盛岡にも来て胡弓を演奏する中国人。
彼の話が新聞に載っていたので、中国文化という観点で紹介します。
胡弓という楽器があります。哀調をおびた音色。最近日本でひそかな流行。
しかし、本場の中国には、胡弓の演奏会がないとか。
この胡弓の演奏者の中国人楊興新氏は語る。
胡弓はペルシアから伝わった奚琴(シークン)という奴隷の楽器だった。
だから、譜面も何もなく、1500年間発展しなかった。
共産党政権になって、貧者の楽器として脚光を浴びたが、伴奏楽器として
の扱いだった。日本に来て演奏会をする機会が与えられ、発展している。
「尺八、書道、着物、華道、茶道、みんな元は中国にあった。でも、中国人は捨てた。
日本人は守っている。」
日本には、今も中国の文化が生きている。日本人は中国文化を守っている。
中国では文化は罪だった。秦の始皇帝は文化人を殺し、本を焼いた。2千年後、
文化大革命で同じことをした。今の中国では、文化は罪ではないが、価値がない。
価値があるのはお金だ。
日本人が中国から伝来した文化を、選択しながらも、
極東のはてで、文化を守るのが日本の特性。日本は化石の国という自説を紹介します。
日本人向きに改良して、守るべきものは守っているというのは、そうだと思う。
一般に、日本人は文化を守る国民だと思う。あのドイツのヒゲ文字も、本国ドイツ人
はもう読めなくなっても、日本のドイツ語研究者は読むことができる。
この論文の中で、化石の国日本には、文化を輸出した本国ではとうに失われている
文化が残っている例を紹介しています。
漢字の音読みは、現代の中国の発音と違うものが多いが、
その漢字が日本に入ってきた当時の読み方が残っているのが、われわれが今使って
いる漢字の読み方である。呉音、漢音、唐音など伝来当時の中国の事情をあらわして
いる。
現在の中国では漢字の簡略化がすすんで、かえって日本において古来の漢字が
生きのびている。
中国の名所旧跡で古文で書かれた文章を、若い中国人は読めなく
なっているのに対して、日本人は読むことができる。
岩手県水沢市の国指定史跡・胆沢城跡から出土した漆紙文書「古文孝経」の写本は、
奈良時代末のものとみられているが、世界最古の「孝経」写本であることを
中国の研究者も認めている。
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小泉文夫 (著), 団伊玖磨 (著) 日本音楽の再発見 (平凡社ライブラリー) 2005/6/30 胡弓 日本の楽器 三曲合奏(箏、三味線、尺八または胡弓)で尺八が流行する以前に使われた。 形は三味線を小さくしたようなもので、弓で弦をこすって演奏する。 日本ではラベーカと呼んだ。ラベーカというのはヴァイオリンの前身のレベックのポルトガル語ですよね。 当時の宣教師の記憶ではヴィオラが使われたというようなこと書いてありますけれども 日本人が胡弓に対してラベーカという言葉を使っていることは宣教師の影響でしょう。 このラベーカつまり胡弓から幕府のキリシタン取り締まりの目をそらすために、いろいろ細工をしたと思われるふしがあるのです。 その一つは「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」の記述です。 ラベーカとは蛇を食う鳥の名前である。 胡弓にラベーカという呼び名があるがそれは胡弓に蛇の皮を張ってあるので蛇を退治する鳥の名で呼んだのだろう、 というようなごまかしが書いてある。 これはラベーカという名前を役人の目からごまかすための一つの手段だったのじゃないか。 そのうえに、胡弓といういかにも中国語めいた名前をわざと使って中国から来た楽器のように見せかけ、 さらに外見は三味線そっくりの形にしてしまう。 そうやってごまかして、擦弦楽器の本質は残したのじゃないかと思いますね。 とくに弓奏楽器はキリシタン以前の日本にはありませんでしたから、声楽が好きな日本人としては、 多少とも人間の声に近い弓奏楽器の味は容易に忘れられなかったのだろうと思いますよ。 胡弓 和楽器であり、多くのものは3本の弦を持ち(4本のものなどもある)、ほぼ三味線を小型にした形をしている。 素材も三味線とほぼ同じで、現在では棹に紅木 (こうき) 、紫檀 (したん) 、普及品には花梨 (かりん)が使われ、 胴は花梨で、皮は猫または犬、弦 (糸) は絹製である。 「二胡」と胡弓はまったく別の楽器です。 中国では二胡のことを胡琴(フー・チン)と呼び、 弦が2本であるため二胡(アル・フー)とも呼ばれています。