活断層のはなし

自分の専門に近い内容なので、自分の勉強も兼ねて紹介します。

地震と活断層
          熊本大学理学部地球科学科教授 松田時彦

大地震と大断層とは密接な関係がある。
活断層という言葉は、1920年代に、カリフォルニアの地質学者が
アクティブ・フォルトという名前で、断層の地図をつくったときに使って
いた。過去に繰り返し活動していて、それゆえ将来また動くかもしれない
断層ということである。

活断層: 約200万年前から現在までに繰り返し動き、将来も活動することが推定される断層

昔はナマズが動くと地震だということになっていたが、そのナマズという
言葉を断層という言葉におきかえれば当てはまる。
大きな断層が、何メートルも動けば、大地震である。もともとひと続きの
岩盤が、その内部の境目でズレ動く、そのズレ動いた面のことを
「断層面」あるいは簡単に「断層」と言っている。

よく地図の上に線を1本書いて、これが断層だというが、それは断層の面と
地表面との交線にあたる。断層の長さとは、その線の長さのことである。
断層を境目にして、その両側の岩盤がズレ動くことを「断層が動く」
といっている。あるいは断層が活動するという。

ズレ動く向きが主に地表面を上下に動かすようなものを縦ずれ断層、
主に左右ズレをつくるものが横ずれ断層である。

岩盤はプロックのような剛体ではなくて、弾性体と流動体の両方の性質を
持ったもので、どこかにズレても、そのズレの量がだんだん減少して、
ついにゼロになる。そのところが断層の終わりである。
終わりになるところまでの距離が大きく、したがって面積も大きいほど
大断層である。

ズレ動いた速さも問題である。あまりゆっくり動いたら地震波動は出ない。
普通、秒速1メートル以下数10センチ程度であり、これが日本の内陸の
直下型の地震では普通である。このように数メートル動くのに数秒かかる
のが普通であるが、中には数秒でなくて数100秒という非常にゆっくり
した地震もある。そういうのはヌルヌル地震とか津波地震と呼ばれている。
海底でそういうゆっくりした動きが起こると、水をよく動かし、津波を
効果的につくるからである。明治26年の三陸の津波地震は、その典型と
言われている。
(海水の共鳴が起こるのだろうか)

断層の積み木モデルでは、1ケ所動かせば、どの部分も同時に動くが、
自然の岩盤ではそういうことはない。どこか1ケ所でズレが起こると、
それが断層面に沿って広がっていく。その広がっていく速さは秒速2キロ
とか3キロなので、20キロの断層が動き終わるためには10秒ほどかかる。
兵庫県南部地震でも、だいたい10秒ぐらい強い地震が続いたのも、
淡路島から神戸付近まで秒速2〜3キロの速さで広がったので、
20〜30キロの断層の北東端まで達するのに10秒ほどかかったのである。

断層が動くのはなぜか、それは岩石が普段から力を受けていて、その力のために
岩石が橈んで、それがある限界に達すると岩石が壊れて元に戻りる。それが
断層運動であり、地震である。その限界の値は、だいたい10万分の5程度
である。
(我々が鋼構造物の歪みを測定するときは、たいてい1000分の1から
10000分の1程度である。地震の歪みはもっと小さいことになる)

そういうわけで、断層の両側の岩石の弾性歪みが急激に開放されて、
それが地震のエネルギーになるわけだが、そもそもその岩石をひずませる力
はどこからきたのかが、次に問題になる。その力の起源は、動いた断層の
走行と、ズレ動いた向きから推定できる。

日本全体の地震で、その地震を起こした圧縮力の方向を調べていくと、
いずれの場合もその場所が東西に押されていることが分かる。日本列島
サイズで共通に押されている力を考えなければいけない。そういうことから
原因はプレートということになる。
日本列島を押している力の方向は、太平洋側の海のプレートが動いてきている
方向によく合っている。それで、そのせいだろうということになっている。

その後引き続いてズレ動きが広がっていくわけである。震源断層でのズレは、
地震が浅くて大きな場合には地表まで届く。そして、その結果が土地の
食い違いとして残る。

直下大地震のあとに、現場に行くと、その時の地震で土地が数メートルずれた
跡の他に、そこで過去に数10メートル、数100メートル、あるいは
数千メートルもズレた証拠が見つかる。地層や地形がそうなっている。
このことは昔も同じようなズレ動きが繰り返されたに違いない、それが
累積して数千メートルにもなったことを示している。
そのような断層が活断層である。

