西欧の先を見た教育改革 5
江戸時代の儒者たちは中国の科挙のような大胆な人 材発掘法は徳川の世襲身分制度を脅かすのではないか と恐れる一方、人材登用を逃げている幕府の方針にあ る種の負い目を抱いていた。例えば荻生徂徠は『けん園 随筆』の中で、しきりに中国の試験制度の不合理をな じり、小人が成功し君子が失敗するのが試験の常で、 試験などで選ばれたような官吏は道徳的に無責任で自 堕落だと、しきりに弁解めいた言辞をはいている。事 実、明の末ごろから中国の科挙は腐敗し、賄賂が横行 していた。 江戸時代はたしかに階層の移動が低い固定社会であ った。中期ごろから養子制度等によって若干ゆるむ が、決して能力主義の導入ではなかった。町人の世界 では「家」を単位とした能力競争、例えば有能な番頭 が主家の娘と結婚し主人になる等の風習も少しは出て くるが、武士農民には無関係だった。学問の能力競争 が人間の序列を動かし始めるのは(例えば緒方洪庵や 広瀬淡窓の私塾で)完全に幕末と言われる時代に入っ てからのできごとである。 こう考えると、教育競争によって、門閥特権階層を なくし、「支配階級の構成・文化両面における非連続 性」(R・P・ドーア)を引き起こした明治維新の他 国に例のない速度と実行力は、何度もいうようだが、 ただごとではなかった。しかしさらに奇妙なのは、そ うしてできあがった「平等」な近代社会がずっと能力競 争を続けている社会かというと疑問があることであ る。教育の競争は続いているが、社会における赤裸々 な個人競争はできるだけ避け、優劣を目立たぬように する傾向が底流で極めて根強いのが日本社会である。 「競争」を嫌う社会 日本の現代社会は、年功序列がこわれているとはい えアメリカのように面子丸つぶれのドラスティックな 降格人事は決してしない。他の部署への左遷はあって も、昨日の部下を今日から上司と仰がせるような割り 切った措置はしない。同時に、大企業で二十代の青年 をいきなり副社長に抜擢するような人事もしない。 『福翁自伝』の中に、福沢がある経済論の翻訳で、 competitionに思案の末「競争」という訳語を当て はめ、幕府のご勘定がたに見せると、「どうもこれは 穏やかでない」「西洋の流儀はキツイものだね」「何 分ドウも御老中方に御覧んに入れることが出来ない」 というので、やむなくこの語を真っ黒に消した訳文を 幕府に提出した、というエピソードがある。このよう に競争という概念を嫌うのは江戸時代も現代も同じよ うに思える。現代の日本でも、ほぼ同じ資格で雇った 人に対してはできるだけ長く同じ給与を払うという慣 行がある。相当年数働き勤務ぶりに開きが生じても、 著しい差でない限り、露骨な給与格差はつくらない。 勤務ぶりのいい方もそれを不服としない。しかし、欧 米世界では優劣に対応しない報酬は不公平で、かえっ て「平等」の原則に反することになる。 徳を磨く人間教育 日本では「平等」という概念と「競争」という概念 とは決して両立しない。 「学制発布」の結果「平等な社会」が実現した、と 今まで数字を挙げて述べてきたが、日本人は心の底で 競争を嫌い、辛い闘いを強いられる「平等」もいやだ という点では、江戸時代と現代日本とは本質的に何も 変わっていないのではないか。支配者層は交替したか もしれないが、歴史の「非連続」は起きていないとみ るべきだろう。 明治維新が暴力を用いないでそれより以上の効果を あげた革命 ー 暴力革命はむしろ革命直後の権力の維持 を最大目的とするためかえって歴史の発展が停止、保 守化する ― であったことを認めるのに吝かではない。 けれども、文化意識は江戸時代と何も変わっていな い。科挙のような試験は今の日本人も嫌いである。 としたら、明治以後の日本を救った教育への国民的 情熱は何だったのだろうか。江戸時代を通じ日本人 の識字率は高く、教育自体に高い価値が与えられてい た。役所の通達が道端の「高札」で民衆の末端に届 いた国は当時他に例がない。加えて、人間は誰でも 教育によって徳ある存在になりうる、聖人学んで至る べし、の理想が江戸の初期からあった。中江藤樹を見 よ。徳と知を一体にした全的な自己教育の理想、人間 は徳を磨くことで上位の存在に変わり得る、という人 間可変性の観念が徳川体制の身分秩序の固まっていく 十七世紀にすでに萌していた意味はきわめて大きい。 江戸時代から日本人の価値観はむしろ一貫して動か なかったというべきではないだろうか。 (評論家 西尾幹ニ)
(はじめて書かれる地球日本史315 平成10年11月25日 産経新聞)