無血による軍事占領

日本政府は、1945年8月14日、ポツダム宣言
を受諾し、連合国側に対し無条件降伏を通告した。
ところが、ソ連極東軍総司令官のアレクサンドル・ワシ
ャレフスキーは、8月19日にクリル列島の占領命令
を出した。日本軍は武器を捨てて降伏したので、ソ連
軍は南樺太、クリル列島への進駐を難なく遂行した。

すなわち、8月31日までには、シュムシュ島から
ウルップ島までの占拠を完了した。

ソ連軍の北方四島占領は、8月28日に開始され、
9月5日に完了した。
すなわち、8月28日夜択捉(えとろふ)島への上陸が始まり、
1万3500人からなる日本軍は、同様になんら抵抗
することもなく降伏した。
9月1日、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島
への上陸が敢行された。

このようにして、『第二次世界大戦史』、『軍事百
科事典』をはしめとするソ連のすべての出版物は、
クリル列島占領は「9月1日』完了と記す。そして日
本は9月2日、ミズリー艦上で、重光葵外相が連合国
との降伏文書に調印した。

ところが、これら三島ヘ上陸した後の時期となって
初めて、ソ連最高司令部は歯舞群島も占領する決定を
行ったのである。

9月3日、ソ連軍は歯舞群島を構成する島々への上
睦を開始し、全島への占領を完了したのは9月5日の
ことだった。

このようにして、ロシアの日露研究家の一人である
ポリス・スラビンスキー氏(世界軽済・国際関係研究
所)は結論する。

「南千島だけを取り上げるならば、国際法上、北方
領土の占領は、日本が連合国の条件を飲んで降伏し、
軍事行動を停止した後となって、無血でなされた軍事
占領である」(『イズベスチヤ』1992年5月26日)。
(国際日本文化研究センター教授    本村汎)

参考文献:地球日本史 300、北の国境画定 5、
 産経新聞 平成10年11月6日