人を殺すことはなぜいけないのか
平成12年度1年生の回答

ちまたで殺人事件がマスコミで報道されています。
気のせいか、簡単に人の命をうばう風潮があるように思われます。
ある有名な人が言っていましたが、生命の倫理というか、殺人がなぜいけないのか
わからない若者が増えているというのです。
なぜ人を殺してはいけないのか、あたりまえすぎることだが、ここで改めて
考えてみたいと思います。
以下に1年生の回答の中から紹介します。

なぜ人を殺すことはいけないのか

 なぜ人を殺してはいけないのか? それは人間社会を簡単運用するための次善策であるからである。 もし、人殺しが合法ならば、 生産活動より略奪するほうが楽だと考える人が出てきたりする。 そうなると、必然的に全体の生産量が落ちてしまう、 限られた製品をめぐって略奪が増加する、 このループが繰り返されると、種全体の文明が低下してしまう。 こうなってしまうとうまくないので、 それでは、全員が納得できないが、 我慢できるラインを作ろうとして生まれたモノがこの約束。  バタフライ効果という仮説がある。 東京で蝶が飛ぶとサンフランシスコで竜巻が発生するとする、 つまり、歴史は連続体であり、それは相互作用によって定まる。 人を殺すことは大きなベクトルを歴史に加える行為であり、 その責任を取れない。(歴史をフィードバックできないため) 責任を取れないことはしてはいけないので、 人を殺してはいけない 人を殺してもいいかどうか 1.自分の興味の為に人を殺す。 殺す対象が他人であってはならない。他人に迷惑がかかる場合があるので。 殺人願望を押さえ切れない場合、自分をその対象とする。これには家族、 本人、公的機関の了承を必要とする。 2・恨みによって人を殺す。 殺人者に恨みを持つ場合、被害者の身内・友人に限り公的機関に訴訟を起こ し、認められたら死刑執行権を与える。その場合、被害者と出来るだけ同じ 方法で執行する。殺人及びそれに類する行為があった場合のみであって、そ の他についてはこれに拠らない。 なんて2項目について考えていましたが、人を殺す理由なんてたくさんある ので一概には言えないようです。それでも一つ取り入れて欲しい制度は、殺 人による被害者のリベンジ制度で、被害者と同じ方法若しくは罪を階級分け してそれにより、より残忍な方法で死刑を執行するというものです。目には 目を、歯には歯をみたいに。そうすれば殺人だってちょっとは減るかも。 ヒトラーみたいな奴なら殺してもいいとおもいます。なんて今だから言える ようなもんで、あの時代では犯罪者かどうかの判断が難しかったかも。「5 人殺したって犯罪者、しかし1000人殺せば英雄にもなれる」みたいな事 を言ってた映画があったけど。 少年法っていかがなものでしょうか?おれは少年でも結構死刑にしてもいい と思います。それもやっぱり程度によりますが。 自分が殺されていやなら、あんまり人を殺すのはやめた方がいいと思う。殺 人を犯した奴にはそれを思い知らせてやれるように身をもって味あわせてや ればいいと思う(2のような死刑はぱっと簡単にはさせられないが)。   (一人の人間が死ぬときは悲劇だ。何万人の人間が死ぬときは統計だ。スターリン) 私は人を殺してはいけないと思う。牛や豚が殺されるのは確かにかわいそうだけど、 食べるという目的があって殺すのだから仕方ないと思う。だけど、人が人を殺すと いうのは、悲しみと憎しみばかりが残るのでよくない。同じ人間同士、どんなことが あっても殺していい理由などあってはいけないと思う。それに、法律で決まっている ということは、やはりいけないことだと思う。最近殺人事件が多いようだが、良い悪い の判断が正しくできる人が減ってきているように思える。 「どうして人を殺してはいけないのか」、私なりに考えた答は、命は尊いものであるから ということです。 人の命が誕生するということは、とても奇跡的なことだと思います。そして、その誕生 からその人の人生が始まります。その人生には、楽しいこと、うれしいことがあれば、 悲しいこと、苦しいこともあります。どんな人生であろうと生きているということは、 たくさんの可能性があると思います。そして、人を殺すということは、殺された人の その様々な可能性をつぶす行為だと思います。また、すべての可能性を失わないにしても、 殺人を起こした人も可能性を失うでしょう。可能性は人様々だと思いますが、たとえば、 会社をおこして成功、運命の人との出会いなど、幸せなこともきっとあると思います。 それを人を殺すことでつぶしてしまうのです。そう考えると、人を殺す権利など誰にも ないと思います。奇跡的に誕生した命はいろいろなものを背負い、より尊いものに なっていくと思います。人は人と出会います。そして、その人の命が存在することに より意味づけられていくと思います。だから、人を殺すと、殺された人の周りの人々にも、 悲しい思いをされることになります。このことも考えると、ますます、人を殺しては いけないと思います。 人を殺すことがいけないと思っていない人には、命がどんなに尊いものかを考えて ほしいと思います。最近、急増した少年による殺人事件を見ていると、命が尊いことを 誰かが早い時期に教えて、考えさせる必要があると思います。 最近、若者が人を殺す事件が多発している。 彼らは人を殺すことが悪いことだと知らないわけではないし、自分の冒した行動にも 後から反省している。 では、なぜこのような状況になってしまったのだろうか。 それはたぶん、近頃の若者がものごとをよく考えないで行動するからだと思う。 