方言

インターネットの掲示板などでは、議論が続けられることがあります。
お互いに日本語で議論しながら、各自の使う言葉の定義が違っていたりして、
自分の考えていることと相手の考えていることが、ずれていたりします。
こんなことを体験するにつけ。顔の見えないインターネットでは、
少し複雑な議論をするのは適当ではないなと思います。

以下にある掲示板の記事をメモします。

>東京弁が日本語だと思うのは、東京人の奢りだと感じます。

私もそう思うことがあります。
同様に、大阪の言葉を話さないと、暗にコミュニケーション仲間に受け入れてくれない
という大阪人のいやがらせも聞いたことがあります。

>これの東京人バージョン、かなりありますよ。
>実際、仕事場でそれにあって、ノイローゼになりかけた関西人
>を数人、知っています。アクセントが関西風だというので笑われ、
>関西の言葉が出ると「何言ってんのかわかんない。ちゃんと
>日本語しゃべりなよ!」「ふざけてんの?」と言われるのです。
>「日本語勉強すれば?」とか。
>反論しても「冗談もわかんないの?」と返されるのです。

私に言わせると、みんな心が狭い。もっとも、心の広い人間になったら
悟りをひらいて、もう人生がない人かもしれませんが。
 
>「関西の人は言葉づかいが婉曲的で、その内容はストレート」、
>「関東の人は言葉づかいはストレートで、その内容ははっきりしない」
 
しばしば、関西から来た人に言われますが、私にはわかりません。
たとえば宴会で座の雰囲気をもり立てようと努力するのが関西人なのに
東北人はむっつり飲むだけ。もっと関西人みたいに大人になろうよと言われますが。
具体的な例をあげながら説明してもらったら、私にもわかるのですが。
でも、具体的なことを書くと、いろいろさしさわりがあるかもしれませんね。
 
>心と言葉が一致している大阪人の方が私には楽なんですよ。
>(これが京都となると、また言葉と心が一致していないという現象も見られるのですが。)

京都で、お客に、お茶漬けを用意すると言われても、それはえん曲な表現で
実際は帰ってくれということ。間違っても、お茶漬けを待っていてはいけないと
聞きますね。大阪と京都で、表現が違うというのも、体験の少ない私には
まだ理解できません。
 
>言葉というのは、実際に使う単語一つ一つの他に、話す内容や声、
>そして話し方によって、かなり印象が違うものですよね。
>話している人の人柄に影響される部分もあると思います。
 
これは大いにありえますね。
同じことを言っても、相手の生活環境によって、相手の経験によって、
受け取られ方は大いに違うと思います。
 
ドイツ人でも、自分の地方の言葉を一番愛するように、
中国人も、たとえば上海人は上海の言葉が一番だと思って、北京や香港の言葉を
馬鹿にするように。
日本人も、自分の地方の言葉が一番だと思うのはしかたのないことですね。
自分の言葉が否定されたら悲しいように、相手の言葉も大切にして
あげたいものです。
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言葉のことでは、みんな不愉快な思いをしているようです。
その中で生活している人間が、他から自分たちの言葉のことで悪く言われたら
気分を悪くする。
また、自分の住んでいた土地を離れて、よその土地にいった人間が
新しい地で、自分が今まで使い慣れた言葉を話したら、笑われたりすると
やっぱり悲しくなります。
これは両方あります。だから、一方だけ議論しても片手おちなんです。
 
東京の人は、自分の土地の言葉が標準語なんだから、この言葉を使わない
地方人には、ある種の反応をします。自分で気がつかなくても、相手には
特別の印象を与えてしまいます。
関西人は、東京人のその無礼さに対抗するように、関西の言葉を話し通します。
しかし、気の弱い東北人は、言葉を笑われたら、無口になるだけ。
 
東北の中でも、各県によって言葉は微妙に違います。
テレビドラマで話される東北弁は国籍不明の言葉です。よほどしっかりした
チェックを受けていないと、ごちゃまぜのへんてこな東北弁になっています。
私の岩手県でも、南部の言葉と伊達の言葉の通じる所は、明治前の歴史が違います。
もともと違う藩にいたのだから、風習も違う。
そんなこんなで、ちょっとした言葉づかいが違うので、毎日あつれきがある
そういうこともあります。
 
