建設環境工学科1年生(平成9年入学)の優秀作文(?)


原文のまま載せることにしましたが、句読点を入れたり漢字の間違いを 訂正したものもあります。

いちおうテーマとして、盛岡に来て良かったこと、がっかりしたこと、冬休み中にあったできごと、
1998年はどうなるか等からえらんでもよいことにしました。

○今年の冬休みはとても大変な冬休みでした。それはなぜかというと、ちくのうのため 中央病院に入院していたからです。1カ月の入院予定でしたが、入院の1週間前の 検査で、思っていたよりひどくなかったので2週間の入院ですみました。 しかし、 入院中はとてもつらかったです。病院のご飯はあまりおいしくなかったし、手術後 1日はずっと気分が悪くて何度もうえにもどしたり、12日ぐらいはずっと鼻血が でていて、止まったと思っても、また2〜3時間するとまた出てきたりして、 とても大変でした。 2週間という短い期間であったため、耐えることができました。 もし、1カ月だったらとても耐えられなかったと思います。 入院が短く済んだので、お正月は実家ですごすことが出来ました。やはり徳島は あたたかったです。飛行機が大阪に着いたのは夕方6時頃だったのですが、岩手では あたたかいと思っていた服装では暑くて上着を1枚脱いでいました。やはり冬は あたたかい所ですごすのがいいですね。 実家のほうでは、お正月元旦に友達をたくさんつれて初もうでにいってきて、 それから初日の出を海岸のほうに見に行きました。夏休み以来に会ったのですが、 みんな高校の頃とあまり変わっておらず、みんなではしゃいでいました。 実家のほうには1月の10日までいました。その間、みんなで一緒に遊んだりとか、 それぞれの大学について話したりとか、将来はどうするなど話したりしていました。 岩手に帰ってきてからは、後期テストに備えてテスト勉強するのと、毎日のように 消毒に病院に通院していました。現在でも週に2〜3回は通院しなければ ならないので、つらいです。あと、3〜5ケ月間は通院しなければならず、 これからはもっと大変になりそうです。 岩手に来てよかったなあと思ったことは、かしこくていい人が多いことです。 どういうところがいいなあと思うかというと、車を運転しているとよく分かります。 みんな親せつに道をゆずってくれたりします。徳島はとても交通マナーが悪かった ので、岩手の交通マナーのよさにはびっくりしたし、感動しました。 交通マナーだけでなく、普段の生活でもいい人が多いなあと思います。 道を聞いてもやさしくおしえてくれるし、お店の人の態度もとてもいいです。 あと、岩手の言葉が好きです。聞いていて、とてもいい感じなのではやく覚えたいと 思います。岩手に来る前は、東北の方言だからとてもにごっているんだろうなあ とか思っていたけど、実際には違って、とてもやわらかい言葉でした。 あと地元ではできないスキーができることです。こんなに、真っ白く街がなっているのを 初めて見ました。山のほうはもっとすごいだろうなあと思います。テストが おわったら、いっぱいスキーを楽しんでみたいと思います。 岩手に来ていやだなあと思ったのは、とりあえず冬のこの寒さです。実家では0℃ 以下になることは冬の間に数える程度なのですが、岩手では毎日のようになるし、 1日中0℃以下になることだってあります。外に出るのがとてもつらいです。 あとは店が少ないことです。服を買いに行っても、店が少ないのであまり選択して 買うことができないのが嫌です。それでもって、値段が高いです。 岩手で嫌だなあと思うのはこれぐらいです。 嫌なところよりいいところが多いので、岩手はいい所だと思います。これからも 大学生活を楽しんでいきたいと思います。あと病気には注意したいです。 最後に2001年についてですが、2001年には最近発売されたハイブリッドカー のもっと進歩したエコカーが発売され、CO2もベンゼンも現在の車と比べ物に ならないくらい少なくなって、地球にやさしい車が発売されると思います。 あと、この前トーキョーモーターショーをテレビでしていて見たのですが、自動走行 システムのとうさいされた車もあるらしく、それらが市販されるかもしれません。 車の方は自然にやさしくだと思いますが、はやはりオゾンの破壊はすすんでいくと 思います。皮ふガンが増えたりサングラスの着用が義務づけられたりとかしている かもしれません。 そして、さらに未来では人間は太陽光を浴びることすらできなくなるかもしれません。 オゾンを人工的につくれるようになることを今はただ願うだけです。 あと、自然破壊や、温だん化、酸性雨など、さまざまな問題が今以上にしんこくに なって、21世紀の地球は大変なことになりそうです。 ○私は、実家が青森の三沢で盛岡とは近いので色々と便利だ。