昭和のはじめから、ラーメンの上にのっていたメンマ。当時はシナチクといっていた。
台湾で笋干(スンガン)がとれすぎて困っていた。
そのとき、日本の貿易商がその笋干を大量に買い取って日本に持ち込んだ。
この台湾の干筍(ほしたけのこ)を水に戻して煮て味をつけると美味しくなる。
中華そばに入れたら、とてもいける、ということになって、そこからはじまったという説がある。
しかし、大正の当時にすでに来々軒ではシナチクを使っていたという記録が残っている。
どうも、明治の時から、台湾では中国大陸(香港、マカオを含む)に輸出していて、
日本もお得意さんだったらしい。
ともかく、台湾の麻竹がシナチクになったのであった。
ゆでて干して発酵させた麻竹は、栄養価も高く美味となる。
第2時大戦後、支那ソバ、シナチクは中国人に配慮して名前はそれぞれ、
中華そば、メンマと変わった。
誰がいったい、メンマと最初に呼んだんだろう。
メンマと名付けたという人が名乗り出て、麺にのせる麻竹だから、麺麻(メンマ)
と呼んだというが、これにはやはり諸説がある。
料理の上にさらっとのせる野菜や薬味のことを菜碼儿(ツァイマアル)、面碼儿(ミェンマアル)
というが、麺の上にのせた碼儿だから、面碼儿、それからメンマになったという説もある。
支那ソバは、支那ゆかりの麺であるから、支那そばなのだが、
現代中国人は、支那という言葉をいやがる。もともとは、日本人が考えた言葉ではなく、
歴史のある言葉なのだが、言葉というものは、それを使う人間の付加価値を伴うもの
(文化の一種であるから)なので、マイナスのイメージがあるなら、日本人も
使わない方がよかろう。
参考文献 小菅桂子:にっぽんラーメン物語、講談社