これは
岩手大学情報処理センター報告 ΣSIGMA 7号の原稿です。
岩手大学のインターネット構築の歴史を簡単にまとめて紹介しています。
同様のものを日本工学教育協会誌にも載せましたが、こちらのSIGMA の原稿は
具体的に仕事をしたメンバーのことを書いています。
日本工学教育協会誌には査読者の意見にしたがい、他の大学のインターネット構築の参考になるよう
客観的作業は書きましたが、活躍した委員の具体的名前は書かないで客観的透明的な記述にしました。
SIGMAに投稿した私の動機も、苦労された委員の皆さんのことを活字にして残しておきたいという
ことにあったのです。

この原稿は当時の関係者とMLで作りました。したがってオリジナル原稿は保存していなかったから、
SIGMA誌から学生部のOCRとソフトを使って文書ファイルを作りました。
お世話になった学生部の箱崎さんに感謝申し上げます。

.......................................

岩手大学にインターネットが実現するまでの歴史

                        工学部建設環境工学科 宮 本   裕

 平成2年12月ころ、次期システム(この年報が出る頃はまだ嫁働しているシステム)案について文部
省とのヒアリングで、ネットワークが弱いことを指摘され、できるだけ近い将来ネットワーク構築を目
標とすることにしました。この目標を岩手大学のみんなが、いかに努力して実現していったか、それを
述べたいと思います。      

 現在はインターネットが普通に使われるようになって、これがあたりまえと思っている人が多いので
すが、実はこの便利なインターネットが関係者の血のにじむような苦労の上に作られたことを、記録に
残しておいたほうがよいと考えます。それが、この文章を書くきっかけでした。

 インターネットが簡単に使えないと、研究者はどういう苦労をして研究して論文を国際雑誌に投稿し
ていったかという一つの例は、泊4号に花見先生が書かれた「コンピューターとのお付合いで論文が
できるまで」を読むとわかります。国際電子メールを送るには、岩手大学情報処理センターからNlで
インターネットのサービスをしている大型計算機センターに接続して、そこから電子メールを送るため、
休日には使えないし、他の大学の計算機センターと接続しないといけないのでなにかと不便である、こ
のままでは世界の情報に遅れるから早く何とかしてほしいというのです。そういうインターネット要望
の声は、外部から岩手大学に赴任して来られた若い先生方には特に強いものでした。

 私ごとながら、岩手大学でそういう不自由をしながらも、国際電子メールを使ったり、パソコン通信
で掲示板に書き込む体験をしたりして、コンピュータネットワークの体験をした報告を泊5号に「コ
ンピュータ通信」として載せました。このときのパソコン通信等の体験は、後に岩手大学で本格的なネッ
トワークができるときに考えるヒントになり役に立ちました。また実際のところ、岩手大学がインター
ネット網に接続されない時に、全図の情報処理センターの関係者と事務連絡をするのに、大型計算機セ
ンターやパソコン通信などの電子メールは役に立ったのです。岩手大学がIP接続されていなくても、
連格の電子メールを送るてだてがあったのは助かりました。

岩手大学のインターネットへの具体的な道の始まりは、今から4年以上前にさかのほります。平成3
(1991)年3月8日の第32回運営委員会で次期システムの最終仕様書が承認され、4月10日の管理委員
会で最終仕様書が承認され、6月21日に入札書に対して技術審査が行われたのです。平成3(1991)年
6月提出のコンピュータ・システム導入計画つまり7月から12月までのスケジュール(日立製作所より)
が、記録として残っています。しかし、この新システムはネットワークが弱いという文部省の指摘もあ
り次の4年後までにネットワーク強化をはかることが岩手大学の情報処理センターを中心とする関係者
の課題でした。     

 7月12日の第35回運営委員会記録によると、農学部と工学部の委員からイーサ・ネットの希望が多く、
ダイヤリングセットの希望が少ないので、検討が必要との中間報告があったことが報告されています。
そして、イーサー.ネットのユーザ負担について質問があり、ノードのゲートウェイから端末までがユー
ザ負担であり、配線に要する経費は1000円/mとのことでした。新システムは機器の入れ替えであり、
新設ノードはシステム更新予算でまかなえましたが、各部局の建物内に引くイーサーネットは予算に入っ
ていないので、イーサネットの工事費などは学部で負担しなければなりませんでした。