だから、若者に我慢が足りなくなってきたという意見に、あえて反対しないし、 それに通じるところはあると思われる。 ニュースで殺害の動機を報道しているが、大概が邪魔だから殺したという例ばかりだ。 人は自分を不快にさせる者は、皆邪魔者と判断する。しかし、自分もその人にとって 邪魔であることをしろうとしない。いや、考えないものかもしれない。だから、その人 との関係を深めないようにすればいいものを、その人を殺すということで解決して しまうのである。これは、精神的に弱いからだと私は思う。若者は、精神が未発達の 状態であるからかもしれない。周囲とのコミュニケーションも一つの精神発達の段階 なのかと思う。 人を殺すことは、法律で決められているようにいけないことである。それは、生きる 自由あるいはもろもろの人の自由というものをうばい取ってしまうことでもあるし、 これからの自分の自由(将来)を自らの手で壊してしまうことでもある。 だから、私は人を殺そうとも思わないし、自殺しようとも思わない。 もっと熟考した行動を互いにとり合うようにしてほしいものである。 人を殺すということは、人間として最もやっていけない行為である。テレビや新聞で 殺人という言葉を聞かない日がないほど殺人事件が毎日起こっている。中には体を バラバラにしたり、暴行を加えた上で生き埋めにしてしまうような、人間とは思えない 残忍な方法で人を殺す。そして、最近特に17歳の少年による殺人事件が顕著に なってきている。これらの少年が人を殺してしまう原因は、自分が気に入らないことに よる一瞬の感情的な高まり、要するにキレて犯行におよんでしまうのだと思う。 今では裁判にかけても刑期が短かったり、被害者の遺族が望むような刑罰が科せられ なかったりする場合がほとんどであるため、国会で少年法の見直しが検討されるほど 重要な社会問題にまで発展している。 人が人を殺す理由として3種類ほどあると僕は考える。1つ目は前に述べたように 衝動的な感情に駆られ、キレて人を殺してしまう。2つ目は、ねたみ、恨みからくる 人間関係の悪化だと思う。誰でも陰で嫌みを言われたり、自慢されたりするのは嫌で ある。そんなことは気にしない大らかな人であればよいが、そういうことの受け取り方 は人それぞれであるから、そういうわけにもいかない。以前、近所の人に嫌味を言われ 続けてきたために、その人の娘を殺してしまったという悲しい事件があったが、この 場合は一時的ではなく、長期に渡る恨みが蓄積して、精神的に耐えきれなくなり犯行に およんでしまったものだと思う。自分でもとんでもない行動を起こしてしまったという のもあると思う。3つ目は、快楽殺人者。本でしか読んだことがないのでよくわからない けど、これらの人は幼い頃に、両親から虐待を受けている場合が多いらしい。 他にも、国のためや、宗教的対立、民族紛争などいろいろな理由がある。今、パレスチナ 住民とイスラエルの間で対立が激化している。事の発端は、自分たちと宗教を異にする (異国の)政府の公人が、自分たちの聖域に足を踏み入れたかららしい。現在は和平調停 がなされ停戦状態らしいけど、いつまた勃発するかわからない。 このように自分たちが納得いかない事に対しては、犠牲者を出してでも解決していまのが 人間の本能なのかもしれない。だからと言って殺人を肯定することはできない。これから 先、「人を殺す」という愚かな行為の過ちに気づき、世界中の誰もが人生を全うすること ができる日が来ることを僕は願う。 ....................................................... 人を殺すことについて許せるか許せないか、どちらかを選ぶことは、はっきりと自分 でもわからないというのが本当の自分の考えである。 人を殺すことを許せるというからといって、すべての殺すことを許せるわけではないと 思う。今は、殺すことにいきつくまでの理由もなく殺すことまであるので、すべての 殺すことを許してしまったら、そのような無差別殺人まで許してしまうことになる。 人を殺すことを許せないということになると、もし、自分の身近な人が無差別殺人などに、 まきこまれたら、その相手を殺すという感情になってしまうかもしれないので、殺す ことを許せないときめることはできない。 人を殺していけないのはなぜなのか?何でダメなのでしょうか?人々の大半は、人を 殺したくなったことがあると思う。その時、人の感情は怒り憎しみ等でいっぱいで あるはずだ。でも、そこで実行しないのは良心というものがあるからだ。殺したら、 誰かにうらまれるかもとか、家族が悲しむかもとか、法に罰せられるのは嫌とか 様々な事が浮かんでくる。だから、殺してはいけない。 人間は魚や動物を殺すのは生きるために食べるから必要であり、人間は人間を殺す必要が ないから、殺してはいけない。 野生の動物→秩序がない→無法地帯→弱肉強食→殺らなきゃ殺られる  →相手の動物を殺す→生きるため 人間社会→秩序がある→法治国家→弱肉強食的要素が薄い→殺らなくても殺られない  →生きるために殺す必要がない しかし、極限の場合、たとえば人から殺されそうになったら、正当防衛として 立ち向かうことは許される。 戦争もそういう一種の極限の状態であろう。 戦争はともかく、昔は国のためということが言われたが、最近は個人の時代と言われ 国や共同体への意識の低下から、人のことなど考えない自分勝手な人間が増えている。 その結果「国のために」に殺す人間はいなくなったが、「個人のために」殺す人間が 急増したと思う。 あまりにも「個人」がもてはやされると、自分のことしか考えない人間が安易な行動や 快楽主義、拝金主義に走るのではないだろうか。