7/16 ウルムチ−ビシュケク
私の腕時計は日本時間のまま(普通は2つ時計を持っていって、片方を現地時間
にするのだが、今回は忘れて行ってしまった)
日本時間で7:00にモーニングコール、7:30朝食、8:00ホテル出発
ホテルの豪華朝食その1(小画像)
ホテルの豪華朝食その2(小画像)
ホテルの豪華朝食その3(小画像)
ホテルの豪華朝食その4(小画像)
ホテルの豪華朝食その5(小画像)
ホテルの豪華朝食その6(小画像)
バスで空港に向かう。 X0717 BISHKEK行き(7:30−8:40)
これは日本時間なら10:30−11:40に相当するのだろう。
ウルムチ国際空港はさすがにモスクワ行き飛行機も飛ぶため、出国手続きを終えた
乗客の待合室には、大きなショーウィンドウの免税店が並んでいた。
名産のハミウリをはじめ良いにおいのフルーツがたくさん並べられていて、
モスクワ行き乗客などは果実を買いあさって、山のような荷物を機内に持っていった。
飛行機に乗ったら、どういうわけか飛行機の前半分にはすでに乗客が座っていた。
後ろ半分は我々の席で、結局貸し切りみたいになり、好きな場所で窓の景色を
楽しむことができた。
貸し切りみたいな飛行機(小画像)
実際飛行機は天山山脈の上空をずっと飛んでいたので、すばらしい景色を楽しむ
ことができた。私は三蔵法師の旅を思って胸があつくなった。
高い山の上には雪がしっかり残っていた。あるいは、雪が解けて、川の道すじとなり
その周りに緑色の植物が見られた。山の上には小さな湖があった。
川が平地に流れて、そこらあたりは畑や家が見えることがあった。
雪の天山山脈(小画像)
天山山脈
天山山脈
天山山脈
機内食
食後の椰子実ジュース(四川省の飛行機で飲んだことがある)
天山山脈
天山山脈
天山山脈
新疆名物干葡萄(着陸時の飴のようなもの)
ビシュケク飛行機に着いた。飛行機を降りた記念に写真をとっていたら、
警備員が怖い顔をして、写真撮影は禁止されていると注意した。
まだソ連時代の名残で、撮影禁止になっているという。
実際にはこの国には禁止するものなどないのだが、年輩者は特に以前の習慣に
こだわっているようである。
税関検査を終えて外に出るまでが緊張した。窓のないバラックの暗い建物の中で
手荷物数や所持金などを書類に書いているわきで、タクシー運転手が客引きとして
何度も声をかける。彼らは税関職員の仲間らしい。
外のドアをなかなか開けてくれない。我々を迎えに来たキルギス人が何かお金を
握らせのを見た。お金を受け取った男は、鍵を開けて、我々を建物から出した。
旅行案内に、この国の検査官の悪い評判が書かれていたが、かならずしもまと
はずれではないと思った。
東南アジアだけでなく、中央アジアの旧ソ連領も、袖の下を要求する役人が
かつても活躍し、現在も生き残っているのだろう。
飛行機から車で我々のホテルに送ってもらった。道の途中では、たいてい撮影は
禁止ではなかった。独特の形をしたバスの停留所があった。
前衛的なバス停(コーラの宣伝のあるのは珍しい)(別のバス停(車の窓からの写真でピンボケ)
САПАР(小画像)このロシア語は「旅」という意味。写真は茶屋(喫茶店)。
馬に乗ったキルギス人の大人が、家畜としての羊や馬の群を連れて歩いていた。
道の脇の畑の中でも、女や子どもがムチを振りながら、家畜の群を誘導していた。
自転車に乗る少年(これもピンボケ)
街路の風景(小画像)
我々の車の脇を走る乗合バス(小画像)
街かどを歩く親子(小画像./bishkekbus7b.jpg">アパート(小画像)窓のアーチがおもしろい
ホテルに着いたら、パスポートを出して宿泊の書類に必要な事項を書いて手続きは
終わった。アリム氏はみんなのパスポートを持ってポリスへ行った。
この国では、外国人はすべて、町に警察署に届け出をしないといけない。
ホテル(小画像)
ホテルのロビーで(小画像)
ホテルカード(小画像)
ホテルカード(小画像)
露英文の案内板(大量画像データ)(しかし、ここではロシア語かキルギス語ができないと不便)
我々の部屋(小画像)
部屋の窓からの風景(左側)(小画像)
部屋の窓からの風景(中央)(小画像)
