始まり、2時から4時まで昼休みでした。長澤隊長からの報告にあった ように、延々と待たされた私たちから見れば、昼近くからまったく通行する車が無く 暇なはずなのに、いったい中で何をしているのかと、腹立たしいかぎりでした。 彼らの昼休みが終わったころようやく通されて、走り始めることができました。 チャクマク川に沿って道路は峠に向かっています。この川はとても川幅が広く浅く、 茶色の泥水がその中を細い筋になって蛇行して流れています。舗装率は走行初日 (8月2日)は約80%、傾斜も一定でなだらかな登りで、それほどきつくは ありませんでした。 1kmごとに白い四角い石が道路わきに置かれ、あと何キロで国境かがわかります。 途中にはオアシスもあり、牧畜の暮らしをしているようでした。 小林隊員が、沿道から飛び出してきた興奮した犬に追われて、大変だったようです。 犬はどれも大型でつながれていなく、狂犬病の注射もしていないので、 追われるととても怖い思いをします。 道はトラックが交差できるぐらい広く、延々と川に沿って曲がりくねって続いています。 上流に進んでも、川幅は、日本のように渓谷になり狭くなることはなく、 相変わらず浅く広く下流域のような姿で、ただ水の量が減っていくだけでした。 しかし、両側からはかなり険しい岩山が迫ってきます。 対向車とすれ違うと、視界がまったく無くなるほどの砂ぼこりで思わず息を止め、 目も閉じてしまいます。川原からも風にあおられて、白い砂ぼこりが舞い立ちます。 日射しは強いですが、暑さは気になりません。 そこを通り抜けると平原が広がっていて、川はいつのまにかなだらかな起伏の風景に 紛れ込んでわからなくなってしまいました。 高度は3,000mを超え、ヒツジではなくヤクの放牧に変わります。たぶん気温が 低いためでしょう。遊牧民の住居も点々と見られました。このあたりは走行2日目に 通ったところで、残念ながら自転車では走らせてもらえず、バスの中から眺めるだけで 撮影も禁止でした。 そのままずっとなだらかな草がまばらに生える平原が続き、やがて遮断機が見えて きます。これが2区間目の国境のラインで、峠の手前数キロ。パスポートをチェックを する人民解放軍の制服は冬服でした。 それを過ぎると道の傾斜は少しきつくなりますが、平原が続きやがて国境、 つまりトラガルト峠に着きます。ここまでの道は舗装されてはいませんが、 それほど悪路ではありません。高山病の心配を除けば、自転車で十分に走れます。 峠と言うと日本では、両側から山が迫るつづら折の道を登りつめると、V型の 切り通しの間から向こう側の山並みが見渡せるというイメージですが、 トラガルト峠は違いました。 大雪山系の上(白雲岳のあたりにひろがるあのような風景)のようなところに 道が通っていて、そこに装飾なしのパリの凱旋門を小さくしたような形のゲートが ぽつんとあります。これが3区間目、つまり本物の国境です。 中国の奥地の国境というと、 NHKの報道番組などで見られる、張られたひもに 取り付けられた三角の色とりどりの旗が強風にはためいていて、岩だらけで ただ風の音が聞こえるだけの風景を、私は期待していましたが、 そんな人間くさくて感動的なものは見当たりませんでした。 ここでバスを降りて、トラックなどに積んでいた荷物を、キルギス側から迎えに きていた車に移し変えました。とにかく寒いのです。門の根元にはうっすら雪が 積もっていました。ちらちら雪も舞っていました。セーターの上にゴアテックスの かっぱの上下を着ても、「寒い、寒い」の連発です。そこからの下りを自転車で 走行することは、とても無理に思えました。 門のすぐわきにはキルギス側の国境の施設があり、一人一人パスポートチェック などの入国審査がありました。寒々としたがらんとした建物でしたが、 兵士たちは中国側と違って明るく、待たされている間、隊員唯一の若い女性の 後藤さんは取り囲まれて、言葉が通じないのに、楽しそうに笑いながら話をしていました。 寒々とした高山植物が生える平原の向こうに、白い険しい山並みが顔を出す、 そんな風景の中をバスで下っていくと、まもなく4区間目のチェックラインがあります。 銃を担いだ兵士が乗り込んできて、無言でパスポートをチェック。 さらに、湖を右手に見ながらなだらかに下っていくと、5区間目、最後のキルギスの チェックラインがありました。これを過ぎると、国境というものから開放され、 ようやく自由の身になることができました。 その後、アトバシのホテルまで100km以上、途中激しい雷雨があり、 着いた時には夜も遅く真っ暗でした。結局、走行2日目であるこの日(8月3日)は、 中国側を7km自転車で走っただけでした。