そういう地表に現われた地震断層の例が最近150年間に日本で10以上
ある。平均15年に1度ぐらいということである。その1つが今回の
神戸の大地震である。

過去にズレを繰り返した活断層の1つに、伊豆半島北部の丹那断層がある。
この断層は昭和5年に動いて伊豆地震を起こした。その時に熱海から
三島間に建設中だった東海道在来線のトンネル(丹那トンネル)は切断され、
熱海側の部分が北の方に2メートルもズレた。
それから20年余りたって新幹線のトンネルを建設するのに丹那断層が再び
問題になった。また動いてトンネルが切れたら困るという議論もあったと
思う。その時相談を受けた久野先生は、この断層は過去数十万年間、およそ
1000年に1度大地震を起こしてきたという資料を得ていた。そのためも
あって、新幹線はまた丹那断層を貫通してつくられた。久野先生は、丹那
断層のところで西へ流れるいくつもの谷も、地層も、いずれも過去50万年
以降現在までに1000メートル食い違っていることを明らかにしていた。
このことから久野先生は、昭和5年のときのような2メートルずれた事件が
過去に1000年に1回の割合で500回ほどあったと考えた。1000年に
1回の割合ならば、当分安全であろうということになる。
(昭和5年に2メートルずれたから、その割合でズレが生じるなら
全部で1000メートルのズレが50万年かかって起こったなら、
1回で2メートルだから1000メートルになるには500回起こった
に違いない、50万年で500回なら1000年に1回ということになる)

地形を眺めると、かなりの程度まで土地の食い違いが分かる。そこで全国の
空中写真を国土地理院から購入して実体視し、次第に活断層の分布が分かって
きた。
そうするうちに仲間も増えて、1980年には全国の活断層の分布図ができ、
いま3万円もする厚い本(東京大学出版)になって、皆さんに使って
いただいている。

このようにして全国の活断層の分布が分かったが、その数は2000以上もあり
活断層が多すぎて困るという声も聞かれた。
それで80年代以降の15年間は、これらの断層のうち、どれが比較的近い
うちに地震を起こすか、といった災害との関連に努力が払われてきた。

先ほど丹那断層は50万年に500回、1000年に1度の割合で活動して
いて、昭和5年にそれが動いたから、今度当分は地震を起こすことはないだろう
という話をしたが、よく考えてみると、それは平均すると1000年という
話であって、1000年ごとに1回ということとは違う。気まぐれに動いて
いても、それを平均すると1000年に1度の割になるというものである。
自然界がどの程度気まぐれであるか、規則的であるかを知っておく必要がある。

そのことを確かめるために、数千年前から現在までに堆積した沖積層の観察
をすればいい、そこで、予算をいただいて沖積層をユンボを使って掘ってみた。
場所は丹那断層が通過する丹那盆地である。その盆地の真下を新幹線も
在来線もトンネルで通過している。掘った深さは6メートルぐらいであるが、
その一番下の地層の中に6300万年前の鹿児島の南の鬼界島の大噴火で
飛んできた火山灰が含まれていたので、1000年に1回ならば、その
沖積層の中に5〜6回の断層運動が記録されているはずである。

結論として、6000年以降に6回の地震があり、それらがだいたい等間隔で
およそ700年ごとに起こったことが分かった。
この結果、丹那トンネルは本当に安心していいのじゃないのかと思っている。
しかし、安全だということは、もしその予想に反して地震が起こった場合を
考えると、不安で勇気のいることである。

1981年に比較的近い将来に活動しそうな、要注意断層の分布図を
発表したが、その中の1つの 有馬ー高槻ー六甲断層帯で今回の大地震が
起こった。しかし、予測が全部当たったわけでなく、その要注意断層帯の
南半分だけが地震を起こした。神戸市北側の六甲山地やその北方の断層は、
私に言わせれば要注意断層の中心部であったのに、今回は動かなかった。
つまり、私たちが心配していた六甲トンネルが切れる事態にはならなかった。
今回動かなかったこの断層帯の北部について言えば、私が予測した地震は
まだ起こってはおらず、要注意状態が続いているということになっている。

最後に、防災計画のために活断層の知識を今後どう役立てるかだが、
1つの方法は、問題の活断層が要注意か安心かのいずれの状態にあるかを
知ることである。
もう一つは、当面、都市防災を第一に考えて、その都市の直下に活断層が
あるかないかを知ることである。活断層の有無の確認の調査は比較的早く
容易にできる。
次に、活断層がある都市では、活断層がどこを通っているか、その詳細位置を
市街地図の上で明らかにしておくことが望ましい。それを跨いで病院など
重要な構造物をつくることは、できるなら避けたほうがいい。

この松田教授は東大名誉教授で、この方面の権威者である。
この内容は
日本鋼構造協会創立30周年記念特別講演会の講演である。
私も日本鋼構造協会の会員である。