樺太にあった日露国境標石の帰還

昨日、根室高校の後輩のK氏(盛岡のコンサルタント勤務)から
いただいた資料を見て、とりあえずメモを書きます。

サハリンのユジノサハリンスク駐在だった北海道新聞記者が、
日露国境標石を根室市がロシア人から購入した顛末記を書いていました。

南側には16花弁の菊の紋章と「大日本帝国」、
北側には帝政ロシアと現ロシアの国章である双頭の鷲と「POCCiЯ」
が刻まれている。

この標石は4個あったが、他は撤去され、第2号だけ現地のロシア人が保管していた。
彼は高く買ってくれる日本人に売りたかったようだが、2003年根室市に
完成する根室・千島博物館に展示され、日露の交流の歴史の参考になるならと
結局、(ほかより安い金額で)売ってくれたという。

ただし、日本政府とくに外務省(もと日本の領有権のあった場所だから)、
大蔵省(国の資産台帳の関係)に伺いをたて、
よろしいとなったら、ロシア文化省極東代表の許可をとりつけるという
めんどうな手続きがあったとのこと。無事すんで、根室に保管されてある。

なお、ユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館には、3号の標石が展示されている。
しかし、この3号標石は、今回買い取った2号標石にくらべ、彫りが見劣りがして、
複製品ではないかと、著者は思っていた。

詳細は省略するが、この3号標石はやはりレプリカであるという結論を得た。

1938(昭和13)年、岡田嘉子と杉本良吉が、この3号標石を見たいと国境警備の
警官に申し出て、すきを見て国境を越えてソ連領に入った事件の後、
国境地帯に一般人の立ち会いが禁止された。

そこで、樺太庁外郭団体の「樺太文化振興会」が観光客のために複製品を作り、
樺太庁博物館(現サハリン州郷土博物館)の前庭に設置したのであった。

敗戦後日本人は引き上げ、同じ場所に後からできたサハリン州博物館では、
これは複製品ではなく、本物と思っていたらしい。

参考文献:相原秀起、サハリンからの証言者  日露国境標石の帰還によせて
根室市博物館開設準備室紀要 第12号、1998.3