ウズベキスタン旅行記(7)


 第7日目 9月11日
 サマルカンド市内観光後、タシケントに移動して、夜さよなら夕食会

朝食。

ホテルの苦情。
フロントの前ではインターネットもできて快適だったが
このホテルについて苦情を述べておく。
絵葉書は売っていたのだが、切手が売り切れといって、二泊したがとうとう日本に絵葉書を出せなかった。

階段と床の絨毯が同じ色なので、階段がもう終わったと思うと、まだ一段残っていて
思わず転びそうになった。大変危険である。

ところがフロント脇の売り場の横の階段は、床と階段の色分けをしており
明らかに(たぶん客が怪我などしたから)対応している。
私の利用した階段は、この表の階段対する裏の階段のようなもので、利用者が少ないから
まだ対応していなかったようであるが、これは危険である。速やかに対処されたい。

ちなみに私たちの部屋は203室で、他の客はみな表階段を利用したのだろう。
ほかのみなさんは、危険な目にあわなくてよかったと思う。

レギスタン広場にて。

噴水のあるレギスタン広場を取り囲むように、三つのマドラサ(メドレセ、メドレッセ 神学校)が配置されている。
向かって左から、ウルグベク・マドラサ、ティッラカーリー・マドラサ、シールダール・マドラサである。
このマドラサはその空間の四辺のうち一辺を戸外、時にはドーム室などより大きな空間に向かって開いている。
正面に大アーチが設けられることが多い。そして普通の部屋よりもかなり大きく、天井が高い開放的な広間となる。
こうした広間をペルシア語でイーワーンと呼び、通常は前面に開く大アーチをトンネル状に延長させたような天井をもち
ムカルナスのような意匠を凝らした曲面にすることも多い。

マドラサの中は博物館や土産物店となっていて、それらを見学した。

このような木の柱や天井の構造はムハンマド時代の建築様式であるという。
中国新疆ウイグル自治区で、このような木造のモスクを見たことがあるが
この初期のモスク様式を中国に移すことは、木造建築の伝統があった中国では容易なことだったのだろう。


偶像禁止のイスラム建築で、このシェルドル(シールダール)・メドレセのようにシカを襲おうとするライオンと
背中の太陽神の絵があるのは珍しい。ペルシア語シール、ウズベク語シェールはライオンのことだが、この絵は虎みたいだ。
ライオンはサマルカンドのシンボルだったともいわれている。
ガイドさんが、この絵が紙幣に使われていることを指摘する。

昨夜の広場で踊りを踊る三歳の女の子。それはあたかもステージの演奏の前座をつとめるようだった。
この写真は同行のK氏の写したものです。(これらは昨夜の写真なので、昨夜のコンサートのところに入れたほうがよかったかもしれない)

中国新疆ウイグル自治区のウイグル人の子どもも、大人たちの踊るを見てすぐまねをして踊る。そのことを思い出した。

信号なしでも上手に車道を渡る市民。

         

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