山内丸山遺跡から学ぶ
山内丸山遺跡から学ぶ
土木学会東北支部の毎年恒例の講話会を聞いて
話題提供者 青森公立大学 調査役 藤川直迪(なおみち)氏
すでに1623年「永禄日記」に記載されているが、
本当は1799年の菅江真澄「すみかの山」で報告されたのを、遡って「永禄日記」に
記載したのではないか。
昭和27年に、青森県内最初の竪穴住居跡の検出があった。
昭和51年青森国体開催に伴う駐車場建設のための調査をして、墓地が発見された。
平成4年県営野球場建設のために調査が行われた。
そして日本最大規模の発掘調査がされている。
公共事業があったから遺跡発掘がされた。公共事業の意義を認めたい。
位置は青森市郊外、青森駅から約3km。
昔は温暖で海岸線がここらあたりであったと思われる。
年代は縄文時代前期中頃から中期終り頃(約5500年〜4000年前)
どんな生活をしていたか、その資料がだんだん発掘されている。
定住した狩猟民族がいたとは、定説を見直すもの。
特徴は、大きい、長い、多い。
巨大木柱の発見 平成6年7月
遺跡永久保存の決定 平成6年8月
国史跡指定 平成9年3月
巨大木柱6本 クリの木
時代 約4500年前(縄文時代中期後半)
直径 1メートル
柱穴の直径 2メートル
柱穴の深さ 2.5メートル
柱と柱の間隔 約4.2メートル(単位35センチメートル) 35センチは縄文尺
内転び 約2度
木柱下の荷重 平方メートル当り約16トン
通気性のない粘土質から木柱見つかる。
巨大柱遺構の復元 高さ17メートル
出雲大社 現在24m 平安時代48m 上古97m
東大寺大仏殿 45m
京都御所大極殿 36m
源為憲「口遊くちづさみ」(970)雲太(うんた)、和二(わじ)、京三(きょうさん)
柱 ハシ(橋・端・箸) 梯子、艀
諏訪大社の御柱祭
祝詞「底(した)つ岩根(いわね)に宮柱太(みやばしらふと)しき立て」
神殿説・縄文都市説
都市は物の集まるところ、情報の集まるところ、神のお告げ(情報)
富山石動市小矢部遺跡 高床式、屋根、ぬき
縄文人の”宗教”観念
山内丸山遺跡の墓列
魂の再生
自然崇拝 「山川草木 悉皆成仏」
日本は一神教でなく、多神教
考古学 遺跡の発掘→当時の人の生活、ものの考え方→民俗学
縄文人の宗教観、アイヌの宗教観