岩手大学(教育学部)名誉教授内山三郎のお祝いの文章

  「古稀」を迎えた科学談話会               岩手大学名誉教授   内山三郎  科学談話会は、月例の勉強会として1948年5月に発足しているので、現在創立70周年を 迎えたことになります。人間で言えば、「古稀」ということで、これまで休み無く継続 してきたことは誠に喜ばしく、この会の会員・幹事として関わりを持たせて頂いたことに 感謝をしております。この会の歴代の演者・演題・参加人数等については、全て見ること が出来ます。それは、長く幹事を務められた岩手大学工学部の宮本裕先生(現・名誉教授) のご努力の賜物であり、インターネット上に公開されて、現在も逐次最新のデータが加筆 されております。この会は長い歴史の中で、1973年5月より盛岡市立図書館と共催となり、 月例の一般公開講演会の形を取って現在に至っていますが、その経緯については、宮本 先生の創立50周年記念の辞・60周年記念の辞等々の中に詳しく述べられています。  私が岩手大学教育学部に赴任したのは2003年4月でありますが、この年は雪が多く、 4月半ばになっても校舎の陰には残雪があった事を覚えています。その年の冬に乗った タクシーの運転手さんからは、「盛岡はアイスバーンになるので、関東から来た人は 一度くらいスリップ事故を起こすことになるよ。」と警告されました。そのあと車を踏切 で停止させようとしてブレーキを踏み、初めて車のABS(アンチロック・ブレーキ・システム) の作動を体験したものです。関東での生活では一度もABSの作動を経験したことはありません でしたが、警告のお陰もあってこれまでスリップ事故は起こしておりません。  私の科学談話会との関わりは、当時教育学部の幹事をされていた菅原正和先生 (現・名誉教授)から例会の講師依頼を受けたことがキッカケであり、これを機会に 談話会の会員にさせて頂いています。菅原先生は2008年度末に定年でご退職されましたが、 その際に後任の幹事として推薦して頂きましたので、私が幹事を引き継ぐことになった 次第です。幹事をしている間には、依頼した講師の方が直前に骨折・入院され、例会に 穴を開けないよう代わりに講演をしたこともありました。また、2011年3月の例会は 東日本大震災による被災の1週間後のことでしたが、講演会は中止されることなく開催 されました。すでに盛岡地区の停電は解消しておりましたが、まだ節電のため暖房もまま ならない状態の中での例会、ということもありました。  2012年度末には私も定年退職となりましたので、私の幹事としての関わりは4年間と いう短い期間でした。前述の宮本先生や菅原先生、農学部の岡田幸助先生(現・名誉教授) の30年以上も幹事をされた期間と比べますと、その短さは対照的です。それでも、幹事を 引き継いだ年がたまたま5年に1度の当番幹事に当たっていたこと、また前任の菅原先生が 近くにはおられなかったこと(ご退職後は尚絅大学教授として仙台に赴任)などもあり、 私にはとても緊張した記憶として残っております。2013年度からは阿久津洋巳先生に幹事を バトンタッチしましたが、2017年度末には阿久津先生も定年退職(現・新潟リハビリテー ション大学教授)されましたので、現在教育学部幹事は梶原昌五先生に引き継がれています。  科学談話会が「古稀」を迎えたことは前述の通りですが、私も科学談話会発足の年に 生まれた「古稀」であります。人間には寿命がありますが、科学談話会に寿命はありません。 これからも人間の傘寿(80年)、卒寿(90年)、上寿(100年)にならい、そして それ以上に、科学談話会が続いていくことを祈念してやみません。

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