部屋の窓からの風景(右側)(小画像)
飛行機の中でも簡単な食事をとったのだが、ビシュケクで昼食をとるため
この町ナンバーワンというウィグル料理のレストラン(小画像)に行った。Arzu(Арзу希望)という
名前だった。レストランの裏庭みたいな所の大木の木陰にテーブルを並べて。
肉うどんや油いっぱいのチャーハンやシシカバブも出た。
食事の並ぶ前(小画像)
暑い所で冷たいビールは最高(小画像)
ウイグル料理(小画像)
ウイグル料理(小画像)
料理が運ばれる(写真の写りがいまいち)
食事をした場所(下手な写真ですが)
食事がすんで出る所(小画像)
食事の後は、土産物を買うのは本日しかないというので、民芸品店に行った。
キルギス、トルコ、ウズペキスタンなどの各国の衣装や楽器などの民芸品は
みんな興味をもって、たくさん買った。しかし、売り子の女性はそれほど喜ぶふう
でもなく、愛想がよくなるわけでもなかった。
アリム氏は後で説明してくれた。これは共産主義時代の名残で、いくら売っても
その若い売り子の給料は上がらないシステムだから、ということだった。
いずれ、売り上げが多いと彼女の取り分も多くなるシステムになるだろう。
そのときは、もっと愛想がよくなるかもしれない。
街を走る乗合バス(小画像)
次に、オッシュ・バザールというバザールに行った。とにかく暑かった。
せっかく成田で買った帽子をホテルに忘れてきて後悔した。以後、手荷物の中に
カメラ、帽子、水筒を入れて、いつも持って歩くようにした。
バザールでは、ほとんどの日用品が売られていた。とても興味があった。
豆、米、カレー粉、肉、内臓、足、牛頭、鶏肉、ハム、蜂蜜、チーズ
肉などは解体したばかりというものもあった。日本の市場で包丁でさばかれた魚
のようなものだろう。
我々の2人の運転手もはぐれぬようにガードしてくれたバザール(小画像)
野菜も並ぶバザール(小画像)
香辛料ではないかと思われる(写真写りよくない)
バザール(小画像)
バザール(小画像)
肉とか内臓が売られていたと思うがアーチ窓が印象的(小画像)
チーズ等の乳製品(小画像) ここでは馬乳酒は飲まなかった。
あとからみんなの話を聞くと、生きた孔雀を売っていたおばあさんがいたというけれど、
残念ながら記憶になかった。肉も内臓も冷蔵庫のない市場で売られていたから、
売れ残ったらどうなるのだろうかと気になった。自分たちで食べるのだろうか。
ここにも民芸品店があった。この店は高級品も多く、品数も豊富だった。
沢山買った我々に対して、店の人は我々全員に小さなプレゼント(キルギス帽子の
ミニチュア)をくれた。この店は共産主義を卒業した一人前の商人と思われた。
とにかく暑かった。はぐれないように物取りにあわないよう、我々の前後を
ガイドのアリム氏と2名の運転手がガードしてくれた。
ホテルに戻って、同室のO氏はジャーナリストらしく、テレビ番組を見ながら
CNNニュースなどの英語番組も見られるが、ロシア語番組が多いことを発見していた。
この国の人間が話をするのは、キルギス語かロシア語で、表示される文字は
文字はすべてロシア文字である。ロシア語ができる人には快適な町だろう。
非常口(小画像)手元の本ではВЫХОД 比較のためこちら日本の非常口
夕食は軽く、しかも不足がちな果物をということで、アリム氏などが町のバザールに
ビールやフルーツを買いに行ってくれた。このホテルの2階の会議室を借りて、
そこで手早く料理を並べられ、パーティ形式ですすめられた。
サクランボ、スモモ、野いちご、Holstenビール、馬の腸、ナン、西瓜、ハミウリ、
トマト等々。現地で大変お世話になったM金属の皆さん、そして日本語を学ぶ
キルギス人の若者などとも交歓。
料理
料理 料理
記念写真(小画像)
車で町を走った印象では、ロシア人が作った町だけあって整然としている。
レーニン像が建っている博物館には明日見学する。キルギス人の英雄像もあった。
ホテルの近くの公園には、対ドイツの戦勝記念碑があるという。
ホテルの向かいの勝利広場(小画像)
ホテル ドストゥク(DOSTUK) キルギス
ビシュケク市スルタンイブライモフ通り429
TEL −28−4251
FAX −28−4466