磯野家の人々の年齢はいったいいくつなのだろうか? サザエは本当にフネの娘か? サザエさん全集をふまえて(○巻○○頁というように)、 「磯野家の謎」にはいくつかの推論が書かれている。 それによると 波平54、フネ48、サザエ27、 カツオ11、ワカメ7、タラオ3 フネがバッタリ出会った年輩の女性に「婦長どの」と声をかけ、 一緒に遊びに行くシーンがある。 波平は、フネが元従軍看護婦だったことがホントかウソかを知らないようだ。 従軍看護婦といえば満州事変以降、つまり1931年以降になる。 波平とフネはそれ以降知り合ったのだろうか。 サザエは、連載漫画の始まった1946年で当時23歳と描かれてあったから 推論すると、サザエが生まれたのは1920年代で、フネと波平の出会う前 ということになる。 もし、波平がフネの従軍看護婦時代を知らないとすれば、サザエはフネの実の娘 ではないということになる。 この問題になった漫画は私も見たことがあるが、 第1コマで波平が深夜の帰宅をしたとき、南方で一緒だった戦友と思いがけず 再会した、とフネに言い訳をしている。 翌日フネは波平と一緒に外出したとき、年輩の婦人に会う。 とっさにフネは敬礼をして「おなつかしい婦長どの」と言う。 そして、波兵に従軍看護婦時代の先輩だから、今日は遅くなると説明する。 そんな話は初耳だと首を傾げる波平。 あんなウソを言っていいのかと婦人から言われ、男のつかう手を自分も使ってみた とフネがこっそり説明する。 というわけで、フネの従軍看護婦はまっかなウソである。 サザエさん全集どこを見ても、フネはサザエをカツオやワカメと一緒に 自分の子どもとして扱い、継子のような遠慮の場面はない。 「磯野家の謎」は漫画の表面の記述から推定しているわけだが、 このサザエ継子説はあくまでも遊びであろう。 「磯野家の謎」の続編である「磯野家の謎おかわり」にも、 フネが従軍看護婦だったとウソをついている、と書かれてある。 磯野家にトイレがたくさんあるという噂は本当だろうか? サザエさん全集を調べて、確認できただけで 古い家に4か所、新築後も3か所のトイレがあるという。 新築後のトイレは水洗トイレになっているが、古い家のときは くみ取り式で古風な和風トイレである。 この問題は、「磯野家の謎おかわり」の172頁に 「タラちゃんをおぶるねんねこは26枚もある」と同じで、 要するに作者がいいかげんに描いたからである。 トイレの場面もいちいち記憶していないし、過去に描いた漫画の場面を調べる こともしなかったから、そのつど違うトイレを描いたのであろう。 タラちゃんのねんねこの柄も、その時の気分で描いたところもあるだろう。 ところが読者の方は熱心だ。いちいち全集を広げて見比べてみたのだろう。 あの、こちら亀有公園前派出所も、やはり読者からの絵の矛盾を指摘する投書に ついに作者が怒って、細かいことに口を出すなと、主人公の口から言わせている。 金田一探偵ものの横溝正史も、やはり評論家に矛盾を指摘されて、 作者の苦労を知らず、(作者の作品の世話になっているのに)矛盾指摘を やめない評論家に怒りのコメントを述べている。 熱心な読者や評論家があって、作品も高い水準のものとなるのだが、 毎日体を削って作品を書く作者にとっては、怒りの対象となるのであろう。 おそらく、この「磯野家の謎」も長谷川町子生前のときに出版されたら、 作者は怒ったであろう。 平成4年(1992)5月27日逝去(享年72歳) 「磯野家の謎」平成4年12月18日第1刷発行 タラちゃんはいつ生まれたのか? 「磯野家の謎おかわり」の17頁に、 サザエさんがマスオと見合い結婚をしたのは1948年、 タラちゃんが生まれたのは1946年と書かれてある。 とすれば、見合いの時タラちゃんはいなかったはずだから、あのタラちゃんは もらいっ子か。 これも作者が自分の書いた漫画をよく調べないで 次々と連載漫画を描いていったから、個々でつじつまがあわなくなったのだろう。 やはり、慎重にするなら、記録を調べる「考証係」みたいな役を一人確保して おかないといけないだろう。
金田一少年の事件簿もたたかれる。