ボルブドゥール遺跡とラッフルズ

ボルブドゥール遺跡を発見したラッフルズ 彼はフリーメーソン会員だった。 彼はその遺跡を学術的に調査して保存した。遺跡は石工が作ったから。 ところが 遺跡を見たインド兵たちは、かつてのインドとジャワの 結びつきの証拠を見て、インド兵たちが地元の首長と組んで イギリス士官を皆殺しにしようとしたが 事前に発覚して失敗した。 (やれやれ) インド人もジャワ人もイギリス士官を嫌っていたらしい。 ラッフルズはスルタンたちとの友好関係をたてなおし兵士の信頼 をとりもどした。 ラッフルズはシンガポールの恩人ということになっています。 各民族から嫌われなかったのは、やはり経験を積んで苦労したからかもしれない。 参考にしたのは ナイジェル・バーリー:スタンフォード・ラッフルズ、凱風社 この本の著書や英国の人類学者で、現地の印象をまじえながらの 記述のため、客観的なラッフルズの伝記を期待した私には満足のいく本ではなかった。 オランダ植民地批判をしながら、英国の現地人の伝統に手をつけず間接統治したことを 肯定するなど、身びいきの記述が少なくない。(英国の植民地政策は香港やインドや ビルマで当事国から非難されている) ナポレオンのフランスが敗れたので それまで東南アジアでオランダ植民地を奪い支配していたイギリスは オランダに元の植民地を返還する。 そうして役目を失ったラッフルズはひとまず英国に帰る。 途中 セントヘレナ島が東インド会社の寄港地だったので立ち寄る。 そこで尊敬していたナポレオンの没落した姿を見てがっかりしたらしい。 ナポレオンは依然として尊大で、かたくなな執念深い男の印象をラッフルズに与えたようだ。 ただ人類を隷属させるための能力と気質しかもちあわせていない。 すべての人間を自分より劣るものと見下し、哲学など微塵ももっていないことを ラッフルズは知った。 ラッフルズはオランダの右側通行を左側通行に改めさせた。 マレーシア、タイ、インドネシア、フィリピン みんな左側通行。 オセアニアも日本も。