技術史資料の保存の意義

国立科学博物館の理工学第2研究室は、江戸時代以前から最近の電気・機械技術まで
を含む、広範囲の科学や技術の歴史を研究している。
電気・情報技術関係の資料にまつわる研究活動を紹介しながら
科学史・技術史研究と資料の保存の意義について述べる。

科学や技術は人類の歴史や現代の我々の生活に、大きな影響を与えた。
発明・発見史のような科学や技術それ自体の歴史以外にも、科学や技術を
切り口として我々の社会やその歩みを考える事も科学史・技術史である。
またそれらを明らかにして、次世代に伝えて行くことも大切である。

科学史・技術史は歴史学や社会学の仲間なので、歴史的な証拠を発掘し、
積み重ねることが重要である。
従来は文献を主な研究対象としていたが、現在では「モノ」を研究対象として
取り扱うことが増えてきた。「モノ」が文献だけではわからない様々な事を語る
からである。
図書館は人類の歩みの証拠として、文献を保存する役割をもっているが、
博物館は「モノ」を保存する役割がある。

1998年に国立科学博物館も共催して行われた「大英国展」の展示の中に
1940年にバーミンガム大学で発明されたマグネトロン(高い周波数の電波を発生
させる真空管の一種)が展示されていた。この真空管とその技術は戦時下の英米
技術協力協定により米国へ渡り、探知性能が格段に優れた小型レーダーを誕生
させた。レーダーを中心とする高周波技術は、第2次世界大戦で急速に発展した。
この真空管、つまり世界最初の実用的なマイクロ波管は英国で発明されたことに
なっている。

しかし、国立科学博物館には一本の日本製マグネトロンM312が保存されている。
これは旧日本海軍の技術研究所と日本無線株式会社が共同で開発したもので、
バーミンガム大の真空管と同し波長10cmの電磁波を発生させることができた。
しかも発明は同じ1940年でバーミンガム大より若干早かった。

1992年にドイツ博物館で行われたレーダー史のシンポジウムにおいて、
開発者の一人である中島茂氏がM312の開発について紹介したところ、
バーミンガム大のマグネトロンに構造が似ていたので、現地の研究者から、
技術盗用の疑いを持たれたという。
しかし国立科学博物館にはM312開発に至る過程の竜胆形マグネトロンも保存されて
いるので、日本独自の技術であることが証明される。
つまり、これらの一連の資料があって初めて一点の資料が歴史的事実として認め
られるのである。
歴史とはこのような発振された一つ一つの事柄の積み重ねである。

では、なんでも保存すれば良いのであろうか。日々大量に生産されるものの中から
何をどのように選び、資料として保存すべきであろうか。
技術史の場合、考古学的な資料や従来の文化財とは異なるはずである。
これらの判断基準は定まっていないが、ひとつのヒントとして「人」がある。
科学や技術は人が作り出したものであるから、
その資料にまつわる物語を作って説明することが重要である。

記念的な「モノ」や歴史的に有名な物、来歴の明らかな物等ばかりでなく、
開発過程の物なども収集することは大事である。日頃より資料の所在について
把握しておき廃棄の際などに譲り受けるわけだが、その際に資料に付帯する
マニュアルや開発ノートなども必ず一緒に保存するべきである。

資料や調査テーマに関係した人物が健在の場合、直接話を聞くことがある。
記録に無い事実や文献から得られる事実の間を埋めることができるからである。
しかし、本人の思いこみや、曖昧さ、当事者であるが故に一方的な見方、
何度も話をすることで本人も意識しないうちにストーリーが論理的に再構成
されるなどの危険性があるから、注意しないといけない。
聞き取り調査の際には十分な下調べをして、年代などはこちらから指摘し、
確認をするようにするなどの配慮が必要である。

技術史資料を展示する場合、原理や構造等を理解するためには、動作を再現させる
ことが望ましい。稼動させて初めて見学者が理解できることもある。
欧米の博物館では、長い時間と労力をかけて徹底的に修復を行っている。
でも、多くの資料を完全に復元することはとても困難なことである。
たとえば昭和30〜40年代のトランジスタを使った電子回路は、
真空管を使った装置より絶望的である。多くの真空管は今でも入手できるが
当時のほとんどのトランジスタやコンデンサはもう動作せず、入手も不可能だから
である。その部分を新しいトランジスタなどに替えれば、動作するようには
できるが、もうオリジナルとは呼べない。
このような場合、精巧なレプリカや動作する原理模型を制作することになる。

欧米では近代科学の基礎を作り、工業生産を自分たちの手でなしとげてきたという
自負がある。
それに対して、日本は世界から急速に科学や技術をキャッチアップした国として
驚かれる一方で、残念ながら「技術ただ乗り」と非難もされている。
しかし、我が国はずっと人真似でやってきたのであろうか。
どのように欧米の科学技術を自分のものとしてきたのであろうか。
あるいは、我が国の技術史の中に我が国独自の何かがあるのだろうか。
その謎を解くカギの一つは原点である江戸から明治時代にかけての「モノづくり」
にありそうである。

国立科学博物館ニュース第391号の理工学研究部の前島正裕氏の文章を
読んで簡単にまとめました