1887年に建てられた銀色ドームをもつヴィクトリア様式の建物。
シンガポールの歴史がジオラマで展示されている。
シンガポールをはじめ東南アジアの民族資料が展示されている。
ペラナカンといって中国人とマレー人の混血の人たちの民族資料が重点的に展示
されている印象だった。やはりペラナカンはシンガポールにとって無視できない
存在なのであろうか。
タイガー・バーム(万金油)で財を築いた胡一族の翡翠のコレクションが圧巻。
胡文虎の弟胡文豹は若くして死んだ。胡文虎は悲しかったろう。
中国新疆ウイグル自治区特産の玉がたくさんあったのには驚いた。立派な彫刻ばかり。
行った日には小学生や中学生がいっぱい見学していた。
日本人には重い内容の展示がいっぱいだが、子どもたちにとっては退屈だったろう。
中で走り回る子どもは、管理人のおじさんから走りたかったら外で走りなさい
と英語で叱られていた。
太平洋戦争の資料などは、セントーサ島のイメージズ・オブ・シンガポールと重なっている。
ただ、こちらのミュージアムにはシンガポール独立までの詳しい書類や資料が
展示されている。
イメージズ・オブ・シンガポールの方には、ジオラマなどで視覚的に展示されている。
こちらのミュージアムも撮影は禁止ではなかった。
ただ1955年の共産主義者による暴動の資料は、固有名詞など表示されている
ためか、そこだけ撮影禁止であった。
このミュージアムは日本支配下時に昭南博物館として
心ある日本人たちにより貴重な資料が保管され研究も続けられた。
戦後にケンブリッジ大学名誉教授コーナー博士が本を書いて
徳川義親元侯爵と田中館秀三教授の功績を高く評価した。
なんとビクトリア女王像もラッフルズ像もここに保管され
英国人たちが戻ってきたとき元に戻されたのだ。
コーナー著、石井美樹子訳「思い出の昭南博物館」 中公新書659
戸川幸夫著「昭南島物語」 読売新聞社