コンプレックスの例 その2

独占コンプレックスに気がつかないアメリカ人夫妻

ある知的なアメリカ人夫妻がいた。すでに子どもたちは結婚して独立していた。
淋しくなった夫妻は、日本人の女子学生を下宿させることにした。
この夫妻の子供たちは、実は両親が内心望んでいたのとは異なるような相手を選んでいた。
しかし、「子供の個性、その判断は尊重されるべき」であるといって、両親はそれを許し、
彼等とも明るくつき合っていたのだった。

日本人留学生はそれを見て、日本の親の余りにも干渉的なことと比べて
とても素晴らしいことと思った。
また、アメリカ人夫妻も、アメリカ人がいかに子供の個性を尊重するか、
いかに合理的な判断に基づいて、感情的な反応を抑制するかを彼女に話したのだった。

ところが、この留学生が恋愛を始めるやいなや、この夫妻が猛烈に干渉を始めたのである。
もちろん、それは「合理的判断」に基づいているものではあったが。
彼女はアメリカ人のボーイフレンドをつくってはいけなかった。
つまり、国際結婚は余りに難しいことだから。あるいは、アメリカの若い男性には
余り彼女にふさわしいのがいる筈がないから。
(このとき、夫妻の娘の配偶者の好ましくない点が引き合いに出された。)
そして、ついには、夫妻は自分たちで彼女にふさわしい日本のボーイフレンドを探して
あてがおうとした。
そして、それは「彼女の判断力が未だ未成熟であるため、自分達が援助してやるべきだ」
という合理的な理由がついていた。

これは、日本人の彼女がこのアメリカ人夫妻の子供の代償となっていることは、
他人には明らかである。ただ、当人のアメリカ人夫妻は前述のような合理化を行なって、
それに気がついていないだけである。

彼等は自分の子供たちに不本意な結婚を許したときに失ったものを、
日本人の彼女から得ようとしているわけである。
このようなことは河合先生によればよく見られることであるという。

当人はむしろ迷惑がっているのに、それを勝手に心理的な息子や娘に見たててしまって、
親切の押し売りをしている人がいる。こんな人は、自分自身の子供たちに対しては案外
冷淡であったり、無関心であったりすることが多い。

このアメリカ人の例において、もし、ここで日本人の女性などが下宿人として現われ
なかったら、彼等も子供に対する独占コンプレックスのようなものを味わわずに
すんだのではなかったろうかという考えも成り立つ。
アメリカ人と異なって、日本人の女性というものは独占コンプレックスを刺戟する力が
強いものである。
だから、この場合の原因は日本人女性の側にあり、そのためにこの夫妻はしなくても
よい経験をさせられたのではないだろうか。

しかし、別の考え方もできる。
つまり、この夫妻は子供に対する独占コンプレックスを無理に抑圧し合理化して
すごしてきたが、これから老境にはいるというときになって、それがだんだんと
おさえられなくなってきた。
といって、子供たちをその対象とすることは不可能である。
そこで、そのような対象として最もふさわしい日本人の女性を下宿させるということを、
無意識のうちに計画したのではないか。
つまり、この話の原因は、夫妻のコンプレックスの方にあるという考えもできる。

河合先生は、「一体真の原因はどちらか」など追求することはないという。
この際、どちらが原因かは大切なことではない。
むしろある人間の内界のコンプレックスと、その外界の事象との間に見事な布置が
できあがっていることが重要なのだ。

この外界と内界の状況の不思議な呼応性には、全く驚かされることが多い。
このようなとき、その原因は不問として、布置が形成されているという事実に注目すべきである。
そして、そのような布置の意味を知ることに、自我は努力を払うべきである。

このアメリカ人の方の自我を例にとれば、
これから老境にはいるというときに、ひょっと現われた異国の娘に対して、
これ程までに独占欲をかきたてられること、そして、これに比して自分達の子供に対して
は、むしろ無関心といってよい程の態度を示してきたこと。
これらについて考えを深めるとき、この人の自我は今までは合理的に考えて生きてきたが、
自分の子どもたちも日本人の小娘も保護したいという素直な気持ちにめざめ、
内面でコンプレックスとなって、結果的に日本人女性に対する親切がましい押しつけ
となったのである。