あと良かった ことと言えば、大学が街中にあると言うこと。友達の通う青森公立大は山の中に あるので、何か買い物に行くにしても山を下りなくてはならないので大変らしい。 そして、雪の量が少ないこと。ただ気温は盛岡の方が低いみたいで、かなり寒く 感じる。今も自転車で通学しているが、まだ雪の多い方が走りやすい。雪が少なくて 気温は下がるものだから、道路が凍ってしまってかなり走りにくい。 なんと言っても、盛岡は景色がいい。北上川や中津川、雫石川などの川が流れていて 自然も結構残っている。三沢には大きな川もないし、岩手山のような山も見ることは できない(唯一海に面しているが)。天気のよいとき、私が今住んでいるアパートの 3階からは岩手山がものすごくきれいに見える。そんなときは、盛岡にきて良かった なと思う。 1月8,9,10,11日と東京に行って来た。といっても、18切符を使って 行ったので盛岡から約10時間かかり、実際は2日間しかいなかった。それは よいのだが、8日はちょうど関東地方が大雪の日で上野には30分ぐらい遅れて やっと到着したものの、そこから先はJR線がほとんど不通になってしまい、上野の 駅は大混乱という貴重な体験をしてきた。結局、まだ動いていた地下鉄に乗って 目的地に着くことはできた。 今回東京に行って一つ気付いたことがあった。それは、歩き方だ。雪の降らないところに 住む人は雪道を歩くことに慣れていないので、かなり歩きにくい。そういう話を聞いた ことはあったが、実際こんなに違うとは思わなかった。私は普通に歩いているのだが、 他の人はずるずる滑りながらほとんど進めない状態だった。これは、歩幅と重心移動が 関係しているらしい。雪国育ちの人はそれが身に付いているから、というより毎年の ことで慣れているから雪道もすいすい歩けるのだろう。 ○盛岡に来て良かったことは(盛岡じゃなくてもそうかもしれないけど)、 わかりあえる仲間が出来たことや、バイト先の人々にめぐり会えたことです。 わかりあえる仲間とは、もちろん大学で出来た友人達です。今まで僕は、仲の良い 友人ともある程度距離を置いていました。それは、仲が良すぎていつも一緒に 居ると、その人の悪い所ばかりが目についてしまうからです。もちろん、今、 大学で出来た友人とも少し距離を置いていますが、お互いにわかりあえて いると思います。 もう一つのバイト先の人々との出会いは、僕は、コンビニとガソリンスタンドの 二つをかけもちしているのですが、コンビニのおかみさんは、第二の母親の様に 僕のことを心配してくれます。体の調子が悪かったり、精神的に何か悩みが あると心配してくれます。親元を離れて暮らしている今、僕にとってとても大事な 人の一人です。 ガソリンスタンドの社員の人々は、とにかくみんな陽気で一緒に居ると 時間が短く感じる程、楽しく過ごせます。大きなミスを犯してしまっても 怒ったりせず、カバーしてくれます。 今、作文を書いていて、自分は一人で生きているんじゃないとつくづく思いました。 これからもこれらの人々にお世話になりながら盛岡で頑張りたいです。 あともう一つ盛岡で良かったことは、きれいな景色です。北上川や中津川が あんなにすき通った水が流れているのには驚きました。その他にも県立博物館も すばらしかったし、岩手山もきれいです。それに道端にも、あまりゴミが落ちて いないというきれいな街です。盛岡人のマナーの良さがここに表れていると思います。 しかし、各地方から岩大に来た人々によって岩大キャンパスの様に あちこちに吸い殻や、空き缶、その他のゴミで汚れてしまうのは哀しいことです。 岩大生はもっとマナーを守るべきだと思います。それが盛岡に来てがっかりしたことの 一つです。その他にがっかりしたことは特に思い浮かびません。盛岡はいい所です。 ○1998年は激動の年になると思う。97年には金融機関が崩壊して政治にも 大ダメージが与えられ今の政府には大きな圧力がかかっていると思う。 そのような時代に汚職や不法な取引など様々な悪事が重なり、正直なところ政府も 手のつけようのない時代になっていると思う。橋本首相も口では良い事を言うが 行動の方では、さっぱりと言っていいほど解決策がでてこない。 そのような時代に誰がどのようにして、これらの問題を解決するのかといって、 誰も頭の中にうかんでこないのが今の最大の課題であると思う。 しかし、悪い事だけではない。2月には長野オリンピック、6月にはサッカーの ワールドカップ初出場などスポーツには大躍進の年になると思う。それに今年は ジャイアンツが息をふきかえすと思う。私は高校まで野球部で大の巨人ファンなので 今年こそはぜひ桑田、清原のK・Kコンビの活躍に期待している。 スポーツの方はともかく景気の回復にも注目したい。 