 そして学内のネットワークも作らなくてはいけませんので工学部、農学部、教育学部、人文社会科学
部でそれぞれ各建物の一部に配線をしました。工学部の場合も百数十万円くらいかかりましたし、農学
部も同じくらい出費があったはずです。今となっては思い出ですが、私は工学部の情報処理センターの
委員の吉澤先生や船崎先生がネットワークを張ることを計画したので工学部長の佐藤淳先生にお願いし
て、なんとか予算をとっていただくようにしました。

 そして、農学部とも連絡をとり、太田義信先生、廣間先生と直接交渉しました。あの日は雪の降る日、
膝井克己先生のいる建物の1階の実験室に廣間先生を訪ねて行ったことがあります。その結果、工学部
がネットワークを張るのにあわせて、関係者の努力で農学部にもネットワークを張ることが実現するこ
とになりました。結局、同時に2つの大きな学部がネットワークの自助努力をしたので、教育学部は当
時の教育実践センターの予算で一部のネットワークを設置し、人文社会科学部も自然科学の先生方が自
分たちの研究室回りをネットワーク化しました。

 運営委員会の記録など見ながら確認します。平成3(1991)年10月28日 阿部先生・吉澤先生・千葉
(正克)先生より工学部イーサーネット幹線路の設置費用201万円を工学部にお願いしたいという文書が
あり、この後、工学部予算委員会や教授会で審議の上工学部イーサーネット幹線路の設置が実現したの
です。

 学内のLANはなんとかできたが、学外のインターネット網につなげないといけません。平成4(1992)
1〜2月の資料で学外とのIP接続の計画が計られています。すなわち本学もSINETあるいはJAINとIP
接続をするべきという提案です。盛岡-仙台で64Kbpsの場合26万円/月の専用線を利用して、東北大学
と接続する場合は、Sunのワークステーションを用意することを計画しています。こういうわけで、関
心ある委員の手によってインターネット計画は着々と進められていきました。

 さて、インターネットを使うには世界に1つのユニークな住所がないと世界中からの電子メールが届
きません。電子の住所が岩手大学に必要なわけです。平成4(1992)年2月5日 第9回情報処理セン
ター技術専門委員会議事録によるとかねてより東北大学電気通信研究所亀山先生を通じてIPアドレスと
ドメイン名取得を依頼していたが(1991.12.26申請)、ドメイン名が取得できた旨通知があった。しか
し、なかなかIPアドレスが得られませんでした。(これは中央で、インターネット世話人の団体が管
理していて東北大学経由で申し込んでも1年以上待たされた記憶があります。ただし記録を見ると、書
面で申し込んで半年後にIPアドレスも獲得したことになっています。)

 結局は毎年東京で集まる全国国立大学情報処理センター連絡協議会で世話人の先生に会って直接お願
いしたら、1週間もかからないうちに岩手大学に知らせが届きました。この時は情報工学科の阿部芳彦
教授が同行してくださいました。この全国国立大学情報処理センター連絡協議会は文部省からも参加が
あり、耳寄りな情報が得られるので、毎年私の他どなたか運営委員の先生も一緒に出席してきました。
このときは、平成4(1992)年6月2日 第8回国立大学情報処理センター協議会総会(東京水産大学)
にて山梨大学林英輔情報処理センター長にお願いしたらすぐIPアドレスがいただけたというわけです。

 それから、もともと外部のネットワークの設備がなかった情報処理センターに(Nlという通信方式
だけはありましたがこれは図書館データベースや入試データの転送に使ってインターネットに対応する
ものではありませんでした)、新システムで導入されたUNIX用のWSを東北大学との間のIP接続をする
メールサーバとして使用することになりました。これは、いわばインターネットの試験運用ともいえる
ものです。このときのIP接親に関する専門委員として、情報工学科主任教授の三浦守教授から平成4年
(1992)11月27日付けで情報工学科の佐藤信助手を推薦するという回答文書をいただいています。業務
が終わったら速やかに専門委員の役目を解除するようにとも書いていました。実際にはその1年前から
佐藤先生には仕事をしていただいていますし、IP接続できたのは1993年8月中ことです。