私がこちらに来てから、しばらく仙台に行って仕事をすることがありました。
「盛岡から来た」と言った場合と、その前にいた場所の「札幌から来た」
と言った場合の、相手の反応が違うのに気がつきました。

私は北海道人といえばそうだし、東北の人間ともいえるくらいこちらに長く
いますので、それぞれの立場の利点や欠点に気がついて、
どこでも自慢すべき点や反省すべき点があるものだと思っていますが
やはり、皆さん自分のお国自慢は好きですが、悪く言われることには我慢が
ならないようです。
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>「異郷人」が自分たちの言葉を使うと、いちばんナーヴァスになる。

関西人は、「反発する」とはあえて書きませんでした。はっきり嫌がる人もいる
けれど、「下手やなぁ、訛っとるで」と、ニヤニヤする人もけっこういるから。

>それは、真似をする状況によるのではないかしら?!
>言葉というのは、実際に使う単語一つ一つの他に、話す内容や声、
>そして話し方によって、かなり印象が違うものですよね。
>話している人の人柄に影響される部分もあると思います。

あとは本人どうしとは関係ない、「日本語の標準語と地方語の『優劣意識』」ですよね。
「いちばんナーヴァス」という言い方はやっぱり適当ではなくって、
「はっきり反応する」と言うべきだったかな。関西人は、難波弁や河内弁,
京言葉などを代表に、「地方語」としていちおう全国区で認められてるから、
不快そうにしても、まだ余裕があるんです。
私がバイリッシュ真似して、バイエルン人が笑ってくれたのも、似たようなところが
あると思う。
これがドイツならザクセン弁とか,日本語でも低く見られてる地方語だったりすると、
そうはいかない。例えば私は北関東弁が好きだと書いたけれど、一般には馬鹿に
されやすい言葉だから、栃木出身の後輩は、「標準語」を問題なく使えるように
なるまで、いつも口に手を当てて,下向いてしゃべってました。男性だったんだけど、
「お前オカマみたいだな」ってからかわれて、「いや、栃木弁恥ずかしいんです」って。
そういう人の前で他郷人が○○弁を使うには、まず本人が「劣等感」を克服することと,
周りが「優越感」を感じさせないように心配りすることと、両方の働きかけが必要です
よね。
当時の私は、まだ北関東アクセントをマスターしてなかったんだけど...今教室で、
この努力がうまくいくと、「日本語」の話もリラックスしてできるようになるんです。
私がしゃべるだけでなく、いろんな地方出身の学生も、自己主張してくるようになります。
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>自分の意見をはっきり言うことと、思ったままになんでも言うのは
>違いますよね?特に方言のように、その人の根本を成す
>もの、その人のアイデンティティーの一部であるもの
>についてコメントするときは、それなりに慎重に言葉を
>選び、自分の意見を伝えることが大切ではありませんか?
 
顔の見えないインターネットでは、十分慎重にしないといけない。
そんなに気をつけていても、やはり、各自の言葉の定義の違いとか、
アクセントやイントネーション情報がないから誤解される。

東京地方の人が、東京地方以外の言葉を聞く機会というのはめったにありません。
テレビもほとんど標準語か東京弁。関西の芸人などが関西弁をしゃべりますが、
それもごく少数で、かなり東京慣れした関西人なので、わかりやすい関西弁を
話します。だから、本物の関西弁を耳にすると、何を言ってるのか分からない、
という状況になります。

東京地方以外の人は、標準語・東京弁を耳にする機会はたくさんありますよね。
この違いは大きいと思います。
聞き慣れていても、関西の人は東京弁を「きつい」と感じるのですよね。

おそらく、○○さんが私としゃべっても、『私の』話す言葉を「きつい」と
感じることでしょう。私の言葉すべてに対してではなくても、ちょこちょこと
感じるんじゃないかと思います。
それで○○さんが、私という人間を「きつい」と思ってしまったら悲しいけれど、
言葉が「きつい」と言われる分にはしょうがない、と思っています。
聞き慣れない言葉なら、しょうがない、って思うから。

私は、しゃべっている相手に対して「関西弁っていやらしい」と言ったことは
ありません。しゃべってる相手の関西弁に対して、「いやらしい」と思ったことは
ないから、言う必要もありませんでした。
だから、掲示板でも控えるべきでした。