現在は大学生で実際に社会へでて働いていないのでよく理解できない部分もあるが 今の日本では円安が深刻で一般に不景気といわれている。私の予想では根拠はないが、 99年になる前後あたりには景気が良くなると思う。しかし、その過程には首相の辞任 など重大なニュースがあってこそ、そのような良い結果をもたらすことになると思う。 政治だけでなく、環境問題をはじめとする世界各国の問題も98年には より深刻になる可能性があると思う。環境問題を例に挙げると、まず対応が遅すぎた ために最近になってようやく具体的な策がでてきたにもかかわらず、やはり全ての 人々に問題の深刻さを理解してもらう点については、まだまだ不十分であると思う ので、まずそこから出発し、少しずつの積み重ねで環境の悪化を防いでいく必要が あると思う。 いずれにせよ、1998年も97年のように忙しく大変な年になると思う。 ただ個人的には残虐な殺人などがない事をいのる。神戸の中学生が殺人をおこした 事件などは絶対にあってはならない事件であると思う。全ての面で平和で安全な 世の中である事を期待したいと思う。 (この文章は2度目の入力。最初入力したときセイブしなかったらしい。疲れた) ○まず、盛岡の人々は人柄の良い人が多い、という点が良かった事に入ると思います。 別に私の地元でもある宇都宮の人柄が悪いという訳ではないのだけれど、この盛岡に 来てから宇都宮にはないさりげないやさしさを持って接してくれる人が多いということ に気付きました。 具体的に例を挙げてみると、まず私が住んでいるアパートの大家さんです。 まだ私が初めて盛岡へ来たばかりの頃、初めて親元を離れて不安な私に優しく してくれました。近所のお店の場所からその他いろいろな事を嫌がらずに親切に 教えてくれて、「こんなに優しい大家さんのアパートに入れて良かった」と思って いました。 当時は、私の入ったアパートの大家さんがたまたま優しい人なのだろう と思っていたのだけれど、実際は大家さんだけでなくて盛岡の人々がみんな人柄の 良い人ばかりな事に気付きました。どこがどうと具体的に憶えている訳ではないけれど、 普段の生活でちょっとした時に「ああ、この人親切だな」って思う事がしばしばあって、 そんな気持ちが盛岡へ来て良かったと思える様にしてくれました。 次に挙げる事は、良かった事にも悪かった事にも入ると思いますが、雪が降る点です。 私はスキーをするからこの岩手県で降るサラサラのパウダースノーはすごく嬉しいです。 まだ今シーズンは1回も行ってないけれど、このサラサラの雪質は本当に楽しみです。 という訳でスキーができるから雪が降るのは良いのだけれど、盛岡市内の交通の便が 悪くなる点、道路の状態が悪くなる点が悪い点だと思います。でも、やっぱり どんな事でもメリット、デメリットはあるのだろうから、道路の状態が悪いから嫌だ と言っても仕方のない事かなとは思います。 最後に悪い点を挙げると、盛岡市内の店が少なすぎです。例えば、服を買うにしても 靴を買うにしても、すぐに欲しい物が見つかりません。 もっと、デパートとか増やして欲しい。 冬休み中は、2週間ほど宇都宮へ帰っていました。昨年の6月に祖母が亡くなった ため、今年の正月は喪中だったから初詣でにも行けなければ年賀状も書けなくて すごくたいくつな正月を送りました。盛岡にいても宇都宮にいても、何をするという 事はなくて無駄に冬休みをすごしてしまいました。もったいなかったです。 2001年の世界はどうなっているかについて、私なりの考え方だといくつも あります。まず1つは、オゾン層の崩壊が進んで人間の日常生活に少しずつ影響が 出てき始めてる頃か、それなりの対策法が見つかって少しずつ改善されてきてる頃 のどっちか。 あと、二酸化炭素による温暖化が進んで世界中の海面が上昇してきて、 陸地が減ってしまってる頃。あと、2001年だと、まだそんなにひどくなってない と思うけれど、高齢化社会が進んで老人が増加して子供が減っている頃。あるいは、 エボラ出血熱みたいな伝染病が発生してたくさんの人が苦しんでいる頃。 とにかく、どんな事が起こってもそう遠くない未来でもあまり明るい世界は期待 できないイメージを持っています。前にも私が読んだ本で、オゾン層破壊・地球の 温暖化・高齢化社会・核兵器のおそろしさ等々...「本当に明日は来るのか?」 って心底考えさせられた事がありました。きっと、そんな本と地球の環境問題に ついて放送しているTVのブログラムなどを見ているから、地球の未来に対しては 暗い印象があるのかもしれません。 ○この冬は暖冬ということで雪の降る時期が遅かったけど、僕が北海道の旭川に 帰った頃には、かなりの量の雪が降り続いて除雪作業がとても大変でした。 