清水 立 卒業研究

 建築工学 土木工学 建設工学
 について

土木学会誌3月号

これまで建築雑誌・土木学会誌数冊に目を通した上での感想なのだが、
建築関係の方々の文章は主題の如何に関わらず文章構成における起承転結が明確であり、
「結」の部分で主題に即した提言が記述される形態が多く、
対して土木学会誌に掲載される文章では、主題として与えられた諸問題の現況や対策
として挙げられる技術とその意図・効能そして欠陥、将来に向けて如何に発展すべきか、
と言った極めて具体的な見解が淡々と記述される場合が多い。
とは言えどちらにも例外はあり、あくまでもトータルとしての印象ではあるのだが、
今回取り上げられている主題「ゴミ問題を直視する」にあたる諸先生方の文章には、
上記のような傾向がより顕著に表れているように感じ、それが返ってこの問題の緊迫性を
何よりもリアルに伝える効果を導いているように思われる。
筆者達にとっても我々にとっても、この問題は緊迫性において他を凌ぐものであり、
現状を批判する内容のレポートを提出して一息ついている場合ではなく、
「こうすればこうなる」と言った実論を書き立てる事が事の重大さを伝える
何よりの手段であったのだろう。

ゴミは人間生活における生産・消費などあらゆる段階で発生し、いわば人間はゴミを
発生させるために生活しているとも言える程身近でありながら、最早ゴミを発生させる
事が生活の一部となってしまうためにともすれば無関心になり勝ちな問題である。
人が自然の一部として生活していた時代、人々の生活が生む廃棄物は自然の浄化作用が
許す範囲を上回る事は無かったが今は違う。廃棄物の量は増加の一途を辿り、
その質も環境に多大な悪影響を及ぼしもはや人間が処理出来る範疇にない程危険なもの
が現れている。故に処理方法も焼却や埋め立て、生物分解から隔離など廃棄物の性質に
合わせ様々な発達を見てきた。

ではわが国ではどのような廃棄物処理が行われているのだろうか。

日本は国土面積が絶対的に小さく、加えて高温多湿なため長期間に渡り大量の廃棄物を
放置しておく事はまかりならない。よって何よりも廃棄物の減量こそが至上命題となり、
結果として「焼却主義」こそが衛生面においても最良の方法として扱われてきた。
しかしその焼却は新たに排煙中有害物質(塩化水素、硫黄酸化物、窒素酸化物…)
という問題を顕著にさせてしまった。近年さかんに取り沙汰されたダイオキシンも
その一種であるが、こうして新たな有害物質とその影響が明らかになるたびに、
排ガス処理装置はより重装備になっていったのである。
しかし近年では焼却技術が発展し、会誌内にける石川禎昭(東京都立品川技術専門学校
能力開発課統括課長)のレポートでは、日本の焼却技術は世界トップレベルにあり、
ごみ焼却に対するダイオキシンの無害化、削減技術も既に確立され、更には焼却の際に
発生するエネルギーを発電・冷暖房などに有効利用、その技術は最早ごみを資源として
扱うレベルにまで達していると表現している。

しかしゴミをいかに焼却により減量化したとしても、最終的な処理段階ではやはり
廃棄物をいわゆる箱に収める必要がある。そこで真先に思い浮かべるのが埋め立てで
あるが、これは内陸型と海洋型に大分される。内陸型は文字通り国土内、つまり
所有者の存在する土地に施設として最終処分場を建設するケースであるが、
周辺の住民には勿論、自然環境にも歓迎されぬ施設である事はいうまでもなく、
国土の絶対的な面積不足も手伝って、平成11年度9月末の時点で残余容量が1億?強
(残余年数に換算して2年弱)と極めて差し迫った状況である。そこで埋め立て対象が
海洋へと移る訳だが、このような飽和状態に対する一つのビジョンとして、
会誌内における藤田賢二(フェロー工博 埼玉大学大学院教授)は「国土デザイン
としての廃棄物対策」と題して大変興味深いイメージを提案している。
日本の地形・気候を考慮すると、最終処分場を山間(内陸)に創ることは、
水流を上から下まで汚す事になり得策ではない。ならば最下流である海洋に
そのスペースを求めるべきであるというのだ。無論環境保全に最大限のちゅういを
払う事はいうまでもないのだが、その点をクリアするだけの技術と経験が裏付けとして
あるのだそうだ。その技術的裏づけとして大阪フェニックス計画(近畿圏における
廃棄物の最終処分場確保のため、平成2年から2つの埋立処分場で近畿2府4県からの
廃棄物の最終処分を行っているもの)が例示されているのだが、氏の提案するイメージ
はこれとは少々異なる。大阪湾〜は湾そのものを埋め立てる計画であるのに対し、
氏は湾を国の財産であるとの見地からこれを護り、湾内をその対象から外した上で、
埋め立てによって半島を形成、つまり湾を形成する事でより国益にかなった土地形成を
行うべきだとしている。これは単なる廃棄物の入れ物創りに収まる事のない、国土を
デザインするという壮大なプロジェクトである。

ただしこれは収集段階以後のゴミ問題に焦点を絞った、つまり最終処分に関してのみの
対策案であることを忘れてはならない。つまりあくまでも現状のような廃棄物量増加を
大前提として、ではどのような機構でそれらを収める箱を用意すべきか、という主旨の
提案であり、根本的な機構改革とは必ずしも結びつかない。ではゴミ問題の根本に迫る
には如何なるアプローチが有効であるのだろうか。その事を考えた時に真先に挙げたい
のは、我々の危機感があまりにも欠如しているという事である。自らの手で生み出した
廃棄物を自らの手では最早処理すら覚束ず、様々な手段でかけがえのない環境に対し
悪影響を及ぼしていると自覚しつつも、ほんの目先のルーティンに目を奪われ改善に
まで視野が広がらない。理論を書き立て一息ついている場合ではない、ということを
各人が腹の底まで思い知る必要がある。

2000.9.19 清水 立