清水 立 卒業研究

 建築工学 土木工学 建設工学
 について

建築雑誌1月号

ここでは「未来都市への系譜」と題して、映画・漫画・文学など様々な所謂「空想」内
に想像され続けてきた未来の姿を、建築学の見地からは勿論、都市学や人間工学など
多岐に渡る視点から柔軟に分析・評価しようと言う試みがなされており、その議論は
人間の存在意義や精神環境と言ったある種哲学的な分野にまで及んでいる。ここでは
同書内の各先生方のアプローチに習って自分なりの「未来」への見解を記してみよう
と思う。

「未来」とはSFというジャンルでくくられた作品(映画・小説・漫画)などに集約さ
れ、元来人々の希望が反映されるものであるはずだ。しかし、これは自分が今まで目
にして来た作品に限っての事かもしれないが、そう言った作品中の「未来」とは必ず
しも希望に満ち溢れた理想郷としては描かれていない。例えば映画「Fifth Element」
では超高層ビルが連立した都市に人々は生活し、おそらく地上20-30階に当る高度では
スモッグが立ち込め地上では生物が生育していない環境、人々は自らの破壊行為に
よって上空に生活の場を追いやられている未来が描かれている。同じく映画
「Total Recall」では人口過多により火星に生活の場を求める末期的状況が描かれ
ているし、漫画「Silent Mebius」では天気予報ならぬ酸性雨情報が報道され防護策
なしには人間が屋外にも出られないリアルな未来が存在する。(こう言った破滅的な
未来は他にも漫画「漂流教室」、映画「12 Monkeys」など多数描かれている)
そこにあるのは「希望」よりも「このままの機構で人間がその生活を続ければ間違い
なく破滅するであろう」という非常に現実的且つある種「諦め主義」のような思想が
根底にあると思われる。

では我々人間にとって「理想郷」とは如何なるものであろうか。周囲が如々く全自動
化されたコンピュータに支配される世界なのか。(映画「Terminator」「Matrix」で
は機械に支配され人間の存在が脅かされる未来が描かれている)それとも懐古主義に
後押しされた牧歌的なイメージなのか。
おそらく現状の資本主義が技術革新の最たる要因とするならば、我々の辿る未来とは
前者に近い物になるだろうし、環境破壊・人口爆発はもはや避けられない事実にも見
える。描く理想郷が如何なるものであるにせよ、そこにあるのはリアルな絶望であろ
う。

さてここで精神論的な事柄ばかりを記述しても本来の主旨と懸け離れてしまうので、
未来の建築に話を移そうと思う。面白い事に上記のような映画・漫画などビジュアル
として未来を描く作品中に登場する建築物、また人々を取り巻く様々な生活用品には
所謂「現存のアイデアを覆すような斬新さ」を伴う技術は見られないのだ。映画
「Back to the future」に見られる宙に浮くスケートボードのように、既存するアイ
デアを所謂未来風に脚色したものに留まる。それは「こうであれば」と言った意識上
の希望を反映したものというよりも、単なる技術への憧れのようにも映る。手塚治虫
の作品中に見られるような一昔前に空想として描かれた大規模で豪華絢爛な建造物
も、現在であればそれに限りなく近いものが実際に存在するだろうし、「2001年宇宙
の旅」や「Star Wars」に描かれるような未来も近い将来必要に迫られれば実現する
だろうと想像するのは難くない。

現在研究が進められている「メガフロート」と言った技術も一昔前には夢物語だった
のだろうし、ランドマークタワーを始めとする横浜「みなとみらい21地区」は宛ら
「未来都市」の様相を呈するものであり、その景観と規模の大きさは圧巻である。
要するにもはや「未来」を現実として描くのは必然であり、そこに希望を織り交ぜる
事自体「現在」または「過去」への羨望と言った所謂懐古主義と切り離す事の出来な
い行為であるという事なのだろう。

ここで「理想郷とは」という話題に戻すが、何もかも必然としてリアルに描く事ほど
恐ろしい事はない。もはや人類の滅亡すら必然として受け入れるのはあまりにも客観
的で愚かな行為だ。そこから我々は如実に「危機感」を汲み取るべきであり、理想郷
とは単なる技術の追求に留まらず、より主観的に捉えた上でのそれこそ現実的なもの
でなければならないと考える。破滅が目に見えているなら回避する事を全体が至上命
題として捉えるべきであり、資本主義がその妨げとなっているなら機構自体を改革す
べきだ。そこに一つの具体例として明確なビジョンを提供するのが、ここでいう「未
来都市」を描く芸術の役割ではないだろうか。危機感を淡白に煽るだけでなく、希望
をリアルに描く作品にこそ焦点を合わせるべきではなかろうか。これはもはや建築に
限った話ではなくこの文章の主旨から逸脱した結論ではあるが、「未来」を空想する
事は現状の問題点を顕著にする上での重要な過程であるという見地からの結論であ
る。

エネルギー生成過程他あらゆる人間活動における廃棄物の完全再利用、都市空間と周
囲の自然環境との調和、環境に悪影響を及ぼすあらゆる有害物質の抑制と管理の効率
化、これら全てをその技術によって実現させる異性人を描いたSF映画を見たことがあ
る。

技術が人を豊かにするというならば、これが一つの理想郷の形なのではないだろう
か。
                            2000.7.17 清水 立