でも旭川は雪の多い街なので帰ってきたなあという実感がわきました。 初もうでの時も雪がすごくて、1日(ついたち)の朝6時に帰ってきて、1回 除雪してから寝ました。 気温はそれほど寒くはなかったけど、盛岡とは違って雪の多さに北海道は北国だなあ と思いました。 冬休みの出来事と言えば、やっぱり1月15日前後の歴史的な大雪だと思います。 僕も交通の便で被害を受けました。本当は1月15日に飛行機で帰ってくる予定が 到着地の天候不良のため欠航になり、その日はもう遅かったので次の日の朝早くに 電車で帰りました。盛岡に着いたのは夕方6時すぎだったので、その日はバイト の予定も無しにしてもらってとても大変でした。 もっとニュースを見て対策を練っておくべきだったなあと思います。 今年というかこの冬は盛岡に来て初めての冬だったのでどんな感じなのかなあと 思っていたのですが、やっぱり雪が少ないと思いました。気温はそれほど差はない ですが、東京出身の友人やあっち方面から来た人達はみんなとても寒がっている ので、こんなにも違うのだなあと思いました。確かに寒いとは思うけど地元に 比べたらたいしたことないと思います。 カルチャーショックと言ったら大げさだけど、それに近いものがあるなあと 思いました。 でも盛岡に来て色々な地方の人々と知り合うことができて、とてもうれしいし将来も 付き合える友達でいたらなあと思います。 あと盛岡に住んでもう1年近くたちますが、この街はとても道路が複雑でなかなか 覚えられません。街が発展しないのもその辺の道路事情によるものがあるのではないか と思っています。 あと物価が高いと思います。服とか鞄も品種が少ないと思います。だから僕は札幌で コートを買ってきました。 98年はダイオキシン対策とかやっぱりW杯サッカーでしょう。 ダイオキシンを出さない様に、ゴミの分別を全員がするのはもちろんですが、自分の 中でも徹底していこうと思います。 サッカーは初のW杯出場なので雰囲気に負けず、堂々とプレイして欲しいです。 TV中継は絶対見ます。 あと病気と怪我だけは注意したいです。 ○今年の冬休みはアルバイトとスノーボードに行って終わったと思う。自分は盛岡市に 8年間も住んでいるのにウィンタースポーツというものを全くやったことがなく (小学校の頃2,3回やったが...)今年、大学生にもなり友達のほとんどが今年から スノーボードをやるということで自分もやってみようと思い、始めてみた。 最初に行ったのは雫石スキー場で、年末に行ったので雪も少なく、コースもなくて 初心者なのに中級コースですべるはころびまくって酷だった。初心者コースもいちおう あったが、完全なアイスバーンでころんだ際に両ひざをそのアイスバーンに激痛が はしるくらいハデにぶつけてしまい、つらかったがたのしかった。その後3,4回行って ようやく中級ぐらいにはなれたかなと思えるくらいのレベルにはなったと思う。 アルバイトはミスタードーナッツ盛岡緑ケ丘店でやっているのだが、うら方の仕事をする 人が現在2人しかいなくてただでさえつらいのに店長は新しい人を入れる気がなく、 自分でないもう1人のアルバイトの先輩は盛岡の人ではないので、1週間近く1人で 仕事をしていたから、言葉にできないくらいつらかった。 今年の冬休みは夏休みのようにはならないように、しっかり勉強しようと思った のだが、景観工学のノートをつくるくらいしかできなかった。やっぱり長い休み になると勉強というものはしなくなると思う。(長い経験上)冬休みが終わったら テストがあるので、勉強を頑張ろうと思う。 ○冬休みの出来事といっても特にありませんが、出来事といえば友達5人で 雫石スキー場に3週間くらい寮に住み込みでバイトしたくらいです。昨シーズン までずっとスキーをやっていましたが、今シーズンはスノーボードに挑戦しようと 思い、多く滑るにはスキー場でバイトするのが一番だと思ったからです。 スキー場でバイトしていると無料で滑れたので、1円もお金を使わずに、 満足するくらい滑ることができました。おかげで上達するのも速く、人なみに 滑れるようになりました。 バイトの内容はリフト係を希望したのですが、スキー場に行ったのが12/26 だったので、まだ雪が少ないため、ロッジの洗い場に回されてそこで働きました。 後半は雫石プリンスホテルの洗い場に回されて働きました。 また、寮での生活だったので、いろいろな大学、例えば富士大学や青森公立大学や 盛岡大学や全国の大学の人達がバイトで来ていたので、たくさん友達をつくることが できてとてもよかったと思います。バイト期間は12/26から1/19まで でしたが、とても貴重な経験をしたと思うし、大学生活での1つの思い出と なりました。 盛岡でよかったことは、近くにスキー場がいっぱいあって冬は自分にとって 一番楽しい季節となりそうです。