一葉碑について          野口宇太郎  樋口一葉が下谷龍泉寺町(大音寺前)から本郷丸山福山町に移ったのは 明治二十七年(一八九四年)五月一日であった。「たけくらべ」「にごりえ」 「十三夜」その他一葉の名を後世にのこした名作小説がこの丸山福山町の家で 書かれたやうに、一葉の本当の文学生活はその時から始まったと云ってもよい。 一葉が下谷龍泉寺町に移って小さな雑貨商を営むことになるまで住み、 洗面物とか縫ひ物などをしながら母たき、妹くにと共に細々と暮してゐたのは 本郷菊坂町の長屋だったが、その忘れ難い菊坂町も程近い丸山福山町に移った ことは、偶然とは云へー葉にとっては故郷にでも戻る気持であったらう。 しかし、ようやく作家生活の希望にもえたのも束の問で、丸山福山町に落着いて 一年もすぎた頃からは胸を患ふ身となり、明治二十九年(一八九六年)十一月 二十三日には、もう此の世を去る結果となった。二十四オの匂ほやかな処女のまま あえなくも散ったのである。その家にはその後森田草平も住んで、小説「煤煙」 のなかにもちょっと出て来る。しかし明治四十三年八月の颱風のために家は裏側の 西片町(阿部屋敷)の崖崩れにあって遂に跡形もとどめぬやうになった。 それ以来時は流れて、たまたま昭和二十七年(一九五二年)に同地の所有者で あった笹田誠一氏が一葉の生涯を永く後世に伝へたいとの念願から、同番地の 一角に私費を投じて碑を建てることとなり、それは九月七日に竣工した。 すでに石材を選んでゐた笹田氏から刻文や碑面の配置などの相談をうけた私は、 碑文に移転当時の日記を選び、旧青鞜社の人々をわづらはして撰文は岡田八千代女史 により、揮毫は平塚らいてう女史によって閨秀作家一葉の終焉の地にふさはしい 文学碑が、出現したのである。