英語帝国主義

よいにつけ悪いにつけ、英語帝国主義という言葉を耳にする。
その意味を考えてみたい。そう思いながら時間がすぎていく。

東南アジアの留学生や研究者を見ていると、その反植民地主義とナショナリズム
が目につく。それは日本人でも他の国の人から見たら、そう見えるだろうけど。
そして、その東南アジアの高学歴者でも、自国が独立して数十年たってもまだ
西欧諸国と同等のアジアの国を想像するのは難しいようである。

たとえばオーストラリアの大学で東南アジア仏教史という学位論文を提出した
スリランカ人は、仏教国日本でこの論文を本にしてくれそうな出版社を探していた
という。英語の論文を日本で出すつもりらしい。日本の出版社は日本語の本を
出版し、英語の本などまず出版しないことを知らなかったようだ。
何世紀にもわたる植民地支配の恐ろしさを、このような意識の上では堅固な
ナショナリストが、無意識のうちに植民地的状況にからめとられている事実に
見ることができる。

英語で仕事をしているかぎり、アジアの大学は、英米の一流大学を頂点とする
学会ピラミッドの底辺で、その支配に服従していくしかない。
経済力の弱い発展途上国が自前の出版事業を持つことは困難だから。
そして英語は国際語だという意識が研究者にあり、自国語で論文や著書を書きた
がらない。彼らのそういう行動が英語の国際語としての地位を支えているのだ。

また一方、英連邦が積極的に彼らの英語志向を奨励し、英語帝国主義を守っている。
イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英連邦先進国に対して、
かつてイギリス植民地だった発展途上国がある。これらの旧植民地国の近代的
教育制度、植民地時代にはイギリスをモデルに作られ、英語で運営されてきた。
独立しても教育制度を一朝一夕には変えられない。そして各国に共通の制度はまた
便利でもある。言葉と資格が共通だから、留学するにも教師を採用するにも
審査も簡単である。高等教育期間の足りない発展途上国では先進国から教師を招き、
先進国に留学生を送る必要がある。先にあげた英連邦だった4つの先進国
が出す奨学金も途上国には魅力である。こうして英連邦は大英帝国時代の文化
ピラミッドを実質的に維持している。

イギリスやカナダなどに留学し研究成果をあげた日本人研究者も、いつしかこの
英語帝国主義のからくりに気がつく。しかし、日本人には日本で仕事をできる場が
ある。発展途上国の研究者は、なかなかまだ自国で研究を発表したり、自分の国
にあった教育研究制度を作っていくことはできない。


英語帝国主義の中にいぜんとして取り込まれているアジアの国の研究者を紹介した。
      自国で勉強できる組織もあるが、あえて欧米に行って自分を磨くというならそれは立派なこと。
      要は自国の教育研究体制が欧米から独立しているか。欧米の旧宗主国に依存しないとどうにもならないのが
      教育も研究も発展途上の国だと思うのだ。

      その昔ヨーロッパはローマ帝国に支配されていた。
      だから、中世のヨーロッパの大学はラテン語ができないと何もできなかった。
      (神学や聖職者なら尚いっそう)
      そのうちだんだん自国の文明文化を高めて、ドイツ民族もドイツ語の世界を作っていった。
      ルターが聖書をドイツ語に翻訳したということは象徴的であると同時に力強いドイツ語の
      独立発展の歩みを確実にした。 ラテン語文化から独立を果たしたから。

      いま栄えている英語帝国主義も、ふりかえってみると、小さな英国でしか英語が使われなかった。
      その英語も、英国に渡ったドイツ人の子孫が、海賊バイキングの定住したフランスのノルマンディーから
      侵入してきたフランス語を話す王族たちに支配され、無理無理の数百年かかって作られた言葉だった。

      ロビンフッドで有名なリチャード1世のことを思い出すと、当時のイギリスは悲惨なものだった。
      父の後をついでイングランド王に即位したリチャード王は、イングランドに滞在したのは
      戴冠式の時期を合わせて6ヵ月間にすぎない。彼の生涯はほとんど十字軍遠征にあけくれた。
      勇名をあげ〈獅子心王〉の名を得たのだが。末弟ジョンの陰謀を知ってイングランドに帰る途中
      オーストリア公に捕らわれ、皇帝ハインリヒ6世に引き渡された(1194)。
      身代金15万マルクで解放されたが、その負担はイングランド人の不満を高めた。
      身代金が支払われるまで捕らわれていた城は今でも観光地として有名とか。

昔栄えた国でも歴史が変わると....
といっても英語帝国主義の現実は無視できないが。
日本も日本人もまだまだこれから発展する可能性がある。
海外での日本語教師のみなさんは日本語帝国主義(?)の一翼を担うと考えたら
まずいでしょうか。