歌謡界の大作詞家「高橋掬太郎 たかはしきくたろう」

高橋掬太郎は、非常に多くの歌謡曲を作詞しています。
根室の国後島の生まれといいます。

高橋掬太郎は明治34(1901)年に生まれ、昭和45(1970)に
東京において69歳で亡くなっています。

父親は岩手県出身の漁師でした。したがって、高橋掬太郎の本籍地は
岩手県沼宮内なのです。

本人が語るところによると「私は郷里が盛岡で在である。現在函館日々新聞社に
在るということから余計に(石川啄木)氏に対する思慕を覚える。」
(『流氷』啄木追憶号5月号、大正15年、根室流氷詩社)、
また自伝の中で、「私は岩手県人だが、生まれたのも育ったのも北海道で、
19歳のとき父を失い、根室新聞社を振り出しに新聞記者生活に入った」
(『方(さんずい)々詩舎30年のすべて』昭和48年)と書いている。

「酒は涙か溜息か」を昭和6年に発表してから、高橋掬太郎は歌謡曲の作詞家
として大活躍しました。

函館時代から若手作詞家、作曲家の育成にも力を注ぎ、昭和16年には
方(さんずい)々詩舎を設立して約2000人の門下生を育て、多くの作家を
輩出しました。

昭和43年には「多年作詩に精進し、多くのすぐれた作品を発表するとともに
後進の育成に努めてよく大衆歌曲の向上に寄与」した実績が認められて紫綬褒章
を受けました。

ここに主な曲を紹介します。
(あまりにも沢山あるが、自分の記憶にあるものをとりあえず)

酒は涙か溜息か 作曲者(古賀政雄) 歌手(藤山一郎)
並木の雨 作曲者(原野為二【池田不二男】) 歌手(ミス・コロンビア)
船頭可愛いや 作曲者(古関裕而) 歌手(音丸)
雨に咲く花 作曲者(池田不二男) 歌手(関 種子)
啼くな小鳩よ 作曲者(飯田三郎) 歌手(岡 晴夫)
ここに幸あり 作曲者(飯田三郎) 歌手(大津美子)
一本刀土俵入り 作曲者(細川潤一) 歌手(三橋美智也)
草笛の丘 作曲者(飯田三郎) 歌手(三橋美智也)
古城 作曲者(細川潤一) 歌手(三橋美智也)
北海の終列車 作曲者(中野忠晴) 歌手(三橋美智也)
石狩川悲歌 作曲者(江口浩司) 歌手(三橋美智也)
ああ大阪城 作曲者(細川潤一) 歌手(三橋美智也)       

参考文献:荒木さやか、高橋掬太郎関係収蔵作品目録
根室市博物館開設準備室だより No.12(1997.5), No.13(1998.5)