梵字

ブラフマー(梵天)が作ったといわれるブラーフミー文字。
アショーカ王の時代には、この文字はダンマリピーとかダンマディピー
と呼ばれていた。
後の文献では,ブラーフミーとされた。これは、この文字の起源を
ブラフマンの創造にして神聖化したようである。

4世紀から6世紀にかけて、この文字は南北両系に大きく分かれた。
北方系の文字(グプタ文字)から、6世紀ごろ派生した文字が
シッダマートリカー文字である。10世紀にかけて、ガンジス川中流域、
東インド、西北インドさらにカシミールにおよぶ地域に普及していた。
この文字から現行のナーガリー、ベンガル、シャーラダー文字などが
派生した。

シッダマートリカー文字は仏教の伝播とともに国境を越えて、
中国、日本に伝わり、梵字あるいは悉曇(しつたん)文字として知られる
ようになった。

中国、日本では、字形、音韻、字義を集大成する悉曇学が成立した。
日本語の五十音図の成立にもかかわったといわれる。
墓標、卒塔婆、五輪塔や護符に刻まれたり書かれたりした。

法隆寺蔵貝葉(ばいよう)写本「般若心経」の悉曇文字はこの文字の古形
である。この写本は現存の古い貝葉写本を代表して貴重なものである。
法隆寺に保存された梵字の写本は日本の宝である。

一方、インドで9世紀ごろより広く普及し始め、10世紀以降
シッダマートリカー文字に取って代わるようになったナーガリー文字は
デーバナーガリー文字として神聖化され、やがて19世紀に
サンスクリットもこれで表記されるようになった。

梵字は今では発祥の地インドでも無くなってしまった。中国にも遺跡として発見されるだけ。
日本には、法隆寺に伝わる梵字の「般若心経」が残っているが、弘法大師に
よって中国から伝えられ、天台宗では今も使われている。
したがって、日本にのみ、生きた梵字が残っているというわけである。
これも私の説、化石の国日本を証明するひとつの資料である。

宗教のページの始めに戻る