がっかりしたことは、東北の中でも一番冷える ところなので寒いということです。 1998年はどうなるか。たぶん今、米大統領クリントンの不倫疑惑があるので、 今年中には米大統領が変わると思います。日本の政治は今、政権奪還の動きがある ので、内閣総理大臣も変わると思います。 ○私は無類の鉄道好きであり、写真や模型などだいたいの趣味活動には手を出して いるが、JR全線乗りつぶしもその一つであり、春休みは九州、夏休みは長野へ 行って来たが、今回の冬休みは7泊8日で四国へ行き、JR四国を完全制覇して きたので、そのことについてレポートしたいと思う。 12月23日の午前8時51分に、実家からの最寄り駅である花輪線鹿角花輪駅を スタートし、長旅の幕が開いた。盛岡からは東北本線の普通列車を乗り継ぎ、一路 東京を目指した。 東京からは、大垣行きの夜行列車「ムーンライトながら」で西を目指すと同時に、 睡眠をとらなければならないのだが、いくらリクライニングシートとは言え、 やはり座席車では寝ずらく、大して眠れないうちに大垣に着いてしまった。 着いてすぐに東海道本線の普通列車に乗り換え、今度は岡山を目指す。途中神戸で 寄り道したせいもあり、岡山へは昼過ぎに到着した。 ここで高松行きの快速「マリンライナー」へと乗り換え、いよいよ待望の 瀬戸大橋を渡ることになる。この日は天気も大変良く、予想を遙かに上回る景色の すごさに思わず感激した。 四国に入って最初の停車駅である坂出で下車し、普通列車で丸亀に向かった。 大阪からは「四国ワイド周遊券」を使っているため、四国島内では特急にも乗り放題 なので、ここからは今回初の特急列車「しおかぜ」で、一気にこの日の目的地松山 を目指した。車窓から見えた蜜柑の段々畑や瀬戸内海が大変きれいだった。 松山は四国一番の都市で、松山城や道後温泉などの観光地があり、また、夏目漱石 のぼっちゃんの舞台になったところでもある。ホテルでチェックインを済ませた後、 路面電車に乗って道後温泉へ行き、お土産を買ったりした。そのあとは松山の市街地 を散策して、四国の第一日は終了した。 翌12月25日は、宇和島を経由して、高知へと向かった。宇和島は、人口の割には かなり町中が栄えていて、駅前の商店街などは、盛岡の大通りと肴町を合わせたの よりも大きかったように思う。やはり東北に比べてモータリゼーションが進んで いないせいだろうか。 また、さすがにここまで来ると冬でもかなり暖かく、町で見かけた幼稚園児の制服は まだ半ズボンのままだった。 途中、西宇和島から若井までの予土線は、列車本数が少なく、単行の気動車が走る 超閑散線区で、沿線には「乗って守ろう予土線」などと書かれた看板もあった。ただ、 途中で何度も車窓をよぎる四万十川はとてもきれいだった。水面の色はエメラルド グリーンで、ごつごつとした岩の間を流れるその景色は、日本最後の清流と呼ばれて いるのを十分に納得させてくれたように思う。 高知へは午後8時半頃についたのでもうほとんどの店が閉まっていたので、 とりあえず路面電車にだけ乗って、この日の日程も終了した。 26日は、この前の11月に開業したばかりの土佐くろしお鉄道宿毛線に乗るために 西へと向かった。やはり新しい路線だけあって、ほとんどが高架線とトンネルの 連続で新幹線さながらといった感じだった。宿毛からは足摺岬へ行くバスもでて いたが、今回は時間がないのであきらめ、いったん高知へと戻った。 今度は東へと向かいこの日の目的地である徳島県鳴門市には夕方に着いた。 西の端から東の端までたったの数時間で着いてしまうのだから、やはり四国は狭い ということを実感した。 鳴門は観光都市というイメージがあったが、駅前を見る限りは何の変哲もない 普通の町だった。 翌日は牟岐線を南下し、そのまま阿佐海岸鉄道に乗り入れ、終点の甲浦間で乗り通し、 折り返しの列車で今度は高松まで行き、そこから善通寺や琴平で寄り道をしながら また高知へと戻り、ここから夜行列車「ムーンライト高知」で四国を後にした。 この旅行では、日中はほとんど列車に乗ってばかりだったが、夕方からはそれなりに 観光も楽しむことができ、なかなか充実した8日間だった。JR全線の乗りつぶしが 終わったら、今度は観光目的でもう一度四国に行きたいと思った。 (ワープロ書き原稿なので漢字が多い) ○自分は冬休み、実家の茨城県水戸市に帰省した。たった4カ月ぶり だというのに自分の街では大きく変化した点があった。 帰省して2,3日後、自分の部屋の窓からふと外を眺めてみると、 この辺りではまず見られない近代的で巨大な高層ビルが遠くに見えた。 あれは何か、と母に聞いてみると、あれは建築途中の県庁 だと言う。そのとき初めて県庁移転について思い出した。 