仏教における宇宙観
ここでは、文献による仏教の宇宙観を紹介したいと思います。
実は建築物にもその宇宙観が反映されているのです。
そして日常われわれがなにげなく使う言葉や地名にさえも、その影響が残っている
のです。
仏教にはさまざまな経典や言葉があるが、結局は輪廻(りんね)と解脱(げだつ)の
2つの思想にいきつくものであろう。
解脱とは輪廻あっての解脱である。輪廻と解脱の両方を解説しないといけないのだが
従来の仏教の解説書は、たいていは解脱に関するものであった。
仏教宇宙観の体系を示す書物の1つにインド5世紀の仏僧ヴァスバンドゥの「倶舎論
(くしゃろん)」がある。この中の「世品(せほん)」という1章に
いわゆる須弥山(しゅみせん)説が述べられている。
この宇宙観が日本に受け入れられてから、日本各地にこの宇宙観にあやかった名が
つけられた。須弥山とか、地獄谷とか、弥陀ヶ原という名前がそれである。
たとえば、栃木県の霊山「二荒(ふたら)山(さん)」(男体山のこと)は、音の類似から
観音の浄土「補陀落・普陀落(ふだらく)山(せん)」とされ、同じ「二荒(にこう)」が
仏教的な「日光(にっこう)」に書きかえられたという。
普陀落山あるいは普陀落とは、インドの南海岸にあり、観世音菩薩の住所とされる山 のこと。
須弥山というのは、仏教宇宙観に出てくる創造的な山である。
これは虚空の中に風輪(ふうりん)というものが浮かんでいるのである。
形は円盤状で大きさは示せないほど大きい。
その上に同じく円盤状の水輪(すいりん)が載っている。
水輪の大きさは、直径が120万3450由旬(ゆじゅん)高さが80万由旬である。
その水輪の上に金輪(こんりん)が載っている。
金輪の大きさは、直径は水輪と同じ120万3450由旬で、高さは32万由旬である。
金輪上の表面に山、海、島などが載っている。
1由旬=約7キロメートル
非常に簡単にたとえたら、風輪、水輪、金輪が重なった具体的なイメージとしては
たらいを伏せて、その上に風呂桶を伏せて、その風呂桶の上にバースディ・ケーキ
を載せた姿を思い浮かべるとよい。
水輪と金輪の直径は同じだから、この2つはもともと一体として円筒形を形成していた。
それが、煮沸された乳汁に表膜ができるように、上部に金輪ができたのである。
水輪と金輪のさかいめは金輪際(こんりんざい)と呼ばれ、
「もう金輪際いたしません」というような表現に使われる。
つまり「金輪際」は、「真底」「徹底的」を意味しているのであって、金輪際の
一角にすむ我々にとっては、金輪際が真の底というわけだ。
金輪の上に9つの山がある。中央に高くそびえたつのが須弥山である。
須弥山をとりまく同心方形の山(山脈)が7つある。
すなわち同心円ではなく四角形でもって7つの山脈が須弥山をとりまいている。
須弥山をとりまく四角形の山脈は、なんとなくピラミッドを連想してしまう。
金輪上に8つの回廊状の海がある。前述の回廊状の山脈の間が、それぞれ海になっているのだ。
内側の7つは淡水の海で、外の大きなのが塩水の海である。
この塩水の海の中に4つの島が浮かんでいる。
4つの島はみな形が違う。
東の島は半月形、南の島は台形、西の島は円形、北の島は正方形である。
ここでは南の島だけ紹介する。
南の島は形が台形といってもほとんど三角形というべき台形である。
上辺が2000由旬、下辺が3.5由旬、斜辺がそれぞれ2000由旬である。
この南の島、贍部州(せんぶしゅう)が、我々の住む世界である。
なんと、この三角形に近い台形の島は、実はインド亜大陸の形にもとづいたものである。
それは、この島のいろいろの特徴からも判断できる。
まず、島の北寄りに雪山がある。これはヒマラヤのことである。
この雪山の北に池(無熱悩池)があり、この池がガンジス河、インダス河、
オクサス河、シーター河の共通の源になっている。
