清水 立 卒業研究

 建築工学 土木工学 建設工学
 について

建築雑誌2月号 仮設住宅の生活

 「仮設住宅」と言うものの大前提と言うか、意義と言うか、其処について考えると
あくまでも恒久性とは相容れない性質を持つ居住空間であることが先ず挙げられる。
何らかの事情で本来の居住空間を失った人々(災害規模にもよるが大多数である事が
多い)と彼らの生活していた地域が失った機能を取り戻すまでの「仮」の住居であ
る。そのため当然ではあるが、本来住居と言う物に求められる性質が住む側の人間の
要求を必ずしも反映するものではなく、どれだけその空間が優れた空間であってもま
たその逆であろうとも、住む側造る側双方にとってその空間は「仮」以外の何者でも
ない。

だがしかし、「仮」であるからこそ生まれる工夫があり、その工夫を生む人々の意志
こそが復興への確かな裏付けであり、また「倒されれば起き上がる」「壊されれば建
て直す」と言う人間の本能にも近い崇高な行為ではないだろうか。

最も近い時期に起きた大災害として本書では阪神淡路大震災が取り上げられ、技術者
・被災者としての立場から見た問題点(行政に対する問題提起が多い)を挙げ、復興
に向け行われてきた輝かしくも「脚光を浴びない」努力とそれらを通じて得たものな
ど貴重な談話が掲載されている。

なぜ「脚光を浴びない」などという表現をしたのか。それは私が震災を外から見てい
た者としての実感を込めてそう表現させて頂いたのだが、マスメディアを通じて震災
を体験した多くの人間が知るのは、震災の規模(震度や被災状況)や行政対応の不
備、復興状況などある程度「ディテール」ではあってもあくまで視点が俯瞰である情
報なのだ。勿論ドキュメントなどで人々が奮闘する姿を描く報道もあるが、それはよ
り構造的な問題を炙り出すための演出として描かれる場合が多く、真の意味でそこに

住む人々が生きるために何をしているかと言った「現実」は我々のような部外者の知
り得ない事柄なのである。

被災直後から復興・現在に渡るまでの様々な問題点(多くは行政、社会システムに起
因するもの)に対する批判や分析を述べるにはあまりにも自分の知識が乏しい上、そ
れこそ筋違いな行為であると考え、ここでは同書内にある卜部兼慎氏の体験記「一年
間の仮設生活」について自分なりに感じた事を記述しようと思う。

氏は震災により自宅全壊と言う被害に合われ、避難所に半年間(仮設住宅当選待ち期
間)そして仮設住宅に一年間生活。一口に半年・一年と言っても常に不安を抱きなが
らの不慣れな生活は想像を絶するものであったろうと思う。ここではその文章の主旨
に反するとして避難生活に際しての苦労は語られず、主に仮設住宅での生活にその焦
点が置かれているが、その記述はあまりにリアルである。勿論他の方々の談話も実体
験を交えた興味深いものではあるけれど、極めて個人的な、家庭の日常生活に関する
体験談は圧倒的なほどリアルであり新鮮に感じた。この様な情報こそが今まで知り得
なかった領域なのだ。

氏の家族は祖母・父母・弟の4人。氏本人は仕事の関係で週末以外は京都に借りるア
パート住まいだったらしいが、6畳2間にキッチンと言う空間は決して十分な空間と
は言い難いものだったろう。後の談話として氏はこの住宅を割合恵まれた環境であっ
たと回想しているが、それも1年間と言う期限付きの生活であったからこその心情と
吐露している。 

「期限付きの生活」と書いたが、これこそが仮設住宅の持つ最大の特徴だ。間取りが
生活形態に不合致であろうとも、通勤に不便であっても、住まいと呼ぶにはあまりに
粗末なものであっても、あくまでもそこは将来恒久的な住居を持つまでの行政によっ
て割り当てられた「仮」の住まいなのである。
不便であるからこそ工夫は生まれる。卜部氏の祖母は足が悪く仮設住宅の出入り口・
ユニットバスなどはそのまま使用するには酷であった。よって出入り口の段差をコン
クリートによる手製階段で埋め、防水シートや家族全員でルールを定める事でユニッ
トバスの不便さを克服したのだそうだ。夜は旅館の如く部屋に布団を敷き詰めて眠
る。そのため家具は最小限に絞り日中部屋を空洞にする。玄関・ユニットバスへと通
じる3畳しかないキッチンには稼動する型のラックと冷蔵庫のみを置いて、キッチン
としてだけではなく玄関・脱衣所としての機能も持たせる。工夫する余地が有り余っ
ていると言う状況は、返って人を豊かにするのではないかと思われるほど、氏の苦労
話はそこでの生活を経験した事への誇りが滲み出ているようにすら感じた。

災害によって失われたのは家や生活だけではない。卜部氏の母は震災前自宅で美容院
を開いていた。長年美容院を開いていれば当然顔馴染みも増える。卜部氏に限った事
ではなく、多くの人々は長年そこに生活しコミュニティを形成していた。震災はそこ
で生活していた人々のつながりまで奪ったのだ。氏の母は当然、店舗であった自宅が
失われたのだから職も失う事になった。心身ともに打ちひしがれていた氏の母に、震
災前の顧客が仮設住宅まで訪ねてくるようになった。施設としては勿論十分ではない
し満足なサービスも出来ないが、有り合わせの道具一式と母の気力・工夫とで仮設美
容院が完成する。すると仮設で知り合った人たちもお話がてら髪を切りに来るように
なり、仮設を出て元の場所に美容院を構えるに至った現在も彼らは店を訪れると言
う。新たなコミュニティの形成である。

何千人が家を失ったから何千戸の住宅が必要だ、緊急事態における行政対応なのだか
ら明確であり迅速な処置が行われるのは至上命題であろう。しかしその結果仮設住宅
では必ず前述の様な各々の生活が工夫(苦労)と共に営まれているのだ。果たして真
の意味で仮設住宅に持たせるべき役割・機能とは如何なるものか、と言う議論に対し
て口を挟むだけの知識を私は未だ持ち合わせてはいない。だが、必ずそこでは人々が
大いなる苦悩を克服しようと日々生活するのだ、と言う事を技術者は勿論、行政の段
階から肝に銘じなければならないと思う。

同書内「(仮設住宅を建てるなら)ハウスではなくホームを目指せ」と言う小森星児
神戸山手大学長の言葉が印象的である。

2000.8.2工学部 建設環境工学科 20597044 清水立

* 文中卜部氏の体験談であるにも関わらず語尾を伝聞形に修正していない個所が多
数ありますが、それは文章自体の意味よりも実際の体験談としてのリアリティを損な
うべきではないと考えた上での事です。卜部氏とその家族の生活に敬意を表します。