サッカー考


2002ワールドカップ。この機会に国際サッカー連盟の歴史と
それに関連する英国の歴史を勉強しましょう。

サッカーの正式名称はアソシエーションフットボールassociation football。
英語圏外の多くの国では、フットボールの名で呼ばれている。

アソシエーションフットボールという名前は、それまでイングランドで様々なルールで行われていた
フットボールに対して、1863年に統一ルールを制定し「協会 association のフットボール」としたから。
また、サッカー Soccer の語源は、アソシエーション association の省略形 soc に c を重ね er をつけ、
サッカー soccer としたのである。

日本ではア式蹴球または単に蹴球と呼ばれている。
蹴球とは、日本の伝統的遊戯である蹴鞠(けまり)の一種であるとみなしたから。

1863年10月 ロンドンとその近郊のクラブ代表により、
フットボール協会 Football Association(FA)が組織され、統一ルールも12月にできた。

1871年から FA カップの大会がはじまり、サッカーは盛んになった。
初期の FA カップでは、大学やパブリック・スクール出身者の上流階級のクラブが優位であったが、
しだいに労働者のクラブが力をつけ、上流階級のクラブを打ち負かすようになった。
そしてアマとプロの区別がむずかしくなり、プロ選手が公認され、1888年プロ・リーグが創設された。

イングランドで盛んになったサッカーはイギリス全土に広まり、
スコットランド、ウェールズ、北アイルランドにも協会が設立された。
それらの協会の間で試合が行われるようになり、ルールの調整の必要から4協会の代表によって
1882年国際サッカー評議会 International Football Association Board が設立された。

そして、サッカーは大英帝国が海外に勢力を拡大するにしたがい、世界に広まっていった。
また、イギリスの産業の拡大によってヨーロッパ大陸の多くの大都市にイギリス人が住むようになり、
彼らによってサッカーは急速に広められた。

南アメリカでもやはり同様に、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルへと広まった。
そして、1908年のオリンピックのロンドン大会からは正式種目となった。
また、1904年ヨーロッパの国々によって国際サッカー連盟 Federation Internationale de Football Association
(FIFA)が組織された。

1930年ついに世界選手権(ワールドカップ)の開催を南アメリカのウルグアイで実現した。
現在は、この2大陸のほかにアジア、アフリカ、北中米カリブ海、オセアニアの6大陸に
それぞれ大陸連盟が設けられている。

ある意味では、サッカーは民族紛争のストレスを解消する一種の代理戦争と考えられる。
そういうわけで、サッカー発祥の地である英国の歴史を考えてみたい。


イギリスの正式名称は
グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国
 The United Kingdom of GreatBritain and Northern Ireland である。

5世紀にアングロ・サクソン人がグレート・ブリテン島に移住を開始したとき、
すでにここにはローマ化されたケルト系民族が住んでいた。
ケルト系はアングロ・サクソンによって島の西部、北部へと追いつめられた。
現在もスコットランド、ウェールズ、コーンウォール、そしてアイルランドなど
イギリス諸島の外縁部にはケルト系民族の伝統が残っている。

バイキングの大侵入
イングランドは1016年デンマーク王子クヌット2世に征服された。
(デンマークはイギリスを支配した歴史を隠さない。英国も隠していない)

そして、1066年北フランスのノルマンディー公ギヨームが
イングランドを征服してノルマン朝を開いた。
庶民はドイツ語、王侯貴族はフランス語という二重言語の中で
英語が生まれた。

フランス支配を脱して名誉革命など経験して 
王様の後継ぎとして、ドイツのハノーファーからきたジョージ1世が即位(1714)した。
このハノーバー朝が現在に続いているわけである。

アイルランドはイングランドの征服を何度も受けて、
1801年には連合王国となったが、1922年に北アイルランドをのぞいて自由国として独立した。
だから、地図を見ても政治的には、イギリス、アイルランドの2ヵ国になっている。 

英国にあった七王国
5〜9世紀に、大陸からやってきて定着したアングロ・サクソン人が作った小部族王国。
これら諸国は先住のブリトン人と戦って征服をすすめる一方、
相互の間でも覇権をめぐって抗争した。
中には、エドウィン王(在位617‐632)はスコットランドに遠征したり、
オファ王(在位757‐796)はウェールズとの境界に(オファの防塁)と呼ばれる長大な土塁を
築いてブリトン人を圧迫し、フランク王国のカール大帝と対立したりした。
8世紀末ごろからバイキング(デーン人)が侵入し、大半はバイキングの支配下におかれた。
そして、10世紀前半のウェセックス諸王はバイキングに奪われた地を回復、
統一イングランド王国を形成した。
(しかし,イングランドは1016年デンマーク王子クヌット2世に征服された。その後、大陸のノルマンディーの属領となる)

西部に追われたブリトン人は、ウェールズに数個の小王国をたてて分立した。
またイングランドの北には、アイルランドから移ったスコット人が先住のピクト人やブリトン人と
同化しながらスコットランド王国を形成した。

13世紀後半にイングランドで即位したエドワード1世はウェールズを征服し、
さらにスコットランドをも征服しようとしたが、これは失敗に終わった。
イングランドがグレート・ブリテン島の他の地域に進出したのは、とくにジョン王の対外戦争の失敗
によってフランス内の領土の多くを失ったため、その代償を島内に求めたから。
(ジョン王は貴族から要求されマグナ・カルタを認めされられた情けない王さま)