だが、現在我々の地図では、この4つの河は同一の源泉からは流れていない。
しかし、この4つの河のそれぞれの上流を延長すると、それらがほぼ交わる点に1つの大きな湖がある。
マナサロワル湖(チベット名 マパム)である。
もしかすると昔はマナサロワル湖も大きくて、本当に4つの河の共通の源になっていたのかもしれない。
たいていの宗教的宇宙観は、その宇宙のどこかに地獄をもっている。
地獄はインドの言葉「ナラカ(naraka)」の意訳である。仏教が中国に入る前、
「地獄」という言葉は中国にはなかった。ナラカの音訳は奈落迦、奈落(ならく)である。
ナラカを中国語に翻訳したとき地獄という言葉ができた。
現代も、舞台の床下の奈落として残っている。
地獄の数、種類、大きさなどについて、さまざまな経典がさまざまの説を述べている。
ここでは「倶舎論」を中心に説明する。
まず、八熱地獄がある。この8つの地獄は重なりあって贍部州(せんぶしゅう)の下に存在する。
上からその名前を列記していくと次のようになる。
等活とうかつ Samjiva
黒縄こくじょう Kalasutra
衆合しゅごう Samghata
号叫ごうきょう Raurava
大叫だいきょう Maharaurava
炎熱えんねつ Tapana
大熱だいねつ Pratapana
無間むけん Avici
これらそれぞれ立方体をなして、縦に積み上げられている(地下深く層をなしている)。
最上部の「等活地獄」というのは、罪人が責めさいなまれて死んで?も、
再びよみがえって暫しの生きごこちを味わうことができる地獄であり、
この点で、一瞬の休みもなくさいなまれつづける最下層の地獄「無間地獄」と
対照をなす。
「無間」というのは、「苦しみが間断なく」という意味である。
地獄はこれで終わりではない。どの熱地獄も四壁面に1つずつ門をもっていて、
1つの門ごとに次にあげる4種の副地獄がついている。
八熱地獄全体では結局128の副地獄をもつことになる。 8*16=128
塘(火偏)畏(火偏)(とうい)副地獄
死糞(しふん)副地獄
鋒刃(ほうじん)副地獄
烈河(れっか)副地獄
塘(火偏)畏(火偏)副地獄では熱した灰の中を歩かされ、
死糞副地獄では死体と糞の泥沼につかり、ウジ虫に骨をうがたれ、髄をしゃぶられる。
地獄はまだ終わりではない。さらに八寒地獄というものがある。
これも贍部州の下、大地獄(熱地獄)のかたわらにあるという。
その種類は次のとおりである。
安(安に頁)部陀 あぶた Arbuda
尼刺部陀 にらぶだ Nirarbuda
安(安に頁)折(口偏)陀 あたた Atata
霍(肉づき)霍(肉づき)婆 かかば Hahava
虎虎婆 ここば Huhuva
温(口偏)鉢羅 うはら Utpala
鉢特摩 はどま Padma
摩訶鉢特摩 まかはどま Mahapadma
第3,4,5の地獄の名はみな苦しみの声の擬声語である。
すなわち、罪人は寒さのためにそれぞれの地獄で「アタタ」、「ハハヴァ」、「フフヴァ」
という悲鳴をあげるのである。
これらの地獄は、いっぺんにできあがったものではない。長い時間をかけて、
学僧たちが徐々に考え出したものである。
地獄などを考えた学僧は、仏教の僧侶だけに限らない。地獄の観念は、インド人
全体に共通の思想的所産である。ジャイナ教にもヒンズー教にも似たりよったりの
地獄のリストがある。
学僧たちはゆっくり時間をかけて、ありとあらゆる残虐な刑を考えだした。彼らは聖者
(仏教でいえば阿羅漢)であって、自分たちはそのような地獄とは無縁であることを
知っている。それにもかかわらず、あのように詳しい地獄の責め苦を考え出すのはなぜか。
彼らは答えるだろう。庶民のためである。庶民に警告を発し、正しい道を歩ませる
ためであると。
しかし、学僧の中には、地獄の姿を想像することによって、ひそかに嗜虐的な喜びを
