清水 立 卒業研究

 建築工学 土木工学 建設工学
 について

土木学会誌 7月号 リスクマネジメント入門

 「リスクマネジメント」の意味する具体的な内容を、一体どれだけの人が明確に理解し
ているでしょうか。最近俄かに使われだした新しい言葉、例えば「インターネット」「IT
:Information Technology=情報技術」のようにその多くは所謂「横文字」である事が多
いのですが、それらをあまりにも表面的にしか把握せずに口にする、要するに言葉の概念
があるだけで妙に安心してしまうような人は決して少なくないでしょう。日本人の悪い癖
で、その言葉が指す具体的な内容よりも響きだけが先行して認知されてしまうのです。故
に議論が核心を突かない=直面する実問題を必要以上に客観視してしまう、と言うのは果
たして健全な状態ではないでしょう。ここで「リスクマネジメント」の意味する所とその
本質を学んでみようと思います。

 リスク(risk)とは英語で「危険」とか「危険性」と言う意味で用いられる単語ですが、
ここではもう少し具体的に「何らかの原因によって損害を被る可能性」と言う意味で捉え
ます。つまり「火山災害」の際のリスクとは、火山が噴火すると言う災害自体を指すので
はなく、災害による損害(人命損失、家屋・建造物損壊など)がもたらされる可能性を指
すのです。ですからリスクマネジメントとはそれら「損害」を如何に低減・制御するのか
を検討し実行する事を指す言葉であり、所謂「危機管理(クライシスマネジメント)」と
は一線を画すものであると、本特集では述べられています。

 もう一つ、災害は天災(地震、火山噴火、台風、洪水など)と人災(火災、交通事故な
ど人為的ミスによるあらゆるトラブル)とに大別されますが、想定される災害の種類によ
ってリスクマネジメントの性格・主旨も異なるものになります。天災とは予想困難であり
ながらも、発生する可能性は如何なる場合にもゼロにはなり得ない、つまり常に想定して
おかなければならない災害であるとともに、人為的にその発生を制御する事は不可能であ
る性格を持ちます。よってその場合のリスクマネジメントとヘ完全に発生後の損害を軽減
する事の検討に限られ、例えば地震災害ならば建造物の耐震補強やハザードマップ・避難
経路及びマニュアルの作成、それらでは許容出来ない被害を補填する経済的救済措置(保
険など)の確立と言ったものが挙げられます。土木分野では主にこちらのケースを想定し
たリスクマネジメントが行われます。

 対して人災では発生そのものを人為的に制御する事が可能になりますので、第一に災害
を起こさない事、発生確率の低減がそのままリスクマネジメントになると言えます。最近
起こった人災の最たるものと言えば1999年9月茨城県東海村で起こったJCOウラン加工
施設での臨界事故が挙げられますが、その原因は耳を疑いたくなるような作業工程の簡略
化、最早それら裏マニュアルをも無視したずさんな作業手順でした。ウラン加工と言う、
仮に事故が発生した場合の損害が甚大である作業で、このような人為的(且つ組織的)事
故が起こり得ると言う事は、当事者のリスクに対する認識が甚だしく欠如しているとしか
考えられません。この例はリスクマネジメントを怠った云々と言うより、もはやその概念
すら持ち合わせていなかったと言う事実を最悪の形で露呈したケースと言えるでしょう。

 では実際にリスクマネジメントとはどのようにして行われるのでしょうか。

 最初の過程として先ずリスクそのものを評価する、つまり起こり得るリスクについて出
来る限りの分析を行い定量化する必要があります。地震リスクを例に挙げるならば、分析
対象(建造物や都市など)に影響を及ぼすと           <図−1>

考えられるあらゆる地震を網羅・想定し、その発生確率と予測される被害(建造物そのも
のの損壊程度、直接及び間接的な被害額など)を評価します。この際、阪神大震災のよう
な直下型大地震と言った最悪のケースは勿論、大小あらゆる規模の震災を想定する必要が
あり、また過去の地震データを用いた分析方法もあります。以上地震リスク定量化の作業
手順フロー図(土木学会誌7月号からフ抜粋)を図−1に示します。処理6番目にある「リ
スクカーブ」とは横軸に予想損失額、縦軸にその損失の年超過率を取って分析対象物のリ
スクを表現した曲線の事で、リスクの大きさや対応策の効果を定量的に判定するのに用い
られます。この例は地震災害を対象にしたリスク分析法ですが、それでも未だ確立された
手法ではない事が述べられています。今後洪水・環境・建設・為替・投資などあらゆるリ
スクに対して、その分析法が確立され普及する事がリスクマネジメント技術の成熟に欠か
せない、また最も達成困難な要素である事は言わずもがな、リスクの何たるかを把握せず
にその管理は望めません。

 さて現況リスクの把握・洗い出しがある程度の成果を見たとして、次に各種リスク対応
策の検討が行われます。リスクを制御する方法として、草野直幹氏はその文中で以下の三
つを挙げています。

(1)         リスク低減
損害を発生させる事象の発生確率を低くするか、または損害を低減するための対策を行うもの。
耐震補強、重要施設の分散・移転などが挙げられる。
(2)         リスク転嫁
損害の発生を許容した上で、生じた損害を保険・証券化など所謂金融上対策を持って補填。
この作業は「リスクファイナンス」と呼ばれるが、経済的リスク以外は解消されない。
(3)         リスク保有
上記の(1).(2)を環境工学で言うアクティブ制御(積極策)とするならば、リスク保有はパ
ッシブ制御であると言える。これは緊急対応マニュアル作成など、損害規模が大きくない
場合・資金に余裕が無い場合などに行われ、危機管理と呼ばれる概念の実践と言える。

