世間虚仮(せけんこけ)唯仏是真(ゆいぶつぜしん)
これを中宮寺の門跡様は話していた。
今の世の中は、みんな人のせいにする。
世間が悪い、親が悪い、学校が悪い。
でも、人の心の中にすべてがあるのだ。よいことも悪いことも自分のこころから出る。
この言葉の仏とは仏像やお釈迦様のことではなく、
自分の心の中の良心である。
悟りとは、吾の心を知るということ。
静かに反省して、自分の姿をふりかえって、
あるべき自分にかえろうではないか。
 やや私の独断的解釈かな。


虚仮
これから virtual, imaginal を連想した私。 
真実はもちろん real。
今はやりのバーチャル・リアリティ 仮想現実と訳している。
ロボットによる原子炉の中の遠隔操作や、内視鏡に使われる技術。ついでにゲームがあるのだ。
バーチャルやイメージやリアリティを訳したとき、
昔からあった、この聖徳太子の言葉など、
漢字のおかげで、知識の財産があったから翻訳がスムーズにできたのだと思う。
文学で、虚実皮膜論というのがある。
「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるものなり。
虚にして虚にあらず,実にして実にあらず」(近松門左衛門)
「虚は超越的な存在根拠であり,実はその具体的な現れである」(荘子)
私の解釈では、小説や演劇や映画や芝居は、みな作り事。
しかし、そこに人間の真実の片鱗が見られる。
逆に言えば、そんなふうにしてしか、我々は人間の真実に迫れない。
文学芸術におけるバーチャル・リアリティなのか。