味わっていたものもいたのではなかろうか。
オーストリアのインド学者ヴィンテルニッツは、ジャイナ聖典の地獄のリストを
「サディステイック」といっている。
地の下に地獄があるとすれば、地の上には天界がある。
なお、仏教で「天」というとき、それは「空」sky とか heaven という場所を表す言葉ではなく、
生きた存在としての神 god を意味するということである。
たとえば帝釈天(たいしゃくてん)とか梵天(ぼんてん)というように。
「天」の原語は deva である。これはラテン語の deus と同じ言葉である。
2つの言語はともにインド・ヨーロッパ語に属する。
「天」が神を意味するのに対して、「天界」は空間を意味する。
さて、おびただしい天がいる。仏教の世界観は多神教である。
まず、下界に住む天とその住所から説明していこう。須弥山の、水上に出ている部分は
正立方体で、どの辺も長さ8万由旬である。その立方体の下半分が四天王とその手下たちの
住みかである。
この住みかはいわば4階だてである。水面から1万由旬の高さのところに、四周に張り出した
ヴェランダのごときものがある。1万6千由旬そとへ張り出しているという。
このヴェランダから、さらに1万由旬たかいところに、次のヴェランダがある。
これは8千由旬だけそとへ張り出している。
さらに1万由旬たかいところに、次のヴェランダがあって、4千由旬だけ張り出している。
さらに1万由旬たかいところに、次のヴェランダがあって、2千由旬張り出している。
上のヴェランダほど内へひっこんでいるのは、今日騒がれている「日照権」の問題を
連想させて面白い。
一番上のヴェランダには四大天(四天王)とその身内が住んでいる。
四天王とは、東方の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天(毘沙門天)である。
四天王の手下たちの住みかは、下の3つの階である。
しかし、彼らの手下たちはこのほかに、持双山など7つの山脈や、太陽や月(須弥山の
中腹と同じ高さを回転している)などにも植民している。
次に須弥山の頂上に「三十三天の住みか」がある。須弥山頂上の中央に
「善見げんけん」という名の都城がある。一辺の長さ2500由旬の正方形で、
高さ1由旬半である。建物は金ででき、地面は綿(雲?)のようなものでできている。
この都城の中央に殊勝殿(しゅしょうでん)という、一辺の長さ250由旬の正方形の
宮殿がある。種々の宝石で飾り立てられ、他の楼閣の追従を許さない。
この殊勝殿こそ三十三天中の第一人者、帝釈天(たいしゃくてん)の住みかである。
これまでに天上、地上、地下の世界を説明した。ここまでは他の宗教的宇宙観と
共通する点が多いであろう。しかし、神々の世界の上に禅定者(ぜんじょうしゃ)
の世界をおくのは仏教独特の思想であろう。
これまで述べてきた世界が「欲界よくかい」と総称されるのに対して、この禅定者
の世界は「色界しきかい」と「無色界むしきかい」の2つからなる。
仏教で「色しき」というのは、決して人の色情を刺激するような概念ではない。
それは「かたちあるもの」の訳語であって、変壊質礙(へんねぜつげ)
(変化し、壊れ、一定の空間を占めること)という性質をもつものを意味する。
だから、色界というのは、「かたちを有するものの住む世界」のことである。
「色即是空」という言葉の意味も、「愛欲はむなしい」の意味ではなく、
「かたちあるものはむなしい」という意味である。
「かたちを有する」ということは、すでに述べた欲界にも通ずる条件である。
それにもかかわらず、色界というときは、欲界を除外することになっている。
したがって、色界の生き物は欲望を脱し、ただ肉体を残すのみである。
このような世界には、禅定を行うものが入りうる。仏僧や、われわれでさえも、