 こうして細々と自助努力によるインターネットへの道を歩き始めたとき実は全国的にもインターネッ
ト化の道を推進する動きが現れはじめました。一昨年(この原稿は平成7年暮れに書きはじめました)
の4月の工学部教授会のとき、突然私と阿部先生が本部に呼び出され、文部省から問い合わせがあった
のです。岩手大学にインターネット対応の設備の予算を付けたいが、岩手大学は意志があるか、また学
内の準備体制はどうかというものでした。この件について少し前から、岩手大学でも計画していたので、
それではとばかり積極的な返事をしたのです。それから1カ月阿部先生は大車輪で資料をまとめました。
その結果、阿部先生のアイデアですがマルチメディア構想をうたったので、学内LANが実現した時、
電話交換機も新しくなり、農学部の研究室にも念願のFAXは付けられ、新しい教官がいくら増えても
電話は確保されるようになりました。これはインターネット化の副産物でしたが、あれから仕様書作り、
導入の委員会な現在まで続くネットワークの維持管理の委員会がたくさん作られました。

 記録をまたひっぱり出します。平成5(1993)年5月10日の第51回運営委員会記録によると、平成5
年度の補正予算の概算要求をした学内基幹LANについて仕様書策定準備委員会を設置したいとの報告
がセンター長からあり、6月2日に第1回の基幹LAN仕様策定準備委員会がありました。

 ネットワーク作業会の皆さんの苦労も書いておきましよう。 
平成5(1993)年11月4日から平成6(1994)年6月21日までキャンパス情報ネットワーク作業部会が
設置され、20回以上も会議を開いてネットワーク導入に関する諸事項の検討及び諸作業を行い、学内L
ANを平成6年4月1日に稼働させました。このネットワーク作業部会の会議も、日立の会社に残って
いる会議資料では、12月2日が正式な第1回目の会議で、11月の時点では計画書など会議の準備資料の
打ち合わせをしたことになっています。日立の正式な会議資料は15回分まで記録に残っているそうです
が、委員の皆さんの印象は20回以上おそらく30回くらいしたということです。なにしろ忙しい時は毎週
していましたもの。いちおう私も毎回つきあいました。鈴木先生からの資料によると、ネットワーク作
業部会の仕事は一言で言うと、「岩大ネットワークの構築」です。このために、

  ○ネットワークの論理的な設計(時間がかかった)
    IP,AppleTalk,IPXネットワークのアドレス体系を決め,ルール作りを行なった.
  ○物理ネットワークの設定(設定量が多かった)
    ルータなどネットワーク機器の設定を決めた
  ○ネットワークサービスの立ち上げ,(これが一番大変だった)
    named,mail,news,CS/modem
  ○サーバマシンの設定,維持管理
    msvの各種設定.host,user登録
  ○望ましいIP接続の実現
    topicからの要請に沿った接続の実現
    回線速度up(64K→512K→1.5M)
をしたのです。

 こうして書けば簡単ですが、実はとんでもなく大変な仕事で、しかもまずかったら結果は目に見えます
から、関係者の先生方の苦労は、それはそれは大変なものでした。教育や研究にあてる時間をネットワー
クの世話にさかれるだけでなく、いつ起きるかわからない回線障害や届かなかった電子メールの苦情な
どに対する不安をいだいて仕事をするのは気持も疲れるものですから。

 さて、学内LANと世界にのびるインターネット網は使えるようになりましたが、自分の端末をつな
いで自由にネットワークを使うためには、しなくてはならないこと、つまりどういう機材を揃えたらい
いかというハードの問題、さらにどういうソフトプログラムが必要かという問題があるわけです。そう
いうわけでマッキントッシュ系はイーサー・ボードの世話を船崎先生が、そのフリーウェア(電子メー
ル、ネットニュース)の世話を梶原先生がしてくださいました。PC98系のイーサー・ボードの世話は
吉澤先生が、使いやすいフリーソフトについては西館先生が中心になって世話してくださいました。

