人を殺すことはなぜいけないのか
瀬戸内寂聴の説明
「なぜ人を殺すのか」と聞かれると、今の子は 「人を殺してなぜ悪いの」と聞き返してくる。 そうすると、親も先生も答えられない。なんというばかなことであろうか。 人を殺すのは悪い、盗むのは悪い、嘘をつくのは悪い。 これは仏教でいえば戒律である。「人間として絶対にしてはいけない」ことなのである。 人間である証拠のバッジのようなきまりなのである。 「してはいけない」ということが、人間には初めからあるのである。 人をいじめたらいけない。今政治家は嘘ばかりついているが、嘘をついてはいけない。 盗んではいけない。 屁理屈など何もいらない。「してはいけないよ」というのではなく 「するな」と言うべきことなのである。 そういうことをまだ子どもが小さいときに、小学校に上がる前から頭にたたき込むのは、 これは親の責任である。 学校の先生がだめだから、子どもの教育がだめになったと親は言うが、 それだけが原因ではない。まず、親が家でしつけなければならない。 それから学校に行ったら、先生が教育してくれなければならない。 なぜ人を殺してはいけないのか 「お前は人間に生まれたから殺してはいけないんだ」と答えるべきである。 理屈も何もない。人間は人を殺してはいけないのである。 人間は人を殺してはいけない。それなのに戦争に行って相手を殺さなかったら、 卑怯者ということになる。だから、人が人を殺すことが正当化される戦争は、 絶対によくない。 戦争がなくなるように、平和であるようにと祈るのは、人間が人を殺しては いけないからなのである。 少年が「ちょっと殺してみたかった」という事件まであった。 殺してみなければ結果がわからない。それは、想像力の欠如である。 私たちはみんな想像力をもって生まれている。しかし、想像力は絶えず鍛えて いないと衰えるもの。想像力を鍛えるには、どうすればよいか。 それは本を読むことである。私たちは、なぜ芝居や映画を観るのか。 なぜそれらは存在するのか。それは想像力を養えるからなのである。