禅の道を究めれば、神々の世界より高いこの世界にのぼりうる。
そして無色界がある。無色界というのは、かたち(色)のない世界のことである。
いわば精神のみが存在する。したがって、無色界は色界の上にあるというわけ
にはいかない。それは「方処ほうしょ」を超越している。だから宇宙観の一部とは
いいながら、無色界の説明はまったく空間の概念を離れてしまう。
ここで禅定(ぜんじょう)とは何か、私宮本なりの理解を書いておく。
非常に難解な内容なので、思考活動も疲れているが、次のように考えました。
「禅」とは静慮であり、「寂静じゃくじょう」と「審慮しんりょ」の2つ要素を
備えている。
「定」はこのうちの「寂静」の要素が増したものである。「定」は、広い意味では
すべての精神統一を意味し、禅をも含む。「定」はインド語 samadhi を意訳した
もので、音訳は「三昧」である。三昧は小乗仏教、大乗仏教を通じて終始重視された
修行項目である。
つまり禅定とは、座禅をくんで瞑想にふけることだと考える。
もろもろの仏教的世界観を知ると、
さらに、仏の居所はどこかという疑問がおきよう。「仏国土」はどこか。
実は「倶舎論」の宇宙論には、「仏国土」というものはない。それは大乗仏教の
生み出した別の観念である。
それでは、「倶舎論」の宇宙論では、仏はどこにいるのか。おそらく、無色界の
さらに上にいるのであろう。古い須弥山図をみると、仏は無色界の上に描かれている。
しかし、正しくは無色界と同様、仏の世界も空間を超越していると考えるべきであろう。
いままで述べてきた欲界、色界、無色界をまとめて「三界さんがい」と呼ぶ。
つまり、有情が生存しうる三種の世界である。「三界」は「全宇宙」というような
意味でよく諺に用いられる。「子は三界の首かせ」とか「三界に家なし」とかいう
ように。
仏教的宇宙観の底を流れているものは、業と輪廻の思想である。
輪廻という言葉は、迷える世界での生死のくりかえしを意味する。
生死のくりかえしは、5種あるいは6種の生存状態の間で行われる。
「倶舎論」では、衆生(生きもの)のゆくところとして「五趣ごしゅ」(5つの
生存状態)、すなわち、地獄、餓鬼、畜生、人間、天の5つを挙げている。
「倶舎論」は「説一切有部せついっさいうぶ」という部派に属する書物である。
ところが他の部派は「六道ろくどう」(6つの迷える境界)、すなわち
地獄、餓鬼、畜生、人間、阿修羅、天の6種類の世界をあげる。
この二つの説は互いに他の説を斥けようとしている。
いずれにせよ、後世に流行したのは六道のほうであった。
「生まれかわり」の思想はブッダの伝記にも反映している。
仏は何度も前世をくりかえし、修行をつんで完成者として現れるのだ。
仏典のうちに前世物語(本生譚)というのがあるが、これは仏が前世で
どのように数々の功徳をつんだかを述べたものである。
それによると、仏は前世で猿や鹿になって生まれたこともある。
輪廻の思想とともに重要なのは、業の思想である。
業はインドの言葉カルマまたはカルマンの訳語であって、「行為」を意味する。
そして、それとともにその行為のもつ影響力をもさす。行為といっても単に
身体の行為だけでなく、言語行為と精神行為も含まれる。また影響力というのも、
単に一生の間おこりうる影響力だけでなく、来世にまでつづく影響力も含まれる。
業の作用は自動的に働くものである。決して神のごとき裁定者の介入を必要と
しない。よい原因をつくれば、よい結果が生まれ、悪い原因をつくれば悪い結果
が生まれる。これは自然法的な法則である。
自業自得という言葉があるが、これは自分がおこなった行為の結果を自分が
受ける、ということを表している。だから、仏教では「罰せられる」とか
「地獄におとされる」とかは言わない。「報いを受ける」のであり、「地獄に
おちる」のである。