それまでの茨城県庁は、水戸駅すぐ近くの通勤には非常に便利 な場所にあったのだが、建物も古く、県庁にしては小さく、資料 などもいっぱいで収まりきれなくなったので、建て替え、移転すると いうことだそうだった。 自分は、1度近くで見たいと思ったので、建築途中の県庁のそばまで 出かけた。それは申し分のない立派な建物で、この県にとって誇れる 県庁だと思った。しかし、1つ気になることがあった。それは場所である。 水戸市の中で、どちらかといえば郊外、駅からも大分離れている。 さらに、周りにはバイパスが通っているとはいえこれといって大きな 建物もない。自分は、この建物だけ浮いている、という印象を受けた。 そこで自分は、この場所に建てよう、と考えた建設者の意図について 考えてみた。そして、すぐに答えは出た。 これはあくまでも勝手な推測だが、やはり機能の分散化という 意図があると思う。 現県庁は、駅からすぐそば、建物もギッシリで 新しく何かを建てる土地もないような状態。新県庁は、極端に言えば 荒野にドン、と建物を建てたような状態、発展の可能性は明らかに 後者の方がある。しかも、県庁という都市の中枢のようなもの。 これは、日本の問題である首都機能移転について大きな参考 になだろう、と勝手に思っている。 いろいろと考えさせられた冬休みでした。次に帰るときが楽しみだ。 ○岩手大学に入ってもうすぐ1年が経とうとしていますが、良い事も 悪い事もたくさんありました。 今までで一番悪い事、というかとても困った事がごく最近にありました。 それは冬休み中にアパートのお風呂が凍結で壊れてしまったことです 水抜きが不完全だったらしく、水道管が凍結し、破裂 してしまいました。同じ東北内ですが秋田では、冬でも 水を抜いたりすることはありません。盛岡はなんて寒いのだ ろうとあらためて思いました。 ガス会社の人にも「ここは本州で一番寒いところだから気を付けなさい」と 言われてしまいました。 その時のガス会社の人がとても優しくしてくれたことが すごくうれしかったです。 悪い事ばかりだったので、その人がいろいろと優しくしてくれたことが 良い出来事だったなあと思います。 これにこりてこれからは水道管の凍結に気を付けたいと思います。 1998年はどうなるかという事ですが、まだ1月だというのに 経済や政治面ではニュースに流れるのは悪いことばかりです。 株価が下がったり、アジア経済も悪い方向へと流れています。 そんな時、ニュースの特集でゴミ問題についてレポートされて いるのを見ました。北欧のある国では塩素の入ったもの、 例えば塩化ビニールなどを使わないという意識が国民に 広がっており、子供の教育にも取り入れられていました。 今年は日本でもこのようにゴミ問題、環境問題に取り組んでいける ようになればいいなあと思います。 ○冬休みは12月25日まで、やなぎやラーメン屋でバイトをして 12月26〜1月19日まで雫石スキー場でバイトしていました (寮でとまりこみ)。 12月26日は最初の日なので、バイトはなく、リフト券をもらい (タダで)一日中スノーボードをしました。そして27日からバイト開始 最初、索道(リフト係)として雇われたのですが、そのころは雪が少なく 動いていないリフトもあったので「からまつ小屋」というゲレンデの 中にある食堂のちゅう房で皿洗いなどをすることになりました。 (結局、雪が降ってリフトが全部動いても索道に戻されず 皿洗いをつづけることになった。見事にだまされて社会のきびしさ を味わいました) 朝7:00〜夕4:00までバイトをしてナイターですべる ということをしばらくつづけましたが、今度はホテルのちゅう房 の人が少ないとか勝手なことを言われて(最初のころ一日ホテルでバイト したが、人が多いからからまつ小屋にまわされた)プリンスホテルで バイトすることになってそのまま最後までやりました。 このことから雇われる身のつらさを味わいました。 しかし、パートのオバチャン達とふれあうなど貴重な 体験をしました。 雫石へはバイトをするためではなく、スノーボードをするために 行ったので、その点では充分すべれました。 盛岡にきてよかったことは、前にも述べたようにスノーボードができたということ です。 それ以外は特になく、。寒さがきびしい、水抜きを毎日しなければ ならないなど、やはりあまりよくない点が目立ちます。 しかし、これはいい点というのはなかなか自覚できないものだからと思います。 事実、盛岡がきらいではなく、けっこう気に入っているからです。 最後にこれからの日本については何を述べたらよいかわかりませんが、 今、様々な諸問題がうずまいているなかで全部に目を向けるのは 無理ですが、何か一つでも自分がしなければならないこと、自分ができること を見つけて、その問題にとりくむようにしたいものです。 ○冬休みの出来事はいろいろあったようで何もなかったような気がした。 12月の終わりにころまではバイトなどをしていた。ごく普通の日を送っていた。 毎日がおもしろくもなくつまらなくもないが、やっぱりいろいろあってつまらなかった。 雪は降らなかったけど寒い日が続いていて嫌だった。 12月28日に実家に帰った。すべての水道をもちろん水抜きした。 おみやげにくるみゆべしを買って帰った。 実家にいる間は結構ハードというか、ひまのない日が多かった。何かあると友達と遊び、 少しは家の手伝いなどもした。車の免許を夏にとっていたので、遊ぶ範囲が広がったし、 夕方からいきなり遊ぶことが多くなった気がした。だからバスや電車に乗るのが きらいになった。 今こうして作文を書いていると、冬休みにたいしたこともしないで、ただ遊んで いただけのような気がする。その遊びも充実感がないというか、達成感がないような 気がして今思うと何をしていたのだろうと思う。もっとたくさんの友達に会いた かったし、いろいろなことをしたかった。正月と重なっていたので、友達と会えない というのがあった。 実家にいた時の出来事として唯一達成感があったことは、福袋を買いに行ったこと くらいだった。1月2日に毎年何千人がならぶという横浜そごうに並んだ。 もちろん車で行って何コか買おうとした。1月2日は箱根駅伝の日で、横浜を通る ところを見た。 そごうで福袋を買った後に、こんどは元町のある店の福袋を買った。この福袋の はしごが一番達成感があった。 あとはのんびりとした日があって7日ごろに盛岡に帰ってきた。 新幹線に乗って外を見ると、いつのまにか雪で白くなっていた。福島より 前で真っ白だったので、盛岡はどうなっているのかと思った。盛岡は白い色の量は すごくはなかったが、とにかく寒かった。新幹線のドアがあいて出た瞬間、寒くて どうしようかと思った。横浜と盛岡で全然気候が違うのがあらためてわかった。 家に帰ってから大変だったことは、風呂とトイレの水が出ないことだった。しっかり と水抜きしたのに水が出ないので少しあせった。凍結でまた金をとられるのが嫌だった ので自分で何とかしようとした。 まず考えたことは、水抜きをしたのだから水道管の中は凍っていない。 だから家の中の管の中が凍っていると思い、トイレのタンクを見たら、 チューブの中が凍っていた。少し残った水が凍っていたので、お湯をかけてとかした。 そうしたらトイレは直った。 次は風呂。まず水がたまっていそうなところに熱いタオルをつけたり、いろいろしたが 全然直らない。なにをやってもだめだったので、水道屋に電話をしようとしたが、 最後の手段として洗面所の水を使ってお風呂に水を入れ、お風呂をわかして、 あたためて復活させようとした。これをやるのはものすごく大変だった。 洗面器に水を入れお風呂に水を入れる。30分以上たって、やっとわかせるくらいの 水がたまったので、後はお風呂をわかした。ゆげがたって1時間がたってもまだ水が 出なかった。が2時間くらいたった時、水が出た。この時は本当にうれしかった。 盛岡に帰ってきて大変だったことはもう1つ、雪がつもっていたこと。雪道を歩くのは 慣れていないので、ころびそうに何回もなった。自転車の方が逆に安全なので少しの 距離でも自転車を使っている。自転車に乗れないくらいの雪が降ったら学校にも 行けなくなるので、どうなるのかなあと思っている。 盛岡でよかったこと、がっかりしたこと。 前にも書いたかもしれないが思ったより遊ぶところが少ない。よかったこととしては、 まだ行ってないがスキーなどに気軽に行けそう。しかし車をもっていないので気軽に 行けないかも。他によかったことは、牛乳や米などがおいしい。星がきれいなど。 がっかりしたことは、水抜きがめんどうくさい、楽しいことがあまりないなど。 1998年、世界はどうなる。 とりあえずいえることは、サッカーのW杯は盛りあがる。まじめな話をすれば、イラクと 北朝鮮の動きがこわい。悪い予想ならいくらでもできるが、最後は明るい予想を、 と思ったが思いつきません。 ○結構、有名なスキー場が多い”長野”出身でありながら、今まで一度もスキーを スポーツとしても遊びとしても経験していませんでした。 それと、教職科目と体育Bが重なっていたという理由で、私は冬休みの 1月13日〜1月16日に学校のスキー合宿に行って来ました。 前もってスキーの技能レベルごとに大きく5つの班に分かれて いたのを、更にいくつかに分かれて、大学の先生や安比のインストラクターの方に 教わりました。 私は勿論初心者のグループで、先ずスキーの扱い方、履き方などを 教わって、”ハ”の字のボーゲンで姿勢をしっかりさせ、止まることや曲がることを 練習し、その後はリフトに乗り、上から斜滑降や直滑降で滑り降りました。 