内村鑑三と新渡戸稲造

新渡戸稲造
・「武士道」
・われ太平洋の橋とならん
・日本を滅ぼすものは共産党と軍部

内村鑑三
・「後世への最大遺物」
 あの人はああやって真摯に生きたという記憶(勇ましい高尚なる生涯)
・「代表的日本人」
・「余は如何にして基督信徒となりし乎」

新渡戸稲造が「母」 内村鑑三は「父」
寛容で包容力あふれる新渡戸 峻厳で妥協を許さぬ内村
ともに札幌農学校二期生

新渡戸稲造は米国留学で学士を、ドイツ留学で博士の学位を得てきたが
内村鑑三は一枚の卒業証書も持ち帰らなかった。
内村はマサチューセッツ州アマースト大学に専科生として2年間「一般教養」を
学んだ後、コネチカット州ハートフォード神学校で学んだが、失望し4ヶ月で
退学して帰国した。
内村は札幌農学校の卒業生の中でただ一人、帰国後のクラークに会ったのであった。
その半年後にクラークは死んでいる。

免許も資格も持ち帰らない内村の留学は、しかし無意味なものではなく、
留学中に自分自身を客観的に見直しし、日本人であることを自覚して帰国した。
内村は自らを「一人の日本人、武士の子、独立のキリスト者」と呼んだ。
それが彼のアイデンティティと言えるかもしれない。

今日、一部の日本人が誤解しているようだが、
国籍不明、自らのアイデンティティを持たない一種の根無し草のような
「コスモポリン」は真の「国際人」とは言えない。
自分自身が何者かであるかを真剣に考え、そのアイデンティティを深めよう
と努力する者こそが、国際人の資格があるのである。
その意味で、内村鑑三も新渡戸稲造も立派な国際人であった。