 上記の3つの中では、(3)を除いた2つが取り分けリスクマネジメントを考える上での実
作業を為す部分として重要視されますが、(1)の指す技術的対策と(2)の指すファイナンスの
要素が一体となった対策がリスクマネジメントの理想形とされます。

ここで日吉信弘氏は、その文中で左図(土木学会誌7月号からの抜粋)に示すようなリス
クマネジメントの実行プロセスを定義しています。これは上記の(1).(2)を段階に分けて行
うプログラムと考える事が出来ますが、氏はファイナンスの部分を「第2段階において必
ず生じる未処理リスクを外部に移転する過程」として位置付けています。分析法の説明で
も述べた通り、リスクと言う物はほぼ無限に考えられると言っても過言ではありません。
そしてそれら考えられるリスクに対し、全てにおいて完璧な防止策を施す事は不可能に近
いのです。もしあらゆるリスクに対する低減措置を網羅しようとした場合、最終的には予
想される損害額を、防止策を講ずるための資金が上回ってしまう事にもなりかねません。
つまり、第2段階においてリスクがゼロに帰する事はあり得ず、必ず未処理のリスクが残
る事になり、それらを処理する過程として「ファイナンス」が重要な役割を担うのです。

 リスクファイナンスは「リスク発生の場合の金銭的備え」と定義されますが、小林潔司
氏の記述では日本がファイナンスを「マネーゲーム」「ギャンブル」として軽視する傾向
にある事が述べられています。その方法には以下の二つがあります。

・          リスクの自家保有

企業や自治体の予算においては不時の出費に備えた予備費が考えられるが、事故による損
害をこの予備費を弾力的に運営する事でA損害を内部保有するのが「自家保有」である。
金額的限界から、比較的高い発生頻度と強度の小さいリスクが対象になる。
・          保険
リスクファイナンスの方法として最も実用的な手法。リスクを定量化し保険料を支払う事で
財務的な損失を保険会社へ移転する。事故が発生した場合、保険会社が損害額を保険金とし
て支払う事でリスクファイナンスが完結する。
 ここで重要になるのがリスクを金銭的価値に定量化する過程です。保険会社でリスク定
量化に用いられる算式に以下のようなものがあります。
(Probability)×(At Risk)×(Damageability) = (Magnitude)
Probability:リスク発生確率
At Risk:リスクに曝される財物の価額
Damageability:リスクによる財物の損傷度
Magnitude:リスク規模
 この算式における確率と損傷度は過去の事例に基づいて算定され、リスク規模は財物価
額に比例して大きくなる事になります。ここで20世紀に発生した戦争を除く巨大災害に
おける損害額を見ますと、自然災害では1995年の阪神・淡路大震災がNo.1で1000億ド
ル(死者6348人)、2位の1994年アメリカカリフォルニア州ノースリッジ地震の440億
ドル、3位の1992年アメリカフロリダ州メキシコ湾岸を襲ったアンドリューハリケーン
の305億ドルと続きます。(死者数が最も多かったのは1988年アルメニア北東部地震で
25000人、損害額は140億ドル)
人工的災害では最も損害額の大きなもの、1988年北海洋上における石油掘削プラットホ
ームパイパー・アルファの爆発でも30億ドルで、自然災害の損害額がまさに桁違いであ
る事が分ります。

リスクファイナンスとして保険が最も実用的な手段であるとは言え、その能力にも限界が
あります。阪神・淡路大震災の直接被害総額1000億ドル(およそ10兆円)に対して、実
際支払われた保険金額は3000億円と全体のわずか3%にとどまっており、全世界の損害
保険業界の資金力を総動員してもその総額は30兆円を上回らないのです。そこでリスク
ファイナンスを完結させるための資金源として着目されたのがキャピタルマーケット(資
本市場)の金融資産です。世界有数の金融資産保有国である日本では、個人が預貯金・株
式・年金などの形で保有する金融資産は1400兆円にも上り、これら膨大な金融資産が運
用先を求め世界中を動き回っているのです。そこで資産を証券化する事で流動化させ、そ
れらを証券化した巨大災害リスク資金として利用する方法が開発されはじめました。あま
り込み入った話をすると、経済学に疎い私には手に負えない分野ですので簡単に述べまし
たが、この技術においてもリスクの定量化が最重要過程として位置付けられます。

以上大雑把にリスクマネジメントの手法と手順について述べてきましたが、土木学分野に
おけるリスクマネジメントとは主に前述の第2段階で議論されます。橋梁や鉄道などの構
造物建設段階においては勿論、運用・維持管理の段階に至るまで、リスクマネジメントを
基本理念とした設計・施行あらゆる作業が当然のように行われています。リスク分析法、
リスクファイナンスと土木学と直接的には関わりの薄い作業についても触れましたが、そ
れぞれの分野がリスクマネジメントと言う一つの目標を達成すべく有機的に結合出来るよ
うな技術、その確立のための努力こそがリスクマネジメントの本質なのではないでしょう
か。
聊か掘り下げが浅いとは思いますが、この文章によって皆様がリスクマネジメントについ
ての認識を新たにして頂ければ幸いです。

2000.11.7 清水 立

*文中で用いた図は土木学会誌7月号からの抜粋でありますが、これらが著作権など何ら
かの法的問題を孕んでいた場合には、ご指摘頂ければただちに削除致します。ご了承ください。