「まだ苦を受け足りない衆生は他の世界の地獄へ移される」のも、やはり自業自得
なのである。
今まで述べてきた宇宙観は、主に「倶舎論」にもとづいたものである。
この宇宙論を便宜的にここでは「古典的宇宙論」と呼ぶ。仏教が教団的に最も安定した
ときに、完成した宇宙論という意味である。
それに対して、これから述べる地獄と極楽の思想は、教義として新しいものである。
仏教が分裂しはじめてから現れた思想であり、特定の部派にしか存在しない。
今日われわれは、地獄と極楽を対にして(セットにして)考えている。
しかし、地獄に関してあれほど詳しく述べた「倶舎論」は、極楽については一言も
いってはいない。地獄と極楽とは、我々が想像しがちのような、最初から対で考え
だされたものではないのだ。
極楽の説明をはじめるまえに、まず「娑婆世界」を説明しておこう。
娑婆世界とは、我々の住むこの世界をいい、釈迦出世の舞台となり、教化活動の
対象となった世界である。
つぎに「仏国土」を説明する。宇宙にはたくさんの仏がいて、それぞれ固有の
国土を所有して、教化にあたっている。その国土は「仏土」とも「浄土」とも
呼ばれる。
その代表的なものは薬師如来の「浄瑠璃世界」、阿弥陀如来の「極楽浄土」である。
また仏土ではないが、仏土に似たものとして、観音菩薩の
「補陀落(ふだらく)山(せん)」(インドの南方海中にあるとされる)がある。
これらの浄土の中で、のちに断然有名になるのが極楽浄土である。
「仏土」は大乗仏教において生まれた概念である。「倶舎論」では、すでに説明した
ように、仏は三界から脱出して無に帰している。この完全に無に帰すること
(無余涅槃むよねはん)が、小乗仏教のめざす最高の境地である。彼らにとっては、
仏がまた形を有し、仏国土にあって活動するということは考えられない。
ところが、大乗仏教では、仏たちは仏国土の建設をめざして修業し、仏国土を
建設しおえたなら、迷える衆生(しゅじょう)をそこに導きいれるために
永遠に活動を続ける。
では極楽浄土はどこにあるのであろうか。三界の中にあるというのと、外にあると
いうのと、2つの説がある。このように意見が分かれているのには理由がある。
三界は古典的宇宙観の説であるのに、仏国土はその宇宙観には説かれていなかった
のだから。
しかし、娑婆からの極楽の距離および方角に関しては、「西方へ十万億仏国土を
すぎたところ」という一致した見解がある。ここから「極楽浄土」の別名として
「西方浄土」が生まれてくる。
極楽とはどのようなところであろうか。そこは、その名の示すとおり、
極めて楽しいところである。この世のような苦しみは一切ない。
そして、そこは言い尽くせないほど美しいところである。七宝で飾られた池や楼閣
がある。美しい鳥たちがいつも美しい声でさえずっている。
そして、この国には阿弥陀仏とその阿弥陀仏につかえる観音・勢至の二菩薩がいて、
そのもとに、信心によってそこに生まれ変わった有徳の人たちがいる。しかし、
それらはみな男性である。前世で信心のあつかった女性もここに生まれかわって
いるのだが、彼女らは男の姿にかわってしまっている。というのは、女性というのは
劣悪で不幸な性であるので、極楽ではすべてが幸せでなければならないという
観点から、女性は男性に変えられているのだ。
だからと釈迦はいう。みなこの国に生まれようと願をたてなさい。そこでは有徳の
人たちと一緒になれるのだから。だが、その国に生まれるのには、わずかな善行
では足りない。阿弥陀仏の名を念じて、一日、二日、三日、四日、五日、六日
もしくは七日、一心不乱に努めるなら、その人が死ぬときに、阿弥陀仏はもろもろの
聖者とともに、その人の前にやってきてくれる。その人は死に臨んでも心みだれる
こともなく、極楽浄土に迎えられるのである。
参考文献 定方晟(さだかたあきら):須弥山と極楽、講談社現代新書330