逆に、私は関西人に「東京弁ってきつい」とか「こわい」とか面と向かって言われ
たことが何度もあります。私のしゃべる言葉を「きつい」「こわい」と言うのです。
 #東京に住んでたことのある関西の人は言いませんが。
  聞き慣れていて、私の言葉は普通だと思うのでしょう。
言われるのは慣れましたが。
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感じたことを表現する言葉に、「いやらしい」という言葉を使ったことも
まちがっていたわけです。
某MLでも話題になっていましたが、子供の頃からその国(この場合は地方)で
育っていないと、その言葉を本当の意味でマスターすることはできない、
それはドイツ語で実感していました。私のドイツ語が完璧になることはないだろう、
って。
ということは、私はたくさん間違えて関西弁を憶えているだろうから、
関西弁で、感情を表す表現は使ってはいけない、と思いました。
私は東京弁で感情を育ててきたわけです。
あとからおぼえた関西弁の感情の表現は、私のものではありません。
今後、私の中にある関西弁の表現は、私の中から消さねばなりません。
いつ、うっかり使ってしまうかわからないから。
ドイツ語もちょっとやらなければ忘れるから、関西弁もそのうち消えるでしょう。
消えなくても、鍵をかけてしまっておこうと思います。
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関西では「やらしい(いやらしい、ではない)」は
もっと軽い意味で使われていると思います。
だから関西弁のイントネーションで聞いていたら
そんなに気にならないと思います。ただ、掲示板では
イントネーションはわからないですし、☆☆さんが
東京弁をしゃべる人という前提があったので、
☆☆さんが思っていた以上にきつく聞こえたのでしょう。
私が一番感じたのは、「☆☆さん、関西の人に反感買うよー。」です。
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私は熊本に三年ほど住んでいましたが、その時こんなお話を聞きました。
      もう60過ぎの方ですが、東京生まれの東京育ちだったので熊本弁が分から
      ず、上司に「これなおしておいて」と言われ、文書を訂正したのだそうです。
      そうしたら、怒られたの何の!なおすは関西と同じく、しまうという意味だ
      ったのです。熊本にも色々面白い方言があります。その話をきっかけに盛り
      上ったりしました。方言は人間関係を潤滑にしてくれます。
      私には方言がないので、同じ地方の人同士が方言を話している
      のを聞くとうらやましいですね。すごくほっとするのでしょうね。
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シルクロード研究の某先生、うっかり内モンゴルで「私は霍去病(かくきょへい)が
好きです」と言うと、「彼は匈奴を倒した側じゃないか」といやな顔をされたそうです。
内モンゴルは中国でも、やはり、匈奴の故郷だから。
うっかりしたことも言えない。

よく言われることですが
インターネットででもパソコン通信ででも、政治と宗教については
書かない方がよいと言われます。

それは、たいてい自分の信じているものがあって、
誰でも自分のいだいているものが最良と考えているから、そのことを
批判されたりするとムキになるのです。しかも、議論しても結論は出ない。

そういうテーマが出ると、議論は罵倒合戦に変わり、フレームとなり
その掲示板は崩壊します。何度かそういう場面を見ている私は、そういうテーマを
避けていました。

しかし、参加しているある国の文化に関する掲示板に慣れてきたのと、
その国の文化をさらによく理解するために、その国の文化を周りの国の文化との
比較でみようとして、若干の比較文化の話題を書いたつもりでした。
これが失敗の元。私の書き込みをきっかけに、ものすごい激論になってしまいました。

詮索好きドイツ人→東北人
都会人イギリス人→東京人
開放的アメリカ人→北海道人
と書いたから、たまらない。これは私のアイデアというより他でも紹介されている
説で、私のホームページの中にも詳しく書いてあることなんですが、
人によっては刺激的だったらしい。

○○国文化は存在する。そのプラスの面とマイナス面はある。
同様に、関西文化は依然として存在する。
関東文化も東北文化も九州文化も、それぞれ存在する。
☆ビールが好きか、◎ビールが好きか。それは議論してもしようのないこと。
それぞれの文化の特徴を語り合うことによって、さらによく知ることができ、
ついには自分が何者であるかを勉強することになると思うのですが。