1628年議会が提出した「権利請願」では、国王の政策がマグナ・カルタ以来保障されていた
国民の権利を侵すものと訴えている。
チャールズ1世は以後11年間議会を開かずに専制政治を行った王だったから。
スコットランドに英国教会を強制して、激しい抵抗にあい、1640年対スコットランド戦争の戦費を
集めるためやむをえず開いた2度目の議会(長期議会)が、ピューリタン革命の舞台となった。
長期議会はただちに専制支配機構を打破し王権を制限するための改革を次々にほぼ満場一致で
実現した。
そして議会派と国王派の間に内乱が起こり、
1649年1月チャールズ1世は(国民の公敵)として処刑されイギリスは共和政となった。
革命の指導者クロムウェルは、反革命の拠点という理由でアイルランドを征服して植民地化を進めた。
しかし革命はしだいに保守化して、クロムウェルの死後王政復古となった。
復位したチャールズ2世は、信仰の自由の約束を守らず、フランスのルイ14世の援助のもとに
カトリックの導入を図ったり、専制を復活させようとしたため、議会と対立の度が深まった。

そしてついに、指導的貴族は、王女メアリーの夫オランダ総督オラニエ公ウィレムに援助を求めた。
時の王ジェームズは逃亡し、オランダから来たウィリアム3世とメアリーは共同統治者として即位した。
(名誉革命)

メアリー2世の妹アンの治世に、これまで同君連合の関係にあったスコットランドと合同(1707)した。
アンの死後スチュアート朝は絶えたから、ドイツのハノーファーからきたジョージ1世が即位(1714)した。
これが現在も続く英国王朝です。




    ウェールズは連合王国に属するが、王国ではなく公国である。
    イギリス国旗(ユニオンジャック)には
     イングランドの白地に赤十字(聖ジョージ十字旗)
     スコットランドの青地に白の剣十字(聖アンドルー十字旗)
     アイルランドの白地に赤の剣十字(聖パトリックの十字旗)
    がまとめられているが
    ウェールズの表象が入っていない。

    その理由として
    ・ウェールズは公国だからない。
    ・ウェールズの表象の龍は他の十字とあわないから省かれた。
    ・龍を描くのは大変だから省かれた。
などあるが定説はないみたいだ。

Union Jack のジャックとは、船首の旗ざお(ジャック・スタッフ jack staff)に掲げられる、国籍を表す船首旗のこと。

英国(UK :連合王国)とはイングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズを
合わせたものの総称である。
他にも、イングランド、スコットランド、ウェールズの総称としてグレートブリテンというのもある。

サッカーのW杯は前にも書いたようにFIFA(国際サッカー連盟)が主催する。
(今回の場合、日本と韓国は「開催」するだけで主催者はあくまでFIFAである)

そして予選も含めて大会参加資格はFIFAに加盟しているサッカー協会単位、になっている。
そんなことはありえないが、たとえば日本サッカー協会が分裂し、FIFAがその両方とも認可した場合、
日本からはそれぞれの協会に所属する2つの日本代表チームが予選に参加する、ということになる。

俗に言うイギリスには北アイルランド(1880年設立)、スコットランド(1873年設立)、
ウェールズ(1876年設立)、イングランド(1863年設立)と4つのサッカー協会があり、
それぞれがFIFAに公認されているのである。

試合前の国歌斉唱、国旗掲揚ではそれぞれのものが演奏され、掲揚される。
サッカーの世界で一般的に知られているのはイングランドであるが、前回フランス大会に参加した
スコットランドのガリー・マカリスターや、W杯には一度も出場できないが北アイルランドの
ジョージ・ベスト(マンチェスター・ユナイテッド所属)等の有名な選手達もイングランド以外
のサッカー協会から輩出されている。

ちなみにイングランドサッカー協会は1927年、選手への報酬支払いをアマチュア規定違反
だとしてFIFAを脱退し、しばらくW杯には参加していなかった。
FIFAへの復帰は戦後、1950年のブラジル大会参加からである。
フランス98
どうやって予選からしぼられていったか。各地域で予選の方法がまちまち。

ヨーロッパ予選
9グループに分かれ、ホーム&アウェイの2回戦総当たり。
各グループの1位と2位のうちもっとも成績の良い国が本大会出場。
さらに残りの2位8チームがホーム&アウェイのプレーオフ2回戦を行い、勝った方が本大会出場。
☆グループ2にイングランドが入っている。
☆グループ4にスコットランドが入っている。
☆グループ7にウェールズが入っている。
☆グループ9に北アイルランドが入っている。
ほかにグループ8にアイルランドが入っている(アイルランドはUK連合王国に入っていないから)。
連合王国のイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドはサッカーに関しては
独立国あつかい。

アジア予選
10グループによる2回戦総当たり、各グループ1位が最終予選に出場
アフリカ予選
シード国を除く32チームが、2チームずつのグループに分かれてホーム&アウェイで対戦。
それぞれの勝者が2次予選に進出→1次予選の勝者にシード国のカメルーン、ナイジェリア、
エジプト、モロッコを加え、5グループに分かれリーグ戦を行い、各グループ1位が本大会に進出
オセアニア予選
 省略します。
南米予選
ホーム&アウェイの2回戦総当たり。上位4チームが本大会出場
北中米・カリブ地区予選
 省略します。

2002W杯 日本チーム善戦しました。

   ◇さらに奥の宮本の頁へとジャンプ