建設環境工学概論

対象:建設環境工学科1年生
時間:(平成13年度まで)火曜日5,6校時
場所:24番教室

「要旨]学生便覧の各講座の説明。
 鉱山工学と土木工学(技術史の観点)、建設工学、建設工事、環境保護、文化遺産、住民参加など
 説明しなから本学科と他学科との違いを述べる。

(学生便覧)
 建設環境工学科は、人間の生活・活動の場を取り囲む自然環境や社会環境のシステムを
総合的に捉えながら、災害が少なく、快適で住み良い社会の建設と、わが国の産業の高度化、
広域化を支える基盤整備を行うとともに、豊かな自然環境の保全と様々な環境問題の克服を
目的とした広い分野の研究・教育を行い、建設と環境の両面において社会の要請に対応できる
基礎的能力と創造力を有する技術者の養成を目指している。
 建設環境工学科は、環境工学講座と建設工学講座の2講座より構成されている。

[鉱山工学と土木工学(技術史の観点)]
 岩手大学建設環境工学科の前身をさかのぼると鉱山工学科であった。
 秋田大学鉱山学部の場合にも見られるように、日本の工学系大学の中には、地元の産業に結びついた
鉱山工学の研究からはじまったものがある。
一方、ヨーロッパの中でもドイツの工学系の大学でも、やはり鉱山工学からはじまった
とみられる大学が少なからずある。また建設工学を最初にかかげた大学も相当数ある。
 日本の大学の工学部の歴史を考えると、明治のときに欧米から技術移転をはかったものと言える。
自然発生的に体系が作られてきた欧米の大学や学会とちがって、政府が主体となって
学問の体系制度を先進国から受け入れたのである。
 土木学会や日本建築学会の前身である工学会ができたのが明治12年11月18日である。
これには土木、造家(建築)、機械、電気、電信などの7学科が参加していた。
これは工部大学の第1回卒業生が出たとき、7学科で23人であった。当時は工学も現代
ほど分化せずトータル的内容であったろうから、23人か同窓会的な組織を作ったのが
工学会であったといわれる。その後会員も増え分野ごとの活動が活発になってくるにつれ、
まず鉱業が、次に明治19年には造家(建築)学会が分離・独立し、その後、電気、造船、
機械、化学の順で独立し、最後に土木学会が大正3年11月24日に独立し現在に至った。
 世界の大学の工学教育の歴史を考えるなら、フランスのエンジニアであったヴォーバンの提案で、
軍事大臣ルヴォワにより、l675年に城砦構築や王宮・運河などの建設のため陸軍に軍用土木技術者団
が創設され、さらに1715年には土木技術者団が設置され、港湾・運河・道路・橋梁などの土木工事
にたずさわった。これらの組織で働く技術者を養成するため、エコール・デ・ボン・ゼ・ショッセ
(土木学校)はルイ15世のとき1747年に創立された。1795年革命政府がエコール・ポリテクニク
を作ってから、エコール・デ・ボン・ゼ・ショッセ(土木学校)などに入る学生が基礎科学を
習得するために入学した。この2つの学校は、フランスの国威を高めるの役立ったばかりでなく、
技術を経験から理論の世界へと導き、応用数学、応用力学の発展に貢献があった。
つまり工学の基礎理論が土木技術のなかで発展したのである。
 ドイツ語では土木工学のことをBauingenieurwesenという。これは直訳すると建設工学である。
bau(動詞はbauen)とは建設、要するにものを作ることである。こうしてみるとドイツ語が
ハードとしての土木工学や建設工学をよく表しているといえよう。
 鉱山工学と土木工学のそれぞれの学科が時代の要請をとりいれつつ改組した結果できたのが、
現在の建設環境工学科である。鉱山工学の基礎科目である地質学は実は土木工学と浅からぬ
関係がある。イギリス地質学の父とよばれたウィリアム・スミスは、測量技師としての現場の
地層の観察から層位学の基礎を作ったのである。土木技師が地質学や化石研究に功績をあげた例
として、ベルギーのイグアノドン研究者の場合もある。トンネルやダム基礎などの土木工事の際
には岩盤などの地質調査が必要となる。

[道路工事の調査で発掘された文化遺産保存や環境保護の問題がある。住民参加の問題もある。
建設工事関係者はあらゆることを知らないと仕事ができない。]
 頭の上で鳥が嗚いていたら君は幸福であるとは、国木田独歩がその著書武蔵野に書いてある
言葉である。しかし今、東京に武蔵野の自然は残っているだろうか。昆虫学者加藤正世が
少年時代、武蔵野の雑木林で採ったオオムラサキ(切手にもなっている日本を代表する蝶)
はいずこ。オオムラサキは岩手県にも分布する。学名を二ッポンと付けられた朱鷺が
日本から絶滅したことは、日本の自然が失われたことと日本の将来の不安を象徴するできごとである。
 かといって原始林の中で文明人は暮らすわけにはいかず、快適な都市生活をおくるために
我々は木を切り倒し森に住む生き物の生活の場をうばい、人間の生活空間を建設工事によって
作るのである。
 建設工事が環境に与える影響は避けられないものであるが、小さな命が滅びる現象を明日の人間
の滅亡のシグナルとみて、環境に与える影響をできるだけ少なくしなければならない。
 最近、道路工事の調査で発掘された文化遺産保護の問題がある。佐賀県吉野ケ里遺跡は
当初の建設工事プロジェクトを捨てて、貴重な弥生遺跡の資料公園設立へと至った。
岩手県では一関遊水池計画中に発見された柳御所遺跡の保存と建設工事の見直しがある。
また成田国際空港が住民との合意にもとづかなかった工事の先行によるトラブルの例にも見られる
ように、建設工事の計画段階においての住民参加の問題もある。
従来の単に技術や経済の観点から工事計画を立てるのではなく、地域住民の合意にもとづく
建設工事の手続きが今後いっそう必要となると考えられる。


参考文献
1.チモシェンコ(最上武雄監訳、川口昌宏訳):材料力学史、鹿島出版会(1974)
2.シュトラウプ(藤本一郎訳):建設技術史、鹿島出版会(1976)
3.川田忠樹:歴史のなかの橋とロマン、技報堂出版(1985)
4.高野功:アメリカ・シビルエンジニアのルーツ、土木学会誌1990年1月号
5. 宮本裕,岩崎正二,出戸秀明:土木工学の歴史とそのユニーク性、土木学会誌、50〜51頁(1993,3)
6.宮本裕,岩崎正二,出戸秀明:ドイツの工科大学の歴史について、土木学会主催第15回土木史研究発表会、長崎大学 (1995.6)

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