 岩大のネットワーク整備の経過は、LANの構築→LAN間接続(学内LANの構築)→インターネッ
ト接続→学内基幹ランの構築(FDDI)→ATMとなって、ネットワークの発達の歴史が岩大でも繰
かえされているわけです。これは重要なことです。必要に応じて下から作っていった物は、強固だと思
います。(鈴木先生のコメント)

 平成5(1993)年12月22日に第1回情報処理システム準備委員会が開催される。この準備委員会の答
申にもとづいて、岩手大学情報システム委員会が作られ、第1回の委員会は平成6(1994、年8月5日
に開催されました。そして、この委員会にもとづいて、キャンパス情報ネットワーク(学内LAN)の
運用は情報処理センター情報システム委員会(平成6年11月設置)と部局情報システム委員会が、それ
ぞれの役割に応じて行うことになった。その結果、情報処理センターの体制強化を図るために平成7
(1995)年11月1日付けで情報処理センターに専任教官(助教授)が採用されましたし、各学部に情報シ
ステム委貞会が作られ、これからは教職員だけでなく学生もネットワークを使う時代に入りました。平
成8年3月には、さらにまた補正予算がつけられて導入されたATMが稼働されます。

 情報システム委員会の専門委員会委員長の佐藤信安教授が、側面から情報処理センター運営の応援を
していただいて、対外接続の問題でも知恵を授けてくださいました。佐膝先生は情報処理センターにとっ
て貴重な存在ですので、ここに感謝したいと思います。

 今後の展望としては、近い将来情報処理センターは総合情報処理センターに格上げすることになるで
しょう。そして、遅くともその時までに現在の組織の複雑さを整理することも必要です。すなわち、情
報処理センターの運営委員会とセンターの情報システム委員会の役割分担、センターの情報システム委
員会と部局の情報システム委員会の役割分担、全学情報システム委員会と情報処理センター管理委員会
の整理統合などです。これらはその時々の時代の要請でできてきた経過もあり、必ずしも整合性がとら
れているわけではありませんので、適当な時期に見直すことが必要と思われます。

 以上とりとめもなく書いてきたインターネットの歴史ですが、記憶の誤りやぬけている部分もあるか
と思います。とりあえずの報告資料なので、内容や項目について皆様のご指摘を受けましたなら、書き
直して、より完成度の高いものに作り上げていきたいと考えています。

 このようにして、みんなで苦労して作り上げたインターネット環境です。
これをよく使って、岩手大学の教育・研究・事務活動などが活発に行われることを念願いたします。こ
れからますます皆様のご支援、ご協力をいただけますことを期待して結びといたします。

