地震に備える その5
[第20回]
日本のおもな被害地震年表(毎年のように起こっている。特に気のついたものだけ)
1872(明治5) 浜田地震
1891(明治24) 濃尾地震
1894(明治27) 庄内地震
1896(明治29) 明治三陸地震津波
1896(明治29) 陸羽地震
1905(明治38) 芸予地震
1914(大正3) 秋田仙北地震
1923(大正12) 関東大震災
1930(昭和5) 北伊豆地震
1933(昭和8) 三陸地震津波
1939(昭和14) 男鹿地震
1943(昭和18) 鳥取地震
1944(昭和19) 東海南地震
1945(昭和20) 三河地震
1946(昭和21) 南海地震
1948(昭和23) 福井地震
1952(昭和27) 十勝沖地震
1960(昭和35) チリ地震津波
1964(昭和39) 新潟地震
1968(昭和43) 1968年十勝沖地震
1978(昭和53) 1978年宮城県沖地震
1983(昭和58) 昭和58年日本海中部地震
1993(平成5) 平成5年釧路沖地震
1994(平成6) 三陸はるか沖地震
1995(平成7) 兵庫県南部地震(阪神大震災)
☆ ☆ ☆
明治29年5月5日に三陸で大きな津波がありました。
その時、祖母の姉が亡くなっています。
旧暦の端午の節句なので、現代の暦では日にちが違うかもしれません。
(理科年表によると1986.6.15)
戸籍を見たら 明治29(1986)年6月15日田老で亡くなっていました。
近所のお祝ごとがあったので手伝いに行っていたその人は
遺体も見つからなかったそうです。
家族は小さい子供の手を引いて山に必死で逃げたそうです。
(チマキも持って)
この亡くなった女性の妹の娘のそのまた息子が私ですから
私の祖母の姉にあたる人が、三陸津波で亡くなったわけです。
[第21回]
防災懇談会における意見要旨
阪神大震災の時に岩手県からも支援活動が行なわれたが、
関係者の体験談から、私の独断で一部紹介します。
(保健医療、福祉相談関係)
○これまで、我が国では、病院が被災するということは予想していなかった。
電気、水道等のライフラインの途絶えや、電話の不通により、病院が
24時間から72時間、孤立状態になってしまい、患者の輸送もうまく
できなかった。
○避難所によって、あらゆる面で格差があった。
リーダーの存在が極めて大きかった。リーダーの有無により、ろうあ者
や障害者の有無などを把握できていない避難所も見られた。
○手話通訳者は、通訳技術を身につけるまでに何年もかかるので、緊急時
に対応できるよう、養成に力を入れるとともに、手話通訳のシステム
体制が必要。
(救援物資の仕分け関係)
○「災害対策本部」が各所にあり、どこの本部にいけば、どの情報が
得られるかということがわからなかった。組織のあり方を見直す必要
がある。
○初期の段階においては、物資の量に比較して、人員が圧倒的に少なかった。
他県との応援体制を確立し、早期に現地活動ができるようにする必要
がある。
○物資受け入れの広い建物と、機能的な輸送・配送方法を考える必要がある。
(一般的事項)
○情報の不足、混乱が随所で見られた。
○医療関係者、公務員など支援活動に従事する者は、支援者であると
ともに、被災者でもあった。24時間体制で支援活動にあたったが、
疲労困憊であった。
○ボランティアが、各方面で活躍していたが、ボランティアを取りまとめる
リーダー、指導者がいれば、さらに効率的な活動ができた。
○地震発生から約2週間が、緊急対応を要する期間と思われるので、
自治体の対応についての具体的なマニュアルを作成するとともに、
事前周知をはかる必要がある。
○学校施設は地域にバランスよく配置されていることから、避難所として
最適である。地域の防災拠点として位置づけ、強度の見直し、通信
施設、予備電源の整備ならびに食料の備蓄などを検討する必要がある。
○多くの小中学校が避難所となったが、先生方は教育と救援活動の両方に
当たらなければならず非常に苦労した。
○防災関係施設、設備の整備はもちろん重要であるが、子供の頃から
防災に関する知識を身につけるよう、防災教育の内容を見直す
必要がある。
(都市ガス復旧関係)
○倒壊した家屋によりガス管の埋設箇所が覆われてしまい、復旧工事に
支障が生じた。
(水道復旧関係)
○給水車による給水は、タンク内の水を使いきるまではその場所に
とどまらなければならないため、効率が悪いことから、貯水槽の整備が
必要である。
○支援に向かう際に、盛岡市で使用している工具や資機材を持ち込んだが、
神戸市では規格が違い使用できなかった。広域応援にはこういった点も
考慮されなければならない。
(被災建築物の危険度判定関係)
○被災建築物の崩壊による二次災害を防止する観点から、被災建築物の
危険度判定は災害復旧対策において重要な項目である。
○危険度をステッカーで表示した後には、建物の所有者及び使用者からの
照会及び相談等が集中することから、これへの対応を考える必要がある。
☆ ☆ ☆
中には
支援部隊の受入体制は十分とはいえない。宿泊場所の確保はもちろん
のこと、各種情報の提供などを含めて、受入体制を整備する必要がある
という報告もあったが、
緊急時のこと、観光地に行くのとはわけが違う。
自分で寝泊まりする所を探すくらいの覚悟でないと、いけないのではと思う。
ボランティアの感想にも、自分がよく扱ってくれないというものが
あったが、甘えるなと言いたい。
医療関係者、公務員など支援活動に従事する者は、24時間体制で
支援活動にあたったので疲労困憊であった。
民間の建設関係者も同じ状態、必死で復旧に努めていたのに
マスコミなどでは、これを営業のためにしたなど問題記事があったようだ。
(なにより地元のため日本のため、必死で復旧に努めていたのに)