岩手大学長藤井克己先生のお祝いの文章

  科学談話会の「還暦」を祝す                       岩手大学長  藤井克己  科学談話会が今年の5月で発足以来、満60年を迎えられると伺いました。人間に例えれ ば還暦に当たり、まことに慶賀すべきことと祝意を表させていただきます。実は岩手大学 の新制大学としての創立は1949年のため、当年6月で満59年、つまり科学談話会のほうが 1年先輩に当たるわけです。当方も生まれる前のことで、当時の様子は想像するしかないの ですが、戦後の混乱期を経て多くの市民が『最新の正しい科学情報』に飢えていたという ことができるでしょう。  私の子ども時代を振り返っても、昭和30〜40年代は家庭電化製品が急速に普及しモータ リゼーションの進展ともあいまって、科学に対する絶大な信頼感が育っていました。映画 「三丁目の夕日」で描かれるのと同様、我が家に冷蔵庫やテレビの届いた日のことは、今 でも鮮明に思い出されます。一方で難物は電話でした。家族の出払っているときに電話が 鳴ると凍り付いてしまい、居留守を使うこともありました。小学生の私は電話の応対をよ く知らず、地獄からのベルのように思われたのです。  しかしその後、様々な公害問題の顕在化とオイルショックを経て、科学への信頼感は大 きく揺らいできました。加えて、TVゲームや携帯電話などメディアの電子システム化・小 型化が進んだため、これらの道具の機能が外からは分かりにくいものになっています。テ ンプが揺れ動いて秒針がカチカチと進む腕時計、番号ごとにダイヤルを回して発信する黒 電話に慣れ親しんだ世代には、デジタル化されたこれらの代替最新鋭機種は、働きの実感 を伴わない単なる箱でしかありません。 したがって電池が切れたという少しのトラブルで「もう使えない」と投げ出してしまいが ちです。小幅の修理の利かないメカニズムになっているからです。死んだカブトムシを 「電池が切れた」とみなす子どもの心境も、この裏返しといえるでしょう。科学技術が実生 活の中で息づいていないようです。最近のTVで根強い人気を持つ超常現象への『反科学的 な信仰』も、実はこのような流れの延長線上にあり、子どもの理科離れと表裏一体の関係 にあると思います。科学技術を国民のために取り戻すために、今こそ丁寧な営みが求めら れています。その意味で科学談話会の60年の歩みは敬服に値します。『継続は力なり』と 申します。手前勝手なお願いばかりで恐縮ですが、科学が万人にとって身近なものとなる よう、一層、地道なご努力を期待するものです。

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