直滑降は滑り出しや転んだりした時は怖いけど、スリルがあっておもしろかったです。 上手くて格好良く滑れる人には敵わないけれど、初めてでも一応滑れるものなんだ なあと自分で驚きました。 又、宿を経営している家族の方々も良い方たちで、 男の子と女の子とがいて、いっしょに少し遊んだりもしました。 それから、他の学科の人とも話をして、友達になることができました。 今回とても良い経験になったと思うので、これからもいろんな人と接して 学んでいこうと思います。 盛岡で良かった点:冬のスポーツが楽しめる。今まで食べたことのない冷麺や じゃじゃ麺、南部せんべいなどおいしいものを食べられる。 盛岡で良くない点:買い物で気に入ったものを見つける場合、仙台とかより お店が少ないのでちょっと大変。雪が多いので、学校に通うのが大変。 内陸で寒暖の差が大きく、4、5月頃まで寒い。実家に帰るのにお金がかかる。 1998年、世界はどうなるか。去年話題になったクローン人間がアメリカで 造られてしまうのではないだろうかと思う。まだこのことを禁止する法が無いとかで、 確かに科学者の立場として、クローン人間はどこまでそっくりに出来上がるのか、 本当に他の動物のように上手くいくのか知りたいし、実験してみたくなると思う。 しかし、やはり自分とまったく同じ人間が存在してしまうというのは恐ろしい気が する。 それから、寒さも厳しくなってきた今、心配なのはインフルエンザである。 これも去年香港で鶏から今まで移らなかったウィルスが人間に移り死に至った 人が出たということで、日本に上陸してこないかが心配。だが、貿易や旅行など 交流があるので、上陸してしまうのも近いのではないか。 あと、世界のことではないけれども、今年私の出身地である長野は 冬期オリンピックで世界から注目されるので、ぜひ成功してほしいと思います。 ○盛岡に来て、といっても私自身家が花巻で、高校も盛岡(駅は岩手飯岡)だったので ちょくちょく遊びに来たりしていました。ですので岩手大学に入ったからといって今更、 盛岡に来てというのも変ですが...。まあ高校のときより来る回数が多いので (あたりまえか)いろいろ思った事もありました。 まず良かった事から。家から通える!! これは、がっかりした事でもあるのですけれど...。 高校に入る前私は、列車通学にあこがれていました。 なんか、たまに私が列車に乗ろうとすると、こっちが切符を買っている間に、 さっと定期を出して改札を通っている姿になぜか、かっこいいと思っていました。 まあ、それとは直接関係ありませんが、高校は列車通学の高校へ...。 いよいよ憧れの列車通学ということになったのですが、しかし、朝は早い、列車は 混む混む、しまいには乗り過ごす(北上まで行った事があります。過去4回。 そのうち1回は終電...。)という散々なものでした。 で、列車はもう嫌だったのですが、大学は岩手大学へ。 またもや列車地獄(笑)となりました。 それでもなぜ良かった事かというと一人暮らしをしている友達より、苦労が少ない。 一番大きいのは飯の心配が要らないという事でしょうか。かなり楽しています。 で悪かった事でもあるっていうのは相変わらず、朝が早い...。(泣) 高校のときよりと同じ時刻の列車で今でも通っています。 さすがにもう慣れましたが。 それともう一つ、帰り(終電)がある!! 友達の部屋で遊んでいても、コンパがあってもPM10:30には退場する私の後ろ姿が...。 最近は泊めてもらえる友達もできて、金曜や土曜などはだいぶ、いやかなり助かって います。ありがとー。しかし一人暮らしも良いが、今の暮らしも捨て難い...。 たぶん3年になる頃には、盛岡に来る事になると思うので、列車通学は今のうちに十分 満喫したいと思います。 あとは特にがっかりした事は無いし...。単位を落としたときには さすがに落ち込みましたけど...。 良かった事は、新しい出会いがあった事!! これにつきます。新しい先生、新しい友達、ギターとの出会い。今のところ、 かなり大学生活を楽しんでいます。単位さえしっかり取れれば文句無しなのですけど...。 これからも、もっともっとたくさんの出会いと別れがあると思うし、その度に私の 大学生活の思い出が増えていく、と思うととても楽しみです。 盛岡、良い町ですよね。岩手大学も良い所です。 後は自分次第...。ここで培った事が将来大きく膨らむように、 今は精一杯の事をするだけ!!がんばりまっす。 <この原稿はワープロで書かれてあったので、読みやすかった。漢字が多かった>

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