谷沢(たにざわ)永一氏の本の紹介です。
この本はエッセイという分類だが、自分の半生をふりかえって「うつ病」の体験記
を書いたものです。
この本の内容を非常に簡単に紹介しましょう。
悩みをかかえている学生を救えないかと考えている人には参考になりそうです。
他の病気の場合は、検査機器を使って診察を行い、なんらかの数値を探り出すが、
神経科の場合はそうした検査のしようがない。
もっとも、これからの医学や測定器の進歩によっては、新しいデータがとれる
ようになるかもしれないが。
神経科は質疑応答が成立しにくい。
個々の患者のケースにもよるので普遍的な説明が困難であろう。
また、具体的な怪我とか目に見える病根を認めにくいから。
確かに自動車事故でムチ打ち症状になっても、レントゲン写真ではわからず
本人の自覚症状で判断する医師がいるから。
薬に副作用はつきものである。しかも、個人差がある。
他の人には良い薬でも、別の人には副作用があって中止した方がよいケースもある。
これは、他の病気でも薬の副作用を考えるのには役に立つ話である。
うつ病になるタイプは、真面目で、こだわりをもつくらい熱心に仕事をして、
良い成果をあげる人間に多い。
したがって、そういう真面目な人間が納得のゆくいい仕事をすると、
その疲れで「うつ」になることがある。
この本の作者などは、まさにそういうタイプの人間でしょう。
そういうときに、本業から離れた仕事がうつを救うということを体験的に発見した。
本業の場合には、真面目に仕事をしてミスも許されないから、
気を抜けずただ疲れてしまう。
本業でない仕事は、気負いもないから、気分転換になる。
(脳の別の部分を使うから、疲労が重ならないし、本来の疲れた部分に良い刺激を
与えるのかもしれない)
うつのときは、転職とか退職など大きな決断をしてはいけない。
同様に、うつのときは自分のした仕事の結果を冷静に評価できないことがある。
後から考えると高い評価を与えられる仕事でも、うつのときは自信がなく
それをボツにしようとさえ考えたことがあると作者は書いている。
うつのときは、どうしても気が弱くなるのであろう。
うつは治るが再発する。
うつの原因としては、(1)体質(2)精神的ショックと過労 の2つがある。
要するに遺伝的な素質と、後天的な経験によるものである。
この本の作者は、旧制中学校で回りの同級生との学力差に圧倒され「うつ」に
陥った体験を書いている。
うつの時は、明るい本を読むのがよい。
間違っても深刻な本を読んではいけない。
気分転換の旅行もいいようである。昔の「方違(かたたがえ)」も意味があるのかもしれない。
うつのときは、「人生の一時休止」と考えて、充電期間とわりきればよい。
体とくに頭が休みたいと訴えているのだから、人生の休養をとればよいのだ。
マラソンをしたら足腰が疲れるので
マッサージをしたり休養したりするが、精神の疲労はそういう状況が
なかなか目に見えないものだから、これまで対応が遅れたのであろう。
うつの人は(疲れたとは自覚せず)自分がなまけものだと思うことがあるが、
決して自分はなまけものだと思わない方がよい。
真面目に働きすぎただけなのだから。
うつの人の家族はどうしたらいいか。家族の役割は大切です。
うつの人を、決してなまけものだと思ってはいけません。
なまけものだと口に出してはいけません。あなたは疲れているだけ
休んで元気になったら、またもとのように働けるようになる、と言えばよいのです。
学生がうつの症状をみせたときも、なまけものだと思わない方がよい。
真面目に勉強して疲れたのだと思えばよいのでしょう。
几帳面、完全主義というタイプが、うつになりやすい。
ちゃらんぽらん、無責任タイプはまちがっても、うつにはならない。
しかし、ものごとは考えようで、真面目できちんとした仕事をする人が
人からも認められ、あてにされたり抜擢されたりするのである。
理想的なことをいえば、真面目さを要求されるときは真面目に仕事をして、
手を抜いてもよいときはそれ相当の仕事をするとか、休むという臨機応変の
対応をするのが理想であるが、これはなかなか難しいことである。
きちんとした仕事ぶりと、状況によっては認められるいいかげんさ、この両方を
巧みに使い分けできる人間がいたらすばらしい。
この谷沢先生は、うつ状態になったら何も仕事ができなくなる。
つまり、専門の論文も評論も書けなくなる。教授休眠。
しかし、学長選挙などには(別の仕事だから)張り切って取り組めるらしい。
学閥退治をした武勇伝が語られているので、この先生の教授生活は自慢できる
ものだったのでしょう。病気をもちながら高い能力できりぬけたのでしょう。
日本近代文学の批評活動が谷沢先生の専門でした。