茨城県東海村の深層 臨界被爆
ウラン沈殿槽の表面を覆っている冷却水をぬく作業は、結局ほかに誰もいなくて
JCOの職員が行うことになった。
1日午前2時35分、防護服の社員が野外の冷却水バルブに近づき3分間の写真撮影。
これで国の規制法に基づく年間被爆許容限度の2倍近い被爆を受けた。
JCOの9組18人の作業員の努力で、午前6時までに冷却水の水抜きに成功。
核分裂の起きていることを示す中性子線量の数値は0に近くなった。
事件の発生した午前10時43分、JCOから救急隊に電話の連絡が入った。
司令台とのやりとり、「詳しく聞かせてください」「詳しくはわかりませんが、
テンカンで倒れたと思います」「意識はありますか」「ありません」
「では横向きに寝かせて、嘔吐に気をつけてください...」
救急隊員は患者に処置しようとすると、職員が「ここはレベルが上がっているから、
すぐ出してくれ」と言った。建物の職員はみな外に待避していた。
「はじめから放射能事故だと連絡してくれていたら、防護服など用意して行ったのに」
と怒る東海村消防本部。
「あのテンカンも、今にして思えば、転換棟と言いたかったのかもしれない」
というのは消防本部職員だった。
午前11時15分に科学技術庁にファックスで事故が知らされ、15分後に県や村に
も報告がいった。
12時30分に、東海村が防災無線で、村民に外出を控えるようよびかけた。
しかし、放送を聞いていも重大さに気がつかず、外出して3時頃戻った住民もいる。
午後2時30分、JCOの所長が村役場に「職員は待避した。施設から半径500
メートルの住民は避難させてほしい」と申し入れがあった。
午後3時、村長は半径500メートルを350メートルに変更して、村民に避難要請した。
日本の産業を支えているのは、親会社ではなく、その下の子会社、孫会社である。
そこでは親会社のように、安全管理に時間と金をかける余裕はない。
効率優先で、危険な手抜きが行われている。そのしくみが生んだ悲劇である。
8年前にJCOに視察に行ったことがある。建物は多重防護の意識はない。
ただのコンクリート造り。驚いたのは、天井の近くにガラス窓がいくつもあったことだ。
沈殿槽の蓋に小さな穴があいていた。この穴に漏斗を差し込んで、ウラン溶液を
そそぎ込んでいたと思われる。この穴からウランが噴き出して、泥状になって流れ
出していた。そのウランは乾燥して粉末になっていた。これでは、ウランが風にのり
外部に出る可能性すらある。
この穴は手順違反の明らかな証拠であった。しかし、今回の事故の影響を最小限に
止める役割を果たした。なぜなら、沈殿槽が密封状態であれば、臨界時のエネルギー圧
でステンレス製の蓋が吹き飛ぶはずであったが、この穴から圧力が逃げていった
からである。
原子力発電所では、外部への放射能漏れを防ぐため、厚さ5センチの鋼鉄製の
原子炉格納容器を作る。しかし、JCOは内部で臨界事故が起こることを想定していない
ため、このような防護壁を設置していない。
ステンレス容器で硝酸ウラニル溶液を作り、それを作業員が沈殿槽に入れるというのは
明らかな違反である。しかし、いつもこのような規則違反をしていた作業員は慣れて
しまったのだろう。JCOは今までほとんど5%の濃縮ウランを扱ってきて、今回の
ような通常の5倍以上のウランをいつもと同じような感覚で扱ったから、事故になった
のであろう。今回被爆した作業員は8シーベルト、つまり広島・長崎の爆心地で
被爆した人と同じ値の放射能をあびた。
この事故は信じられない事故ではなく、巨大システムの”落とし穴”で起こる事故の
典型的なものである。
巨大なシステムになると、システムの辺縁部あるいは周辺部に欠陥や故障や
作業ミスが生じやすい。しかも辺縁部に異常なことが起きても、それを拡大しない
ようにするためのフェール・セーフやバックアップのシステムが十分に整備されて
いないことが多い。
巨大システムの事故では、辺縁部で起こりやすく、それが全体の破局につながる
ことがあるのに、行政も技術者もそのことの認識がうすい。
・JCOはウラン燃料の精製加工工場で、再処理工場に比べ、危険性は少ないとみられ、
国の安全管理基準も相対的に甘かった。
・JCOは工程を簡便化した違法な作業マニュアルを作った。
・事故当時、作業員はその違法作業マニュアルにも違反して作業をしていた。
・沈殿槽のウランの量が危険な水準になっても、知らせる警報装置がなかった。
・ウランが核分裂を起こしたとき、敷地内の警報装置が警報音を出したが、事故現場
を示すものでなかったので、所員は発生場所の特定に手間取った。
・被爆した作業員を救助するため、119番通報したが、放射能漏れ事故を伝えない
ため、救助隊員は用意してあった防護服を着ないで出動した。
・JCOは科学技術庁に、事故発生の35分以上も後に連絡した。
今回の臨界事故は、原発本体の安全性とは関係がないという人がいるかもしれない。
原子力利用の事業を分割・分業化している、業界の理論としてはそうなるだろうが、
住民はそう思わないだろう。安全の論理から言えば、核燃料製造、輸送、発電、
再処理のすべての過程において同じレベルで安全性が確保されなければ安全とはいえない。
辺縁部の安全性を中枢部と同じレベルに引き上げるには、それなりの設備投資、
点検保守の投資、管理者・作業員に対する教育が必要である。
中枢部だけ力を入れ、辺縁部に手抜きをすると今回のような事故がまた起こるであろう。
(週刊文春 10月14日号を参考にしました)