   年  表

平成3(1991)年3月8日 第32回運営委員会で最終仕様書承認
        4月10日 持ち回り管理委員会で最終仕様書承認
        6月21日 入札書に対して技術審査
        6月下旬 日立製作所よりコンピュータ・システム導入計画
       10月28日 阿部先生・吉澤先生・千葉(正克)先生より工学部長へ工学部イーサーネッ
             ト幹線路の設置費用の学部負担お願い
       翌年3月までに農・工・教・人社学部で部局LAN設置
       12月26日 岩手大学のIPアドレスとドメイン名を書面にて申請する。
平成4(1992)年2月5日 第9回情報処理センター技術専門委員会議事録によると、かねてより東北
            大学電気通信研究所亀山先生を通じてIPアドレスとドメイン名取得を依頼
           していたが、ドメイン名が取得できた旨通知があった。
        3月までに農・工・教・人社学部で部局LAN設置
        6月2日 第8回国立大学情報処理センター協議会総会にてIPアドレス入手願い、
            1週間以内に実現
       11月27日 情報工学科主任三浦守教授から、IP接続の専門委員として情報工学科の佐
             藤信助手を推薦される。
        12月22日 第1回TOPIC(東北学術研究インターネット)総会
平成5(1993)年5月10日の第51回運営委員会で平成5年度補正予算による学内基幹LANの仕様書策
            定準備委員会設置が決まる。
        6月2日 第1回基幹LAN仕様策定準備委員会
        8月12日 岩手大学−東北大学間のIP接続確認(telnet,ftp使用可)
        9月1日 岩手大学学部LAN間のIP接続確認(NPlOOスタート)
        11月4日から平成6(1994)年6月21日まで、キャンパス情報ネットワーク作業部会
            が設置され、納入業者(日立製作所)を交えて20回以上の会議を開催し、
            ネットワーク導入に関する諸事項の検討及び諸作業を行い、学内LANを
            平成6年4月1日に程働させた。
        12月22日に第1回情報処理システム準備委員会が開催される。
             この準備委員会の答申にもとづいて、岩手大学情報システム委員会が作ら
             れ、第1回の委員会は平成6(1994)年8月5日に開催された。
             そして、この委員会にもとづいてキャンパス情報ネットワーク(学内LA
             N)の運用は、情報処理センター情報システム委員会(平成6年11月設置)
             と部局情報システム委員会が、それぞれの役割に応じて行うことになった。
平成6(1994)年3月31日 学内ネットワークニュース(iwate−u.center等)運用開始
        4月1日 学内LAN稼働、インターネット利用も実現
        4月11日 東北大学とのネットワークニュース配送開始
        11月15日 情報処理センタ−情報システム委員会(第1回)
平成7(1995)年1月13日 東北大学までの専用回線が64Kbpsから512Kbpsに増強
        5月9日 工学部情報工学科にネットワークニュース配送開始
        7月19日 岩手医科大学との間にIP接続の試験運用開始(64Kbps)
        7月22日 TOPIC盛岡NOC(岩手地区のネットワーク接続拠点)になった。
        7月31日 東北大学までの専用回線が1.5Mbpsに増強
        10月19日 岩手県工業技術センターとの間にIP接続の試験運用閑姑(128Kbps)
        11月1日 学内措置で情報処理センター専任教官が配置された。    
平成8(1996)年1月5月 岩手県工業技術センターとの間を光ファイバー(192Kbps)に増強 
        2月7日 宮古短大との間にダイアルアップIP接続の試験運用開始(64Kbpsm INS-C)

    平成5年11月から活動開始した、キャンパス情報ネットワーク作業部会のメンバーは、
    次のとおりです。
                   農学部農林生産学科 庄野浩資
                   農学部  〃     白旗 学
                    工学部情報工学科 阿部芳彦
                  工学部建設環境工学科 宮本 裕
                    工学部情報工学科 鈴木正幸
                    工学部  〃   三輪譲二
                  工学部電気電子工学科 西館数芽
          教育学部附属教育実践研究指導センター 塚野弘明
                    教育学部英語教育 境野直樹
              人文社会科学部基礎自然科学 花見仁史
               人文社会科学部  〃    大西良博
               人文社会科学部  〃    山内茂務

また、平成6年11月から活動開始した、情報処理センター情報システム委員会のメンバーは、次のとおりです。
                   情報処理センター長 官本 裕
                情報処理センター専任教官 吉田等明
                            *
       (ネットワーク担当) 工学部電気電子工学科 西館数芽
                    工学部情報工学科 鈴木正幸
                   農学部農林生産学科 庄野浩資
                   農学部  〃    白旗 学
                    教育学部理科教育 梶原昌五  
                   農学部応用生物学科 小田伸一
       (教育担当)    人文社会科学部欧米研究 後藤尚人
                    教育学部家政教育 天木桂子
               人文社会科学部基礎自然科学 大西良博
               人文社会科学部  〃    山内茂雄
       (ホスト計算機担当)   教育学部技術教育 佐藤信安
                    工学部機械工学科 船崎健一
                  人文社会科学部科学論 遠藤教昭
                農学部農業生産環境工学科 小林 晃
       (総轄担当)          附属図書館 竹谷隆則
                         経理部 及川信一
                         学生部 久保進一

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